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けんいちブログ

中選挙区の一部復活案に反対する

2001年10月31日

「中選挙区の一部復活案に反対する」

またぞろ浮上してきた中選挙区制の復活案。目先の政局のための理念なき選挙制度いじりを撃つ。

選挙制度の話ほど政治家の目の色が変わる問題も少ないだろう。制度の改変は政治生命にかかわるから当然ともいえる。 今また政治家が浮き足立つような案が浮上してきた。10月24日、与党三党の幹事長が衆議院の選挙制度を変える案で大筋一致したのである。現在の300小選挙区を270の小選挙区、12の二人区、2つの三人区に変えるというものである。要は都市部は複数区にして、地方は小選挙区のままにしようということである。これほど筋の通らない話はない。一貫性もなければ整合性もない。なぜ都市部は複数区で、地方が小選挙区なのか理由はどこにもない。野党が「理念も哲学もない」として強く反発するのも当然である。野党だけではない。自民党内でも反対の声が大多数である。

先に「理由はどこにもない」と書いたが、実はこの案が出てきた理由は明々白々なのである。公明党が強く要望しているからである。公明党には熱烈な支持者が多い。だが支持者以外の間には強い公明党アレルギーが広まっている。そのため公明党候補は支持者からの票は確実に得られるが、それ以外に支援の輪を広げることが難しい。これでは小選挙区では勝ち残れない。しかし複数区ならば組織票を固めさえすれば当選の確率はずっと高まる。そこで公明党は基盤の強い都市部での中選挙区制復活にこだわってきた。

確かに公明党の立場にたてばそうだろう。中選挙区で行なわれた昭和61年、平成2年、平成5年の総選挙では公明党はそれぞれ56議席、45議席、51議席を確保した。しかし昨年の総選挙では31議席である。それも小選挙区で勝ったのは7つに過ぎず、ほとんどは比例区での当選である。この間、党勢そのものがさほど減衰したわけでもない。「議席が減ったのは選挙制度のせいだ。だから中選挙区を復活しろ」と言いたい気持ちは分からないでもない。

だが選挙制度とは一党一派への配慮で考えるべきものではない。選挙制度は各党の消長に直接関わってくるのは事実である。 それだけにこの問題を論ずる時には党利党略に偏らないように節度が求められる。自分や自党に有利か不利かを計算するのは人間の常だろう。それはやむをえない。しかしそれでもやって良いことと悪いことがある。今回の改革案はその限度限界を超えていると言わざるをえない。

理念よりも各党への配慮が先に立った改革案としては「小選挙区比例代表連用制」というのが思い起こされる。この案は平成5年4月に民間政治臨調が提案した。中選挙区を廃止して小選挙区を導入しようという機運が高まっていた頃である。しかし各党の案には隔たりがあった。自民党は単純小選挙区制を主張し、当時第二党の社会党と第三党の公明党は小選挙区比例代表併用制を唱えていた。これに対し、民間政治臨調は第三の案として連用制を提示する。この案の最大のポイントは各党の当時の議席がほぼ維持されることだった。直前の衆議院選の結果をもとにした試算によると連用制を導入した場合の各党の獲得議席数は次の通りである。

 

連用制導入 当時の現有議席

自民党   287    274

社会党   131    141

公明党    41     46

共産党    29     16

民社党    12     13

 

つまりこの制度は導入しても大きな議席の変化がないように配慮されていた。どの党にとっても当たり障りがないために折衷案として浮上してきたともいえる。しかし配慮が先に立っていただけに分かりにくいことこの上ない制度だった。連用制の内容を記せば「小選挙区と比例区からなるが比例議席の配分をドント式で行なう時に各党の小選挙区獲得議席に1を加えた数を除数とする」ということになる。何のことやらよく分からないが、要するに小選挙区で多数を獲得した党には比例でハンデを与えるということである。ともあれ奇怪な案だったことは間違いない。こうした案が採用されなかったのは国家百年のために良かったと思っている。だがこの案でさえ今回の改革案よりはましである。全政党に配慮していたからである。今回の中選挙区制一部復活論は特定の政党への配慮がすべての出発点になっているのである。普通の感覚の持ち主であればこういう案を出すこと自体、恥ずかしいと思うべきである。

そもそもいま選挙制度の見直しが必要なのだろうか。どれだけの国民がこれを求めているのだろうか。日本政治の優先課題が選挙制度の問題のはずがない。テロ対策、景気回復などやらなければならないことは山ほどある。ところが選挙制度の話がひとたび出ると政治家の関心はそこに集中してしまい、他の問題はおろそかになってしまう。誰でも我が身が大切だからこれは仕方がない面もある。だからこそこういう問題を扱うべき時ではないのだ。

連立を組んでいる友党への信義はもちろん大切である。妥協も必要かもしれない。だがそれをもってすべてが許されるわけではない。選挙制度とは民主主義の出発点である。政治に妥協は付き物とはいえ出発点から妥協というわけにはいかない。道理がある妥協ならばまだしも、特定の政党のために「勝てる選挙区をつくる」などというのはとんでもないことである。選挙制度には最低限、理念や整合性が必要なのである。説明のつかない制度を作るべきではない。

予備選とは何か(上)

2001年10月30日

「予備選とは何か(上)」

公認候補は党員投票で選ぼう。自民党青年局長・水野賢一による渾身の党改革提言・前編。

◆はじめに

自民党は昭和30年に結成された。それ以降、下野したのはわずか1年間だけである。ほぼ万年与党といっても過言ではない。しかし長く国政の中枢を占めているだけに世論の厳しい批判を受けることもしばしばあった。そして逆風にさらされるたびに自民党改革ということが叫ばれてきた。近い例としては低支持率にあえいでいた森喜朗内閣の時がそうである。森総裁のもとで開催された今年3月の党大会では「党の再生」「党の新生」「解党的出直し」「ゼロからの出発」といった言葉が多く聞かれた。そしてその直後の4月の総裁選では小泉純一郎氏が「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンと共に「自民党を変える、日本を変える」と訴えて圧倒的な勝利をおさめたのである。

では自民党を変えるとはどういうことだろうか。すぐ頭に浮かぶのは派閥順送り人事の解消や世代交代、さらには族議員の跳梁を抑えるということである。これらはもちろん大切なことである。しかし私はさらにこれらに加えて党改革の大きな柱として、国政選挙の候補者選考時に予備選を導入することをあげたいと思う。現在の候補者選考は必ずしも党員の声が直接反映される仕組みにはなっていない。これを各地域の党員の声によって候補者が決まる仕組みに変えていこうということである。このことは開かれた自民党を目指すためには避けては通れない道である。

実を言えば何もこの予備選という主張は私が言い出したことではない。党内の若手、特に地方の若手党員の間から澎湃として沸き上がってきた声である。私はいま自民党本部の青年局長という役職を拝命している。その役柄上、各地方の若手党員と話すことが多い。その中で必ずといってよいほど彼らから出てくるのが予備選導入を切望する声である。そして私自身もこの問題を調べ、取り組んでいく中で、予備選の導入が必要だと確信するようになった。党に新しい人材を供給し、活力を与えるためにも是非とも推進しなければならない。しかもこの予備選の問題はもはや机上の空論ではない。現実にこの10月に実施された衆議院宮城4区の補欠選挙の時には実施もされた。

