• TOP  >  
  • 月別アーカイブ: 2001年12月

けんいちブログ

成田新高速鉄道の予算が計上

2001.12.24

「成田新高速鉄道の予算が計上」
たゆまぬ努力の中、ついに予算を確得。2010年開業に向け大きく前進させる

◆成田新高速鉄道の予算がつく
平成14年度予算の編成も終わった。私にとって特筆すべきことはこの中に成田新高速鉄道の関連予算が新たに含まれたことである。この鉄道の整備については昨年の衆議院選挙でも公約として掲げた。ホームページやチラシでも数回にわたってその必要性を訴えてきた。予算が獲得できたことにより2010年開業という目標に向け、大きく前進したことになる。心から喜ぶとともに関係者の御尽力に感謝申し上げたい。

この鉄道が完成すると成田空港と都心は36分で結ばれることになる。これまで同じ区間を京成スカイライナーが51分かかったのに比べると15分の短縮である。新東京国際空港公団が今年発表した日本人旅行者対象のアンケート調査によると、成田空港への満足度は施設の清潔さなどでは高いのに対し、空港へのアクセスについては世界の主要25空港中ワースト1になっている。都心から遠いというのが成田空港の弱点だった。それがこの鉄道によって改善されることになる。空港から1時間以内の昼間人口も288万人から1114万人に増えるという。さらに忘れてはならないのが千葉ニュータウンの利便性が高まることである。現在は都心との交通があるだけで袋小路になってしまっているこの地域から成田にも容易に行けるようになる。

◆画期的な補助率の嵩上げ
実はこの鉄道の構想を運輸省(現・国土交通省)が打ち出したのは昭和59年のことである。だがその後長い間、事実上なんの進展もないまま放置されてきた。鉄道建設には莫大な資金が必要である。その資金調達の目途が立たなかったからである。そこで国による補助が求められていた。今回、画期的だったのは成田新高速鉄道に限って補助率が嵩上げされたことである。成田空港のようにアクセス改善が求められている部分には重点的に公的助成をすべきだという主張が受け入れられた。これまでの仕組みでは空港にアクセスする鉄道の場合、建設費の36%を国と地元が補助するようになっていた。それがこの成田新高速鉄道に限っては国と地元で合計3分の2の補助をすることになったのである。これによって建設に弾みがつくことになる。

私も補助率の引き上げを求めて昨年4月に国会質問をした。成田の利便性を高めるために国が責任を持つ必要があると考えたからである。ただその頃はまだ、補助率嵩上げはとても無理といった雰囲気だった。アクセス鉄道の必要性を十分に理解してくれる人の中でさえ諦めの感が漂っていた。財政難の中、補助率を引き下げることはあっても引き上げなどは夢のまた夢という反応だった。 それを振り返ってみると我ながらよくここまできたという思いもある。また開業時期についても当時は2015年と言っていたが、現在では2010年を前提に話が進むようになったことも感慨深い。

もちろんまだまだ越えるべき山は多い。例えばこの路線は印旛沼の上を通過することになるので環境アセスも大きな課題である。また資金面一つをとってみても地元負担という場合の千葉県と市町村の負担割合もこれからの折衝になる。今後もこうした諸問題を一つずつ解決していく努力が必要である。

◆アクセス改善で都市再生へ
政治の世界では「我田引水」ならぬ「我田引鉄」という言葉が使われる。 政治家が地元への利益誘導として鉄道を引っ張ってくるという意味である。整備新幹線などでよくみられる光景である。これは今に始まったことではない。

大正期の平民宰相・原敬が露骨な「我田引鉄」によって政友会の党勢拡張を図ったことは有名である。成田新高速鉄道も地元の利益になることは間違いない。だがそれは決して単なる地域エゴではない。空港の利便性をよくすることは成田に空港を建設することを決定した国の責務である。また空港と都心を速く結ぶということは地元のみならず多くの国民や旅行者の利益にもつながる。今になって初めて予算が採択されたというのはむしろ遅きに失したといえるくらいであろう。

先に述べた通り、この鉄道の構想は以前からあったものの長らく凍結状態にあった。建設に向けての機運が加速度的に高まってきたのは昨年からのことである。私自身も多少はその気運を醸成するのに寄与しえたと自負している。だが最後の決め手になったのは今年になって千葉県において堂本知事が誕生し、国において小泉内閣が誕生したことだと思う。堂本知事は就任後、真っ先にこの鉄道の必要性を訴え、国に対しても働きかけを続けた。 また小泉政権は「都市再生」を大きな政治課題として掲げた。こうして都市住民の生活利便性を向上させるためにも空港アクセスの改善が必要だという雰囲気が盛り上がってきた。こうした追い風が予算獲得につながったといえる。