この拙文では前半で予備選についての全般的な考察をしてみた。そこでは予備選とは何か、その必要性、経緯などについて取り上げる。そして後半では宮城県における予備選の実態をまとめた。私自身、宮城の補選には2回ばかり足を運び予備選の実情を見聞させてもらった。もちろん予備選にも長短いろいろある。現実の予備選の分析がこうしたことを考える上での一助になれば幸いである。

◆予備選とは

ところで予備選とは何だろうか。辞書風に定義をするならば「本選挙以前に行なわれ、本選挙に進む候補者を絞り込むための選挙」とでも言えるだろう。本稿で取り上げる予備選も、国政選挙、特に衆議院の小選挙区の自民党候補を決めるために実施される党内での選挙と理解していただきたい。

ところで自民党内で予備選という言葉が使われる場合、むしろ総裁選の予備選の印象の方が強いかもしれない。昭和52年に総裁公選規定が改正され、総裁選に初めて予備選が導入された。3人以上の立候補者があった場合には党員による予備選挙を行ない、その上位得票者2名が党所属国会議員による本選挙に進めるようにした。その結果、4人が立候補した翌53年の総裁選では党員による予備選が行なわれている。この時は一位・大平正芳、二位・福田赳夫の両氏が本選挙に歩を進める権利を得たが、結局福田氏が本選挙を辞退したために大平総裁の誕生となった。似たような予備選は昭和 57年の総裁選の時にも実施され、この時は中曾根康弘氏が新総裁に選ばれている。

われわれの記憶に新しいのは今年4月の総裁選の予備選である。これは予備選と名はついているが、昭和53年や57年の例とはかなり違う。今年の場合は総裁選の選挙人はあくまでも党所属国会議員346名と47都道府県連の代議員3名ずつ(141名)の合計487名だった。ただ各都道府県が自ら持つ3票を投じるにあたって、それぞれが独自に実施した党員投票の結果に従った。この党員投票を予備選と称したのである。

このように見てみると同じ予備選という名で呼ばれていても、いろいろな種類があることがわかる。にもかかわらずこれらの下に流れる基本的な考え方は共通している。衆議院候補者選定のための予備選にせよ、総裁予備選にせよ、もっと党員の声を反映させようということである。一部の人間が密室で決めて結果を下に押しつけるのでなく、下からの声を吸い上げようということである。トップダウンではなくボトムアップを求める声が予備選を支持しているともいえる。4月の総裁選ではこうした声が予備選を生み、さらには小泉総裁という新しい流れを生み出した。今、開かれた自民党を求めるこの声が衆議院候補の選び方にも予備選の導入を求めているのである。

◆不明朗な現在の候補者選考

私は自民党を再生するために国政選挙への予備選の導入が必要だと考えている。この必要性を述べるためにも、予備選の気運が高まってきた理由を見てみよう。予備選を求める声が広まってきた背景には衆議院への小選挙区制の導入がある。中選挙区時代には各選挙区の定数は概ね3?5名だった。それにあわせて自民党候補も複数立候補し、お互いに相争うのが常だった。もちろん当時も自民党の公認争いはあったにせよ、公認候補を一人に絞り込む必要はなかった。ところが小選挙区になれば党公認候補は当然一名である。この唯一人の公認候補者がその地区の選挙区支部長となり、自民党を代表することになる。もちろん公認料や政党助成金を受けられるなどの特典もついてくる。さらに言えば政党支部をもっていなければ企業・団体献金さえ受けられない。つまり支部長(=公認候補)になれるかどうかということが従来に比べて格段と大きな意味を持つようになったのである。それにもかかわらず公認を一人に絞り込むルールが明確になっていない。

現在のところ自民党の衆院選の候補者選びに明確なルールはない。現職優先という原則以外は不透明な部分が多い。そのため各地で行なわれる公認争いは外部の人間にはよく分からない形で決着がつく。実態としては候補者や派閥の力関係で決まってくる。悪く言えば密室での取り決めである。少なくとも党員が参加した明朗で開かれた選考とはいえない。

透明性のある選考過程が重要なことはこの1年半の総裁選びで明瞭になった。森内閣は「密室での誕生」ということが言われ続けた。五人組が決めたことが最後まで尾を引いたのである。 これに対しオープンな形で選ばれた小泉内閣は異例の高支持率を記録した。民主主義ではプロセスが大切である。総裁であれ公認候補であれ透明性のある選考が求められている。

◆予備選の必要性

現在のような候補者選びは一般の自民党員にとっても立候補する側にとっても不幸なことである。中選挙区制のもとでは複数の自民党候補が立候補するのが普通だった。それだけに自民党支持層の間でもA候補を応援する人もいればB候補やC候補を支持する人もいた。党員の間にもそれだけ選択の余地があったと言える。ところが小選挙区では自民党候補は一人だけである。党員にとっては好むと好まざるとにかかわらず、その候補を支援することが求められる。これは制度上、当然である。しかしそうである以上、せめて候補者を決める時くらい自分たち党員の声を反映してほしいというのはごく自然な要望ではないだろうか。

立候補を希望する自民党系新人にとっては悩みはさらに深刻である。中選挙区時代であれば同じ選挙区から自民党候補が複数立候補していた。自分の出たい選挙区にすでに候補者がいても出馬することは可能だった。保守系無所属として出馬して、当選すれば追加公認を受けるという方法もありえた。しかし小選挙区になるとそうはいかない。自分の出たい選挙区に現職がいれば出馬は不可能になる。たとえ現職がいなくてもほとんどの選挙区で候補者はすでに決まってしまっているのである。もちろん無所属での立候補という道がまったく閉ざされてはいるわけではないが、それは露骨な反党行為になってしまう。また先に述べたように現行法上では政治資金面、選挙運動面で大きな不利を覚悟しなければならない。 これでは若くて有為な人材がいても自民党からはなかなか出馬することができなくなってしまう。  実はこの問題について自民党青年局でアンケートをとったことがある。今年の2月に青年局に所属する若手地方議員に匿名を条件に「条件や環境が整えば、国政選挙に立候補してみたいとの意志をお持ちですか」という質問をした。結果は67%が「はい」と回答している。しかし「はい」と答えたうち94%が「いまは立候補できる環境にない」とも回答した。そう答えた人に対してさらにその理由も聞いた。すると85%の人が「現職議員や前・元職議員が立候補を希望する選挙区にいる」という項目を選んでいるのである。資金力不足を上げた人が44%だったのに比べても圧倒的に多い。

つまり立候補する意思があっても、その選挙区に現職がいる限り立候補できないという怨嗟にも似た声が上がっている。現職ならばともかく前職がいるから無理だという場合も多い。仮に落選しても、支部長にはとどまるということが多いためである。極端にいえば、現職が自分から身を退くか、もしくは死亡しない限り候補者が入れ替わらないというのが実態といえる。これは憂々しいことである。国政への挑戦が新人には極めて狭いものになってしまっている。自民党の新陳代謝が阻害されているのだ。

◆活力ある自民党のために

現に昨年の衆院選小選挙区では自民党の新人の立候補者数は激減した。小選挙区制が導入されて初めての平成8年の総選挙では自民党の新人候補は小選挙区に109名いた。これほど多かったのは制度の変わり目だったからである。しかし平成12年の総選挙ではこれが56名になった。今後はますます少なくなることが予想される。 このままだとどういうことが起きるか。自民党からの人材流出である。自民党から立候補したくてもできない人が他党から出馬することになりかねない。現にこうしたことは起こっている。本来、自民党とさほど変わらない考えの持ち主が民主党から立候補して当選している例は多数ある。これを無節操と批判することは簡単である。しかし制度上、そうせざるを得ないように追いやってしまっていることにも目を向けなければならない。