◆調査なくして発言権なし
私自身もこの問題に取り組むことは大いに勉強になった。補助率の引き上げなど難しいとされていた課題が多かっただけに、徹底的に調べ上げる必要があった。また地域エゴではないことを分かってもらうためにも部外者を説得できるだけの材料も揃えなければならなかった。そうした中で痛感したのは、政治家が自分で物事を調べていくことの重要性である。同僚の議員たちの中にも、よく知らないことや単なるその場の思いつきを平気で得々と語る人もいる。だがそうした議論には説得力がない。現実を動かすだけの力もない。

『毛沢東語録』に“調査なくして発言権なし(没有調査、没有発言権)”という言葉がある。私は毛沢東を尊敬するどころかむしろ批判する側に立つが、少なくともこの言葉は真実を衝いていると思う。調査をすることで発言にも重みが増す。調査なくして政策立案能力を高めることもありえない。

成田新高速鉄道の実現に向けては一つの区切りがついた。しかし今後の政治活動にあたっても徹底した調査とそれに基づく説得力ある提言を続けていきたいと自戒を込めながら考えている。
cf.成田新高速鉄道については「水野賢一ホームページ」の“水野賢一の主張”欄の2000年6月8日、01年2月4日、01年8月17日でも取り上げている。ご参照いただきたい。

〔参考資料〕
◎成田新高速鉄道の総事業費
新線区間 917億円
北総・公団線区間改良 295億円
空港駅改良(インフラ外部) 74億円
空港駅改良(インフラ部) 281億円 合
計 1567億円

◎財源スキーム
空港内インフラの281億円は空港公団が整備
残りの1286億円のうち、
・負担金  261億円…地元と空港公団が負担
・出資金  205億円…地元、空港公団、その他で出資
・補助金  461億円…国、地元が230億円ずつ
・借入金  359億円…線路使用料収入から充当
(以上、国土交通省資料より作成)

cf.補助率は3分の2だがあくまでも補助対象事業費の3分の2のため1286億円の3分の2にはならない。

女性天皇と夫婦別姓

2001.12.12

「女性天皇と夫婦別姓」
日本の長い歴史からみれば不自然でない女性天皇と夫婦別姓。錯覚を打破し改革を

◆活発になる女性天皇論議
今年の後半は不景気、テロ、狂牛病と暗い話題が続いていた。その中で久々に明るさを提供したのが皇太子ご夫妻に初のお子さまが誕生したというニュースである。12月1日に生まれた内親王殿下は敬宮愛子さまと名付けられた。皇室のご慶事に対し心からお喜び申し上げたい。

敬宮さまのご誕生で女性天皇の是非についての議論が再び活発になってきた。現在の皇室典範は第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。つまり女性は天皇になる資格がない。だがどういうわけか皇室に新たに誕生するのは女の子ばかりという状況が続いている。男子が生まれた例は昭和40年の秋篠宮さまを最後に途絶えている。その後、天皇家・宮家でお生まれになったのは紀宮さま、秋篠宮ご夫妻の二人のお子さま、そしてこのたびの敬宮さまなど9人連続で女子である。男女が半々ずつ生まれるとすれば、9人連続して女子が生まれる確率はわずか512分の1になる。だが現実にこうした事態が起きているのである。

◆8人もいた女性天皇
このままでは皇統が絶えてしまうという危機感が女性天皇を認めようという声を呼び起こしている。もちろん男女同権という時代の流れもある。 私も女性天皇を認めるべきだと思っている。そのために時機を見て皇室典範の改正も行なうべしと考えている。そもそも女性天皇は前例のないことではない。これまでに8名も存在している。初めての女帝は聖徳太子の叔母として有名な推古天皇である。最後が江戸時代中期の後桜町天皇だから、もしそう遠くない将来、女性が即位されるようなことがあれば二百数十年ぶりの女性天皇復活ということになる。