私はなにも新人の数が多ければよいというつもりはない。大切なのは彼らにも参加の機会を与えることである。新人も参加した上で予備選を行ない、結果として現職が候補者に選ばれるのであればそれもまたよしである。現状の問題は新人には参加の余地さえないことなのである。これでは党は活性化してこない。またただでさえ自民党には高齢化した政党というイメージがある。 このまま若手の参入を阻害し続ければ、こうした悪印象に拍車がかかることを私は懸念する。

さらに言うならば小選挙区という制度は現実には自民党であれば絶対に勝てるという選挙区も生み出した。やや言い過ぎなことを恐れずに書けば、候補者の能力とか努力とか国や地域への貢献とは関係なく、ただ自民党候補というだけで勝てる選挙区が多数あるのである。特に保守地盤が強い農村部がそうである。これは小選挙区という制度の宿命である。同じ小選挙区制度のアメリカやイギリスでもこうした例はある。かつてアメリカ南部では民主党でなければ当選はほぼ絶対に不可能だった。イギリスでも保守党がこの100年間ほとんど負けたことがないという選挙区もある。 同様に日本の小選挙区でも自民党であれば絶対に勝てる選挙区がある。そういう選挙区では自民党候補は当然のように圧勝する。 しかしそれは候補者が人気があるためでもなんでもなく、ただ選挙区に恵まれているというだけなのである。

選挙というのは本来競争である。候補者や政党が切磋琢磨していくことに意味がある。しかしこうした選挙区では本選挙では競争原理が働かない。これは国民にとっても不幸なことである。本選挙の結果が前もって読めるような選挙区でこそ党内での競争が必要なのである。つまり予備選である。それでこそいい意味での緊張が生まれ、政治家の質も確保される。また党としての活力も生まれてくるはずである。

本来こういうことは小選挙区導入と共に議論し、整備してしかるべきだった。現に小選挙区制をとっているアメリカでは予備選挙が確立している。残念ながら日本ではそれが整っていない。いまこそこの予備選の問題を本格的に議論すべきなのである。

◆党員獲得のためにも予備選を

さらに付随的なことではあるが予備選は党員獲得にも寄与するはずである。党本部は年中行事のように党員獲得運動を呼び掛けている。しかし党員獲得の現場である地方組織からは「ただ党員を集めろといってもそうは簡単に集まらない。党員になるメリットがないと無理だ」という声が漏れてくる。本来、党員とは自民党の理念理想に共鳴して入党すべきもので、メリットを求めて入党するというのは邪道である。だがそうはいっても何の特典もないならば四千円の党費を払いたくないという人が多いのもまた現実である。その点、党員になれば候補者選考にも関われるというのは党員を集める時の謳い文句になると期待している。

まして現在、自民党員は激減の兆しをみせている。小泉内閣の登場で自民党への支持が高まったのに奇妙な感じもするが、実際に職域支部を中心に党員数が落ち込んできている。これは参議院比例区に非拘束名簿方式が導入されたことが大きく影響している。従来は比例区候補が自分の比例順位を上げるために党員獲得に奔走したが、制度が変わったためにそれをしなくなったことが大きな理由である。党員数の減少は党財政にも深刻な影響を与えかねない。党員獲得運動に資するためにも予備選の導入を考慮すべきであろう。

◆青年局の活動

ここで予備選導入の必要性と意義をもう一度整理してみたい。

・候補者選定のルールを明確化することで密室政治を打破し、開かれた政党へ前進することになる。

・新人にも門戸を開くことにより党内の新陳代謝を促進する

・党員になるメリットを増すことで党員獲得を促進する

この予備選について党内で一番活発に議論をしてきたのは青年局である。昨年6月の衆議院選で自民党が特に都市部で大敗したことを受け危機感を強めた青年局では党改革の試みとして予備選の問題を議論するようになった。この議論には若手の地方議員有志も加わった。そしてその成果を今年1月に「衆議院議員選挙区における党公認候補者選定に関する試案」としてまとめ、党執行部に提出した。内容は予備選導入と立候補のプール制度導入である。プール制度とは聞き慣れない言葉だが、要は立候補したい新人を党本部で年一回程度公募してその人材をプールしておくということである。こうして有為な人材を確保しておいて、彼らにも予備選参加の資格を与えようという趣旨である。

しかし残念ながら今日に至るまでこの意見具申がまともに検討された様子はみえない。私自身も5月に青年局長に就任した身として山崎拓幹事長などに申し入れはしているが、党内全体の雰囲気としてはまだまだ予備選導入の機運が高まっているとはいえない。党内の機関としては政治制度改革本部が議論の場となるはずだが、本格的な議論さえ行なわれていない。しかし諦めることなく今後も必要な声を党内であげていきたいと考えている。

予備選とは何か(下)

2001年10月30日

「予備選とは何か(下)」

宮城4区での予備選。その実態を迫真のレポート。これぞ“予備選のバイブル”完結編。

◆宮城の例ー予備選実施の背景

予備選を求める声が強まる中、初めてこれを本格的に実施したのが自民党宮城県連である。今年10月28日に行なわれた宮城4区の補欠選挙の自民党公認候補を予備選によって選出した。私はこれは画期的な試みだと考え、宮城に行きその過程の一部を見せてもらった。 その見聞を踏まえながら、今回の予備選の内容をおさらいしてみたい。

話は平成13年9月4日、宮城4区選出の伊藤宗一郎衆議院議員が逝去されたことに始まる。伊藤氏は当選13回の大ベテランで、昨年までは衆議院議長をつとめていた。小選挙区選出の議員に欠員が出た時は補欠選挙が行なわれる。公職選挙法によって3月16日から9月15日までに欠員が出た場合の補選は10月の第4日曜日に実施されるので、投票日は10月28日となった。

この伊藤氏の後継候補に最初に言及したのが高村派の高村正彦会長だった。伊藤氏は高村派に所属していたためである。高村氏は伊藤氏が死去した4日に「後継候補は伊藤氏の長男の伊藤信太郎氏の見込み」ということを発言した。信太郎氏はテレビキャスターなどを経たあと東北福祉大の教授をしており、48歳である。また5日に行なわれた伊藤宗一郎氏の葬儀の席で小泉純一郎首相も信太郎氏への支援を呼び掛けたとされる。

こうした動きが報道されると地元の宮城県の関係者に強い反発を引き起こした。「地元の我々の知らないところで勝手に候補者選考が進められている」「なぜ宮城4区の候補者を派閥が決めるのか」という声が噴出してきた。宮城県連は9月11日に高村氏に抗議文を送ることになる。

候補者選考が地元を軽視し、派閥の論理で行なわれていると見られたことが予備選の実施につながっていく。自分たちの候補は自分たちで決めようという流れが一気にできていった。宮城県連幹事長をつとめる土井亨県議はいう。「最初から地元の意向を聞いてくれれば、すんなりと信太郎さんで弔い合戦をしようということになったと思う。それが中央の派閥次元で候補者選考を進めたから皆が反発して、予備選を実施しようということになった」。

このような反発にさらに拍車をかけたのが地域事情だった。宮城4区は塩釜市、古川市、多賀城市など17市町村からなる。位置的には仙台よりもやや北側である。この選挙区は塩釜市、多賀城市などの沿岸部と古川市、加美郡などの内陸部を抱えている。沿岸部には日本有数の漁港があり、内陸部は穀倉地帯である。伊藤家は内陸部の加美郡中新田町というところの出身である。そこで沿岸部からは今度は自分たちの地域から候補を出すべきだという声が出てきたという面もある。

◆予備選実施が決定

9月12日、宮城4区の支部長幹事長会議が開かれた。この地域から選出されている県議や17市町村の自民党支部の支部長ら約50名が集まった。ここで予備選の実施が正式に決まった。まず自民党から立候補したいという人を公募し、もし複数の人が応募してきたならばこの地域の党員・党友7500名で予備選を行ない候補者を決定するというものである。もちろんすでに出馬の意向を示している伊藤信太郎氏にも公募に応じてもらい、この手続きに参加してもらうことになった。ただこの時点では本当に複数の人が手を上げ、予備選が実施されることになるかは疑問視されていた。土井幹事長は「この時点では7~8割方、立候補者は伊藤信太郎さんだけということになるだろうと思っていた」と振り返る。またこの日の段階では予備選の具体的な細目までは決まっていなかった。

こうして衆議院候補を決めるにあたってその地域の全党員が参加するという予備選が実施されることになった。こうした試みはおそらく全国初めてのことだろう。過去の候補者選びでも地方支部の役員会で決を採るということはあった。しかし全党員を参加させる本格的な予備選の前例はないだろう。そしてこの予備選が実施されることになった最大の原因が中央からのトップダウン的な手法に対する支部の反発だったことは記憶されて良い事実である。

自民党の候補者公募の期限は9月18日に定められた。伊藤氏は真っ先に13日に応募した。県連によれば他にも数名から問い合わせや応募の構えはあったというが、いずれも地元と関係ない人々で伊藤氏が選ばれることは間違いないかと思われた。だが締切日の18日になって新たな大物が立候補の届け出をしてきた。前参議院議員の亀谷博昭氏である。亀谷氏は県議を5期務めた後、平成7年から参議院議員を1期つとめた。今年7月の参議院選挙でも再選を目指したが、落選した。参議院の宮城選挙区は定数2で、自民党は公認候補として現職の亀谷氏、推薦候補として新人の愛知治郎氏を擁立した。結果は1位が民主党の岡崎トミ子氏、2位が愛知治郎氏で、亀谷氏は次点に泣くことになった。小泉ブームで自民党が大勝したこの選挙で、再選を目指した自民党公認が敗れたのは全国でも亀谷氏と静岡県の鈴木正孝氏の二人だけだった(他に公認漏れの自民党現職が新潟県と宮崎県で落選している)。

亀谷氏は県議時代は仙台市から選出されており、直接4区が地元というわけではない。しかし幼少期に多賀城市に住むなどこの地域との関係も深い。この亀谷氏の参戦により予備選としては盛り上がりをみせることになった。それまでは予備選という形式を整えただけで、伊藤氏が事実上無競争で選ばれる出来レースのように見る向きもあったが、ようやく選挙らしい形になってきた。もちろん「弔い合戦」になる伊藤氏の優位は揺るがないとの予想が強かったが、がぜん注目を集める選挙になったのである。

◆予備選の具体的方法

9月19日、再び4区内の支部長会議が開かれた。ここでは候補者の資格審査が行われた。公募である以上、誰が応募してくるか分からない。特に今回は、自薦してきた者であれば誰でも良いということだったので、どう考えても相応しくない人物やまったくの冷やかしなどでの応募もありえる。一定の審査や歯止めは必要だろう。ただし資格審査が恣意的に運用されてしまえば事実上、門戸を閉ざすことになりかねない。予備選を考える上で今後の課題である。今回は応募してきたのが伊藤宗一郎氏の長男と前参議院議員ということで資格にはまったく問題なしということで、これはすんなりとすんだ。

それと同時に予備選の具体的な方法を定めた要項も決められた。17の市町村支部にそれぞれ持ち点1を与え、それぞれの支部ごとに党員投票を行なうこととした。党員投票で勝った候補がその持ち点1を獲得し、合計で過半数(9点)を取った者が公認の資格を得る。持ち点方式を採用したのはアメリカの大統領選挙にやや似ているといえなくもない。投票は各市町村支部ごとに党員・党友集会を開催し、その場で投票することにした。

郵送投票という方式も検討されたが、あくまでも党員意識を持ち責任感を持った人に参加してもらうということで集会に足を運んで投票する形になった。この方法だと職域党員が足を運ばない可能性が高くなる。他の多くの地域と同じように宮城4区でも職域党員の数が圧倒的に多い。予備選の有権者は地域党員1050名、職域党員6405名、自由国民会議が115名、国民政治協会が8名の合計7578名である。 ざっと8割以上が職域党員である。郵送投票だとこの職域支部の組織票で結果が左右されるかもしれないという懸念もあったものと思われる。職域支部が投票用紙を集めて組織的な投票をすることさえありえなくもないという心配の声も聞いた。地域の支部長らには地道に活動している自分たちの声をきちんと反映してもらいたいと思いがあるのは当然だろう。かといって職域支部党員も立派な党員である以上、予備選から締め出すことはできるはずもない。そういう中でのぎりぎりの選択が地区ごとの党員集会に参加しての投票という方式だったのである。

党員集会では投票によって意思決定をするのが原則だが、支部内で話し合い決着で合意すればそれも認めることにした。仮に投票をしても数票単位になるような小さな支部では協議して決める方が現実的なこともあるという判断である。

また各地で党員集会を開くのに先立って、両候補の政見・人物像を知ってもらうために「政策フォーラム」という名の演説会を開くことも決めた。こうして政策フォーラム、党員集会の案内状を印刷・発送する作業が始まった。一方、両候補に対しては9月21日に「今般の補欠選挙の党公認候補選考は、公平性、透明性を確保したオープンで厳正に行われるべきものであり、選挙運動に当たっては常識の範囲内で行うこととする」との通達が出された。予備選は公職選挙法の対象外なのでどういう範囲の選挙運動を認めるかも今後の検討課題であろう。

◆政策フォーラム

予備選の大きな山場となる政策フォーラムは9月30日に二か所で開催された。この政策フォーラムには私自身も行って、この目で見たのでその内容についてやや詳しく述べてみたい。政策フォーラムは立候補予定者による演説会のようなものである。有権者たる党員が聴衆として両候補の識見を聞き比べ、投票の判断材料にしてもらう狙いがある。 先に述べたように宮城4区は沿岸部と内陸部に分かれている。そのため午前中に沿岸部で開き、午後には内陸部で開催された。