歴史的に見るならば天皇を男子に限定したのが明治以降のことなのである。明治22年に制定された大日本帝国憲法と旧皇室典範で定められた。今から110年余り前のことである。我々個人の感覚でいえば明治以降の百年というのは極めて長い期間である。そのため天皇は男子に限るというのがあたかも日本の歴史的伝統のように思い込みがちである。だが我が国の長い歴史から見ればむしろ新たな取り決めにすぎない。女性天皇が即位しても決して伝統や文化に背くものではない。

◆伝統ではない夫婦別姓
伝統にあらざるものを伝統だと錯覚している例が他にもある。いま話題の夫婦別姓についてである。現在、民法750条によって夫婦は同じ苗字を名乗るようになっている。これを改正して別姓の夫婦も容認すべきだという動きがある。だがそれに対する猛反発もわきあがっている。反対論者たちは「夫婦別姓は伝統を壊し、家族制度を破壊する」と主張している。夫婦は同姓というのがあたかも日本の伝統のような言いぶりである。

しかし夫婦は同姓というのも明治以降に決まったことにすぎない。それ以前の時代は武家以外が姓を名乗ることは制限されていたが、武士階級では源頼朝夫人が北条政子だったり、足利義政夫人が日野富子だったりするように夫婦別姓こそ普通だったのである。明治になって平民が苗字を使えるようになってもしばらくそれは続いた。それどころか明治新政府は女性は結婚後も実家の姓を名乗るように命じていた。それが明治31年に成立した民法によって夫婦は同じ姓と定められたのである。

◆選択的別姓論
夫婦別姓論についてはさらに大きな誤解がある。私を含めてほとんどの別姓推進論者は「必ず別姓にしろ」と言っているわけではない。別姓にしたい人は別姓にし、同姓にしたい人は同姓にすることを主張しているだけである。好きな方を選べるようにするということにすぎない。だから正しくは“選択的夫婦別姓論”というべきなのである。至極常識的な考えだと思うが、自民党内には反対が強く今年中の法改正は断念せざるをえなかった。

だがいったいこの案のどこに問題があるのだろうか。別姓を強制するというのであれば反対が強くて当然である。しかし実際の夫婦別姓論というのは“選択的夫婦別姓”なのである。これはちょうど離婚の権利を認めるようなものである。離婚の権利があるからといってすべての人が離婚するわけではない。離婚の権利を行使しないのも当然自由である。そして現に権利を行使しない人の方が多数なのである。選択的夫婦別姓も同じことである。とりたてて別姓を奨励しているわけでもない。別姓にしたい人だけがそうすればよいのであって、したくない人はその権利を行使しなければよい。つまり自由に任せるのである。その結果、同姓にする夫婦の方が多くても何らかまわないのである。

これに対し別姓反対論者というのは夫婦同姓を強制しようとしている。だが現に姓を変えるのは嫌だという人がいるのである。理由はさまざまである。仕事上の不都合を指摘する人もいる。自己喪失感を訴える人もいる。一人っ子なので改姓すると家名がなくなってしまうという場合もあろう。はたまた改姓すると姓名判断で運勢が悪くなるという人さえいる。 いずれにしても同姓を強制されたくない人が少なからずいる以上、そういう声も吸い上げていくのが政治ではないだろうか。

◆錯覚を打破し改革を
もちろん実際に法改正をする場合には細かな点もきちんと詰めておかなければならない。夫婦別姓の場合、子供の姓はどうするかということはその一例である。こうした細部の議論が煮詰まっていないことをもって時期尚早という人もいる。しかし何よりも反対論の根本にあるのは現状の変革を嫌う感情論である。そしてそれを補強しているのが伝統や文化の維持という理屈である。しかしそれが錯覚にすぎないのは前述した通りである。

幕末に攘夷論が渦巻いた時、多くの人は鎖国は日本開闢以来の祖法であるかのように信じこんでいた。だが実際には鎖国は古来の法でも何でもなかった。徳川三代将軍・家光の時に確立したものであり、それ以前には外国と交易していた時代もある。このことを指摘して「航海遠略策」という開国論を説いたのが長州の長井雅楽だった。長井は悲命に斃れることになるが、結局、明治維新後の日本は広く世界と交易する中で発展していった。錯覚によって旧弊を墨守してはならない。改革すべき点は大いに改めればよい。女性天皇、夫婦別姓の問題もまた然りである。 そしてそれはこの国の長い歴史の中で育まれてきた伝統や知恵となんら矛盾するものではないのである。

ページ上部へ