午前中の政策フォーラムは10時30分から松島町の松島センチュリーホテルで開かれた。日本三景の松島が目の前に見える場所である。参加した党員はおよそ70名くらいだろう。フォーラムはまず伊藤宗一郎氏への黙祷から始まった。そして土井亨県連幹事長が挨拶、続いて大沼謙一県議(宮城4区支部長代理)が挨拶、さらに伊藤康志県議(宮城4区支部幹事長)の経過報告と続いた。そして伊藤・亀谷両氏の政策・政治信条発表へと移った。どちらが先に発表するかはその場でクジで決めた。このあたりは公平を期すということでかなりきちんとやっていた。まずクジ引きの順番を決めるクジを引いた。ちなみにこれは立候補届出順ということで伊藤・亀谷の順に引いた。その結果、クジを引く順番は亀谷・伊藤になり、クジ引きの結果、発表順は伊藤・亀谷と決定した。 こうして伊藤氏が20分、亀谷氏が20分で自らの所信を披瀝した。それぞれ終了2分前になるとベルが時間を知らせた。伊藤氏は父への応援の感謝やその恩に報いたいと訴え、亀谷氏は参議院議員としての実績や即戦力であることを訴えた。参加した党員側からの質問の場はなかった。

この政策フォーラムはいわば立会演説会のようなものともいえる。ただ以前の立会演説会では野次が飛び交ったり、支持する候補の演説が終わると帰ってしまったりということが横行したとされるのに対し、そういうことはまったくなかった。予備選というのはあくまでも同じ党の中での競争である以上、紳士的に行なうことが求められるが、この政策フォーラムはその点は十分満たされたと思う。会場の参加者の何人かに話を聞いてみても「つい先日まで参議院議員だった亀谷さんはともかく伊藤さんの話は初めて聞いた」という人が多かったのでそれだけでも意味があったのではないだろうか。ちなみにそれぞれの陣営から参加者にパンフレット類や資料が配られるということもなかった。マスコミには公開されており、テレビカメラも数台入っていた。

同日午後1時30分からは今度は古川市の芙蓉閣で政策フォーラムが行なわれた。こちらは内陸部の古川市・加美郡・志田郡の党員の参加を予定していた。人数的には午前よりもやや多く100名は超えていた。内容は午前とほぼまったく同じである。

◆投票・開票

午後の政策フォーラム終了後、開催地の古川市ではすぐに党員集会が行われた。政策フォーラム参加者のうち古川市の党員が残り、ここで投票したわけである。ただ古川市の党員・党友1280人のうち投票したのは88人にとどまった。この日は他にも宮崎町、松山町、三本木町の党員集会も開催された。他の市町村の党員集会の開催状況は次の通りである。

10月1日(月) 鹿島台町

10月2日(火) 中新田町、小野田町、色麻町

10月3日(水) 塩釜市、多賀城市、松島町、七ヶ浜町

10月4日(木) 利府町、大和町、大郷町、富谷町、大衡村

これらの投票の結果は10月6日に一斉に開票された。最初は投票がすんだ地区ごとに開票して予定だったが、そうすると早々と大勢が決まってしまい、投票日が遅い地域の人たちの投票意欲をそぐ可能性が指摘されたことがある。また両候補の取りつ取られつの熾烈な争いになった場合にも終盤の選挙戦が変に加熱する恐れもあった。そのため投票がすむと投票箱は県連が保管し、箱の鍵は各支部長が持つという形で、開票は6日に一括実施となった。

開票結果は伊藤信太郎氏の圧勝だった。17市町村のうち15を伊藤氏が制した。亀谷氏が勝ったのは大郷町だけであり、塩釜市は両者が38票の同数だった。各市町村支部には持ち点1が割り当てられていたので、開票結果は、

伊藤信太郎 15.5票

亀谷博昭   1.5票

となった。投票を行ったのが13支部で、中新田・小野田・松島・宮崎の4町が話し合い決着だった。それぞれの市町村でどちらの候補が何票取ったかは発表されていない。ただ開票には両陣営の立会人もおり、マスコミにも公開されているのであえて隠しているわけでもないという。以下に17支部の結果と選考方法をまとめてみた。

市町村/勝者/選考方法

塩釜市/支持同数/投票(9.5%)

古川市/伊藤/投票(6.8%)

多賀城市/伊藤/投票(13.2%)

松島町/伊藤/話し合い

七ケ浜町/伊藤/投票(19.1%)

利府町/伊藤/投票(10.1%)

大和町/伊藤/投票(13.0%)

大郷町/亀谷/投票(7.5%)

富谷町/伊藤/投票(11.2%)

大衡村/伊藤/投票(38.5%)

中新田町/伊藤/話し合い

小野田町/伊藤/話し合い

宮崎町/伊藤/話し合い

色麻町/伊藤/投票(9.7%)

松山町/伊藤/投票(14.1%)

三本木町/伊藤/投票(12.0%)

鹿島台町/伊藤/投票(21.8%)

(括弧内の数字は投票率・読売新聞社調べ)

◆本選挙へ

これを受けて宮城県連は伊藤信太郎氏の公認申請を党本部に出し、自民党本部は伊藤氏の公認を10月9日に決定した。本選挙は16日に告示され、伊藤氏は公明党、保守党の推薦も取り付け選挙戦を戦っていく。他党についても簡単に触れておこう。民主党も候補者選考では迷走した。公募を掲げておきながら、それに応募した人物の間から候補者を選ばなかったのである。結局、税理士の山条隆史氏を公認した。同氏は昨年の衆議院選には神奈川16区から出馬して大敗している。過去に仙台の監査法人に勤めたことがある程度で、地元との関係は希薄である。共産党からは7月の参議院選にも挑戦した小野敏郎氏が立候補することになった。しかし一番注目を集めたのは無所属で立候補した本間俊太郎氏かもしれない。本間氏は昭和49年から宮城4区内に位置する中新田町長を4期つとめ、平成元年には社会党などの推薦を受けて宮城県知事に当選した。しかし知事二期目の平成5年にゼネコン汚職で逮捕され懲役2年6月の実刑判決を受けた。すでに服役を終えたとはいえ、立候補してきたことは大きな驚きをもって迎えられた。

本選挙はこの4人の間で10月28日に行なわれ、伊藤氏が当選した。 投票率は42.59%だった。

当 伊藤信太郎  63745自民

本間俊太郎 48871無所属

山条隆史 11683民主

小野敏郎 9281共産

◆課題ー宮城の実例に即してー

総じていえば宮城4区での予備選は成功だと思う。民主党の候補者選びが混迷しただけになおさら光るものがあったといえる。さらに予備選を勝ち抜いた伊藤候補が本選挙でも他党候補を破ったのだから最終結果も良かった。予備選を行なうこと自体が、ある種の選挙運動になっていたともいえる。予備選の届け出受付、政策フォーラム、党員集会などが行なわれるたびに地元紙面には記事が載り、開かれた自民党というイメージをつくることになった。

今後、予備選はさらに全国的に広がっていくだろう。私も今回の宮城の実験に関心を持ち現地に視察に伺ったが、他からも宮城県連に問い合わせが多数あったという。予備選に関心を持つ自民党の各県連からだったという。予備選導入という大きな流れはもはや避けられないのである。

もちろん予備選もよいことずくめではない。実際に導入するとしたならば課題も多い。そのすべてにここで完全な解答を与えられるものではない。しかし宮城県の例を詳細にみることによって解決へのヒントはみつかるかもしれない。ここでは予備選の抱える課題と宮城県での取り組みについて報告してみたい。

◆課題1ー敗者とのしこり

予備選を実施する上で最大の問題は、負けた陣営との間にしこりが残るということである。本来、政党にとって最大の敵は他党のはずである。自民党にとって本当の目的は本選挙で民主党や共産党などを打ち破ることである。しかし予備選という党内での戦いを先にやることで、敵との戦いを前にして党の亀裂を生む。そうなれば敵との戦いに集中できなくなるという疑念は誰もが抱くだろう。極端なことをいえば、負けた側が無所属であっても本選挙に立候補することもありえる。他党に漁夫の利を得られる可能性が高くなるということである。当然、この問題には十分な配慮が必要である。

ちなみに宮城県連では伊藤、亀谷両氏に9月19日付で「(予備選の)選考結果に従い、候補者決定後は自由民主党公認候補の当選に向け挙党体制で臨むことを誓約します」という誓約書に署名させている。これに対してはもちろん、紙切れなど信用できないという懸念もあろう。今回の選挙では敗者の無所属出馬という最悪の事態は起こらなかった。4区内の志田郡選出の大沼謙一県議は「しこりは一切ない」と断言する。関係者の中には「負けた方の協力などは望むのが無理。妨害してこなければ御の字」という人もいる。幸いにしてこの選挙では伊藤氏が本選でも勝利したために「しこり」の問題は表面化してこなかった。ともあれ今後、慎重に検討すべき課題である。

◆課題2ー投票方法

宮城4区では各支部に持ち点を与える方式を選択した。今回、支部ごとの投票にした狙いについて関係者はいう。「従来、地域支部と職域支部は接点があまりなかった。この予備選を通じてこの二つの支部を融合していきたかった」。また持ち点方式を採るにしても人口や党員数に関わりなくすべての支部が持ち点1ずつというのが良いかどうかも議論の分かれるところだろう。党員・党友が98名の大衡村も、1280名を数える古川市も同じ持ち点で果たして平等といえるかは検討の余地があろう。

さらに宮城4区では党員集会での投票という方式を選択した。しかしこのために投票率が低めだったこともまた事実である。逆に郵送投票を認めれば投票率は上がるだろうが、組織票や疑惑票の恐れもある。このあたりの問題は選挙の帰趨に大きく関わってくる。今回も「郵送投票だったら結果が変わっていたかもしれない」という県連幹部もいる。それだけにこの問題はきっちりと議論をしておく必要がある。宮城の例では伊藤・亀谷の両氏が立候補を届けた後に投票方法の細部が煮詰まった。補欠選挙で時間がなかったためやむを得ないとも思うが、今後各地で予備選を実施する場合には十分な配慮が必要だろう。

◆課題3ー有権者の資格

有権者の資格をどうするかもまた予備選の結果を左右しかねない重大な問題である。宮城4区では、平成13年8月末日に党員・党友になっている者を有権者とした。伊藤宗一郎氏が亡くなった後に駆け込み党員になった者は認めないということである。総裁選のように2年連続党員という資格は設けていない。もちろん地域党員・職域党員を問わず有権者である。

予備選直前に党員になった人も有権者として認めれば、党員獲得合戦になり党費たてかえなどを招く恐れがある。しかし党員増にはプラスに働くともいえ、そのバランスが求められるだろう。

◆課題4ー立候補者の資格

今回の予備選では立候補者の受付については二つことが定められていた。一つは「必ず本人が意思表示をすること」である。つまり自薦のみ認め、他薦は認めないということである。立候補というのは本人のやる気が基本なのだから当然と思える。もう一つは「わが党の理念・政策に共感・共鳴する人、党改革に情熱のある方であれば、基本的にどなたでも資格は問いません」とある。前述した通り一応、資格審査という手続きもあったが、立候補要件はかなり緩やかといえる。例えばこれを「立候補者は党員に限る」とか「宮城4区内在住者に限る」などとした場合には、応募できる人は格段に減ってしまう。開かれた予備選という理想とまったくの泡沫候補の排除との間で知恵が求められる問題である。

◆課題5ー予備選実施の時期

伊藤宗一郎氏の急逝から補欠選挙までわずか二か月足らずしかなかった今回は、予備選は本選挙直前に行わざるをえなかった。 だが今後、全国的に実施するならばその時期が問題になる。アメリカの議会のように解散がなければ話は簡単である。米上院の任期は6年(下院は2年)である。この場合は選挙の時期が最初から分かっているので本選挙のだいたい半年ほど前に予備選を実施している。しかし衆議院の場合は解散・総選挙がいつあるか分からない。解散してからでは遅すぎる。かといってあまり早く行うことにも疑問がある。この問題も要検討の課題である。

◆課題6ー選挙運動

予備選の選挙運動は公職選挙法の対象外である。そのため候補者指名争いが加熱すると、ともすれば選挙運動も過敏なものになりかねない。今回は県連・4区支部合同の“衆議院四区補選公認候補選考委員会(委員長・土井亨県連幹事長)”から「常識の範囲内で行う」との通達が両陣営に出された。関係者も「常識の範囲内」が守られたと振り返るが、この点も今後整理すべき課題といえよう。

◆課題7ー地域有力者の支配

党員が公認候補を選ぶといってもその党員の構成が偏っていることは往々にしてある。地域支部でも特定の個人に連なる人間だけが党員になっていることは珍しくない。こういうところで本当に有為な人材が選出されるかは疑問がある。現職は普通、党員たちとは密接な関係を築き上げているのでまず党員投票で負けはしないだろう。空白区であってもその地域の有力者の眼鏡に適った人物しか予備選で勝ち上がれないことは十分にありえる。そういう候補者では予備選には勝ったが、本選挙で負けるということもあるだろう。

つまり予備選を行なったからといって最良の候補者が選ばれるとは限らない。私はそれはそれで仕方がないと思う。それはその地域の党員の自己責任である。予備選が定着していく中でより良い人間を選び出すようになっていくのではないかと期待している。今のやり方のままでも最良の候補が選ばれるとは限らない以上、予備選に賭ける価値はあると思う。

◆今後に向けて

予備選にもまだまだ残された課題は多い。ここでどういうやり方が最善だとは言いがたい。これから大いに議論すべきなのである。当面は試行錯誤があるかもしれない。地域事情に応じて独自の予備選の形態があってもよいと思う。ただそれでも党本部で一定の基準づくりはする必要性があると思う。各地でバラバラに実施すると、予備選とは名ばかりで実態はとてもそれに値しないルールで実施する地区も出てくるかもしれない。そのためにも党本部のイニシアティブが必要なのである。

さらに現状では地方で予備選を実施しその結果を党本部に上げても、本部がひっくり返すことが可能である。宮城4区の場合は、たまたま予備選の結果通り、中央も伊藤氏を公認したので問題なかったが、今後地方と中央でねじれを起こすこともありえる。そういうことを起こさないためにも予備選に対して党本部が御墨付きを与えることが大切である。

ここまで主に衆議院の小選挙区を念頭において考察を加えてきた。だが議論が進めば別のアイディアもあるかもしれない。青年局のある党員は私に衆議院比例区に導入できないかと言ってきた。「比例区にも純粋比例の人がいる。コスタリカの場合は仕方ないにしても、中にはどうして比例の上位にいるのかよく分からない人もいる。それならばブロックごとに党員投票をして、比例の中に党員代表みたいな人間を入れられないか」というわけである。なるほど一理ある考えといえる。今後、議論が深まればさらにいろいろな意見が出てくるだろう。その中でより良い制度を目指せると期待している。

ただ予備選を導入するだけでなく、他の方法との複合によって効果が倍増することもありえる。例えば前に少し触れた候補者のプール制と予備選は互いに補完しあう制度だと思う。公募によって優れた人材を集めプールしておいても、彼らに立候補の機会を与えなくては意味がない。またいくら予備選を導入しても新しい顔ぶれが参入してこなくては制度が空洞化してしまう。こうしたこともさらに検討していくべきだろう。

多くの課題を残しながらも時代の大きな流れは予備選導入に向かっていると思う。アメリカでも最初から予備選が行なわれていたわけではない。政治改革の気風の中、1903年にウィスコンシン州が初めて導入した。あとは燎原の火のように広がり、現在では全米で完全に制度化されている。日本でもそうなっていくだろう。またそうなるべきだとも思う。

むろんのこと現職政治家からは強い抵抗が予想される。彼らの既得権に手をつけるからである。現在のところ新人が自民党公認になるには大きな「参入障壁」がある。予備選はこれを打破する。いわば「政界の規制緩和」である。抵抗があって当然である。それだけに現実には抵抗の少ない空白区から導入が始まることになるかもしれない。そのへんは柔軟さが求められるだろう。今後も紆余曲折はあるだろう。それでもなお予備選の推進が求められている。 自民党にとっても国民にとっても必要なことだからである。

テロリストへの反撃は当然

2001年10月21日

「テロリストへの反撃は当然」

同時多発テロ発生。報復反対論の迷妄を撃ち、日本外交のあるべき姿を指し示す力作

◆テロへの反撃は自衛権の発動

世界を震撼させたニューヨークなどでの同時多発テロから一か月余りがすぎた。 アメリカはテロの首謀者と目されるビンラーディンをかくまうアフガニスタンのタリバン政権への攻撃を開始した。10月7日から空爆を開始し、いよいよ地上部隊も投入された。小泉首相は「アメリカの行動を強く支持する」と表明している。私もまったく同感である。自国の中枢部をいきなり攻撃され、五千人を超える人命を奪われて、黙っていろというのが無理なことである。アメリカも独立国家である以上、自衛権を保有している。今回のような事態にこの自衛権を行使するのは至極当然のことである。

私はかつてコソボ紛争の時に、米軍によるユーゴ空爆を批判した(このホームページの「水野賢一の主張」99年4月20日号参照) 。しかし今回はまったく状況が異なる。 当時のユーゴスラビアのミロシェビッチ政権は確かに国内で非道な人権侵害を繰り返していたが、なにもアメリカを攻撃したわけではなかった。それに対し軍事的な制裁を加えるのはいかに人権擁護の理由があろうと行き過ぎではないかと考えたのである。 ところが今回はアメリカの中枢部が攻撃され、多くの人々が殺されたのである。ましてテログループはテロ続行宣言を出している。それに対し反撃を加えるのはまさに自衛権の発動である。

アフガン空爆直後のワシントンポスト・ABCテレビの調査によると爆撃を支持する米国民は94%にも上っている。ユーゴ空爆時の支持が55%だったのに比べても格段に高い。これは卑劣なテロへの怒りとともに自国防衛という意識のなせるわざであろう。

国際法上も自衛権の発動は国連憲章第51条で認められている。今回のテロ発生直後に採択された国連安保理決議1368でもアメリカに自衛権があることが確認されている。本来、どの国であっても国連に確認されるまでもなく自衛権は保持しているのだから、今回あらためて確認されたということは、アメリカが自衛権を発動することを国連が認めたと理解すべきである。いわばアメリカの空爆開始は国際法上も当然のことなのである。

◆説得力のない報復攻撃反対論

だが世の中にはその当然のことを理解しない人がいる。戦争反対というもっともらしいスローガンのもとに反撃に反対する人たちである。日本国内では社民党や共産党、さらには民主党の一部にこうした声がある。彼らは「報復はさらなる報復合戦を招く」「これ以上の犠牲者を出すな」と言う。その部分だけ聞くといかにも筋が通っているかのように聞こえる。しかしこの人たちの一番の泣き所は“ではどうすればよいのか”という一番肝腎な疑問にまともに答えていない点である。肝腎なのは今回のテロに関与した一派をいかに捕まえ、どうやって裁きの場へと引きずり出すかということである。ところがこの一番重要な部分になんら説明がないのである。

よく「テロの温床となる貧困を解決する必要がある」という人がいる。それは決して間違った主張ではない。だがこのことばかり言ってもそれは争点そらしにすぎない。まず一番最初にやるべきことは今回、五千人もの命を奪った犯人一味を徹底的に摘発し、撲滅することなのである。報復攻撃反対という人たちはまず、今回の犯人をいかに撲滅するかの手法を提示すべきである。この部分で明確で実効性のある提言ができない以上、いくら報復反対と叫ぼうが説得力はない。まして被害を受けた当事者たるアメリカが納得するわけもない。「報復をするな」ということは言い換えれば「泣き寝入りをしろ」ということである。殺された側に泣き寝入りをしろと説く以上、それ相応の責任と負担を覚悟した上で言うのが常識である。例えば「アメリカに代わって日本がテロリストを摘発するから軍事力には訴えないでくれ」とか「武力を使わなくても資金源を断つことでテロリストを封じ込めよう」などという代替案があるならばまだ分かる。 しかしいわゆる反戦平和主義者たちはただ単に「報復攻撃反対」と叫んでいるだけである。これでは何の説得力も持たないし、アメリカ側には一顧だにされないのがおちだろう。

◆「報復反対」の欺瞞

また奇妙なことに、こういう人たちはアメリカに対してだけ「報復反対」との声を上げている。攻撃を招いているのはビンラーディンを引き渡さないタリバンの姿勢である。 そうである以上、アメリカに物申す時よりもさらに倍する情熱を込めてタリバンに対し「ビンラーディン引き渡し」を求めるべきだろう。現に国連も今回のテロ事件が発生する以前からビンラーディン引き渡しをタリバンに対し要求している。こうした国際世論にタリバンが応じないことに今日の大きな問題がある。「報復反対」を唱える人たちがタリバンに対しては急に沈黙してしまうというのはどういうことだろうか。こういう欺瞞に満ちた姿勢が彼らの説得力をさらに弱めている。

さらに世の中には変わった人もいるもので「憲法9条をアメリカに輸出しろ」という声まで聞こえてくる。どういう思想信条を持とうと結構だが、現実にテロの犠牲者が出ている以上、憲法の輸出を考えるよりも犯人一味を撲滅することを考える方が先だろう。そしてどうしても憲法を輸出したいのならばまずタリバンにでも輸出して彼らに平和愛好勢力になってもらったらよいのではないか(まず無理だが)。

◆軍事力では解決にならないか

「軍事力では解決にならない」という人もいる。確かに「軍事力だけ」では問題が100%解決するとはいえない。テロ根絶のためには他の努力も必要である。例えば彼らの資金源を断ち切ることも大切である。また外交努力や情報収集、さらにはテロリストに悪用されそうな化学物質や放射性物質の厳格な管理も求められる。もちろん貧困解消や中東などでの地域紛争の解消などテロの温床をなくすことも必要だろう。いわば総力戦である。ただそれらは軍事力の使用となんら矛盾はしない。テロリストの軍事基地や訓練施設を攻撃することと情報収集や貧困の解消を同時並行的に進めればよいだけのことである。軍事力の行使だけを排除しなければならない理由はどこにもない。

「軍事力の行使は報復テロを招く」という声もある。その可能性は否定しきれない。しかし何もしなければテロは起きないのだろうか。現にまったく唐突に五千人以上の無辜の人々が殺されているのだ。これが繰り返されないという保証がどこにあるのだろうか。 「行動に危険も予想されるが、何もしないことによる危険の方がはるかに大きい」というブレア英首相の言葉にこそ説得力がある。

◆「テロリストにも言い分」論の危険

さてテロの背景の説明としてアメリカの中東政策をあげる人もいる。テロは悪いがその原因を生み出したのはアメリカだという論法である。これも喧嘩両成敗のようで俗耳に入りやすい理屈である。しかしあたかもアメリカ人はテロの犠牲になってもかまわないかのようなこの理屈は到底容認できない。このさいアメリカの政策が正しかったか間違っていたかは問題ではない。いかなるテロであろうと許されないのである。テロにも三分の理があるかのような言い草は新たなテロを誘発するだけで百害あって一利もない。残念ながらいわゆる進歩派の口からはこうしたタリバンのスポークスマンのような科白が出てくるのが現状なのである。仮にテロリストにも言い分があるとしよう。しかしそれを言えばオウム真理教だろうと極右テロだろうと言い分はあるだろう。言い分があるということは道理があるということにはならないのである。

実際のところ中東世界はさまざまな矛盾を抱えている。アメリカの政策もすべてが正しかったとはいえないかもしれない。が、それと同時にアラブ・イスラム圏自身も多くの問題を抱えている。現にアフガニスタンの混迷の一因はイラン、パキスタンなどイスラム教の隣国の介入にも帰せられる。その中でイスラム原理主義者たちは社会の諸矛盾をすべてアメリカの責任にしているというのが真相だろう。そしてこの単純な論理は一部の人たちには受け入れられやすい。善悪の構図が明快で、かつ他者に責任をすべて転嫁しているのだから自分たち自身の責任を問わなくてすむ。つまり楽なのである。アメリカにも原因があるという論の背後にはそういう面があることも見落としてはならない。

◆日本は何をなすべきか

ここまではアメリカがタリバンを攻撃するのは自衛権に基づくもので正当な行為だということを述べてきた。それ以上に主眼だったのは「報復反対」なるスローガンを掲げる人々の論拠の薄弱さを指摘することだった。さてここからは日本自身が対テロ戦争にどう関わるべきかを考えてみたい

アメリカの行動を支持すべきなのは言うまでもない。重要なのは支持を口にするだけでなく、実際に支援を行なうことである。その点、政府が今国会にテロ対策特別措置法を提出し、米軍などの後方支援や難民救済を実施する方向で動いていることは高く評価できる。

こうした支援が必要な理由を二つあげてみたい。一つは日本は国際社会の一員だということである。現在、国際社会はテロ撲滅のために連帯している。その中で日本だけが我関せずということは許されない。これに関しては小泉首相が10月2日の衆議院本会議でまさに当を得た発言をしているので、少し長くなるがそれを引用する。「戦前、何で戦争を起こしたのか。それは、国際社会から孤立したからなんです。戦争をしない、繁栄のうちに平和を確保するという日本の戦後の国是は、二度と国際社会から孤立しない、国際協調こそが日本の平和と繁栄の基礎であるという観点から、戦後、日本政府はやってきたんですよ。今、世界がテロと対決しようとするときに、日本だけは、あれはしませんこれはしません、そんなことで世界から日本が名誉ある地位を占めることができるんですか。(中略)やるべきことをやらないで国際社会から孤立したら日本の平和と繁栄はあり得ないということを銘記していただきたい」。まったく同感である。この認識こそが日本の進むべき道である。

支援が必要な第二の理由はやはり日米関係の維持のためである。日米は同盟国である。同盟国である以上、相手国の危難に際して手をさしのべるのは当然のことである。 まさかの時の友こそ真の友という。こういう時に支援に躊躇すれば同盟の基礎である信頼関係が維持できるはずがない。こういうことを言うとよく「米国追従」などという陳腐な批判がある。だが日米関係に配慮することは当然であり、なんら恥じ入ることはない。 おかしいのはこうした批判が中国や韓国には平気で追従する人々によってしばしばなされることである。

◆テロ根絶支援は日本のため

もちろん国際社会との協調姿勢を貫くことも日米関係を強固にすることも日本自身のためでもある。日本にもテロの可能性はある。イスラム過激派による場合もあるかもしれないし、まったく別の勢力によるテロかもしれない。なにしろ日本はカルト教団が地下鉄で化学兵器を撒くという世界史上前例のない事件がおきた国である。日本だけが安全ということはありえない。まさにテロは人ごとではないのだ。もし日本に国際テロの脅威が及んだ時には、国際的な協力のもとでわが国を守らなければならない。外交は相互主義が原則である。日本が被害を受けたら守ってもらうが人の危難は知らないというのは通用しないのである。

◆支援してこそ対米説得力も

私はなにも日本がアメリカと常にまったく同じことをすべきだと言っているわけではない。米側とてそれを望んではいないだろう。99年のユーゴ空爆のような時は支援する必要はないと思う。また今回のテロ根絶のための作戦でもアメリカが武力行使をするのに対し、日本は直接の武力行使はしない。違いはあってもよいと思う。日本が何をすべきかはその都度、主体的に判断すればよいのである。ただ今回の場合は、支援するという大筋は絶対に外してはならない。その理由は以上述べてきた通りだが、さらに付け加えれば、支援することが今後、アメリカに対して言うべきことを言う時にも役に立つということも忘れてはならない。

例えば今後、アメリカに対し軍事力行使の抑制を求めるべき時もあるかもしれない。もしくはアフガンの復興について日本が主導的な役割を果たすかもしれない。そういう時のためにも今、アメリカに協力することは必要なのである。日本がアメリカに物申すにしても信頼関係が築かれていてこそ効果がある。個人の場合でも何もしないでただ文句だけ言っている人間のいうことには誰も耳を傾けない。国家の場合も同じことである。

また私は、これからの日本は環境問題をはじめ地球規模の様々な問題を解決するために役割を果たすべきだと信じている。その時にはアメリカにも同調してもらわなければ困る。これまでは地球温暖化問題などでアメリカの消極的姿勢が目につく。この姿勢を転換させるべく日本としても働きかける必要がある。その時に説得力を増すためにも、いま日米の信頼関係を高めなければならない。有り体に言えば、今回のテロ対応では貸しをつくるくらいのことを考えてもよい。これはあまり指摘されていないが重要な視点だと思っている

◆毅然たる態度を

テロとの戦いは今後長く続くだろう。相手は見えない敵である。決して楽な戦いではない。ビンラーディンらを倒したとしてもまったく別の種類のテロリストが生まれる可能性もある。愉快犯による模倣も十分考えられる。我々が暮らす社会は、少人数でも多大な被害を引き起こせる時代になってしまったのである。好むと好まざるとにかかわらず科学技術の発達がそういう時代を生み出した。それを思うと暗澹たる気持ちになる。それでもなおかつ私たちはテロとは断固戦わなければならない。平和で安心できる社会を作るべく努力を続けなければならない。そうした毅然たる態度こそが平和な社会を守る最後の砦だからである。

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