けんいちブログ

女性天皇と夫婦別姓

2001.12.12

「女性天皇と夫婦別姓」
日本の長い歴史からみれば不自然でない女性天皇と夫婦別姓。錯覚を打破し改革を

◆活発になる女性天皇論議
今年の後半は不景気、テロ、狂牛病と暗い話題が続いていた。その中で久々に明るさを提供したのが皇太子ご夫妻に初のお子さまが誕生したというニュースである。12月1日に生まれた内親王殿下は敬宮愛子さまと名付けられた。皇室のご慶事に対し心からお喜び申し上げたい。

敬宮さまのご誕生で女性天皇の是非についての議論が再び活発になってきた。現在の皇室典範は第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。つまり女性は天皇になる資格がない。だがどういうわけか皇室に新たに誕生するのは女の子ばかりという状況が続いている。男子が生まれた例は昭和40年の秋篠宮さまを最後に途絶えている。その後、天皇家・宮家でお生まれになったのは紀宮さま、秋篠宮ご夫妻の二人のお子さま、そしてこのたびの敬宮さまなど9人連続で女子である。男女が半々ずつ生まれるとすれば、9人連続して女子が生まれる確率はわずか512分の1になる。だが現実にこうした事態が起きているのである。

◆8人もいた女性天皇
このままでは皇統が絶えてしまうという危機感が女性天皇を認めようという声を呼び起こしている。もちろん男女同権という時代の流れもある。 私も女性天皇を認めるべきだと思っている。そのために時機を見て皇室典範の改正も行なうべしと考えている。そもそも女性天皇は前例のないことではない。これまでに8名も存在している。初めての女帝は聖徳太子の叔母として有名な推古天皇である。最後が江戸時代中期の後桜町天皇だから、もしそう遠くない将来、女性が即位されるようなことがあれば二百数十年ぶりの女性天皇復活ということになる。

歴史的に見るならば天皇を男子に限定したのが明治以降のことなのである。明治22年に制定された大日本帝国憲法と旧皇室典範で定められた。今から110年余り前のことである。我々個人の感覚でいえば明治以降の百年というのは極めて長い期間である。そのため天皇は男子に限るというのがあたかも日本の歴史的伝統のように思い込みがちである。だが我が国の長い歴史から見ればむしろ新たな取り決めにすぎない。女性天皇が即位しても決して伝統や文化に背くものではない。

◆伝統ではない夫婦別姓
伝統にあらざるものを伝統だと錯覚している例が他にもある。いま話題の夫婦別姓についてである。現在、民法750条によって夫婦は同じ苗字を名乗るようになっている。これを改正して別姓の夫婦も容認すべきだという動きがある。だがそれに対する猛反発もわきあがっている。反対論者たちは「夫婦別姓は伝統を壊し、家族制度を破壊する」と主張している。夫婦は同姓というのがあたかも日本の伝統のような言いぶりである。

しかし夫婦は同姓というのも明治以降に決まったことにすぎない。それ以前の時代は武家以外が姓を名乗ることは制限されていたが、武士階級では源頼朝夫人が北条政子だったり、足利義政夫人が日野富子だったりするように夫婦別姓こそ普通だったのである。明治になって平民が苗字を使えるようになってもしばらくそれは続いた。それどころか明治新政府は女性は結婚後も実家の姓を名乗るように命じていた。それが明治31年に成立した民法によって夫婦は同じ姓と定められたのである。

◆選択的別姓論
夫婦別姓論についてはさらに大きな誤解がある。私を含めてほとんどの別姓推進論者は「必ず別姓にしろ」と言っているわけではない。別姓にしたい人は別姓にし、同姓にしたい人は同姓にすることを主張しているだけである。好きな方を選べるようにするということにすぎない。だから正しくは“選択的夫婦別姓論”というべきなのである。至極常識的な考えだと思うが、自民党内には反対が強く今年中の法改正は断念せざるをえなかった。

だがいったいこの案のどこに問題があるのだろうか。別姓を強制するというのであれば反対が強くて当然である。しかし実際の夫婦別姓論というのは“選択的夫婦別姓”なのである。これはちょうど離婚の権利を認めるようなものである。離婚の権利があるからといってすべての人が離婚するわけではない。離婚の権利を行使しないのも当然自由である。そして現に権利を行使しない人の方が多数なのである。選択的夫婦別姓も同じことである。とりたてて別姓を奨励しているわけでもない。別姓にしたい人だけがそうすればよいのであって、したくない人はその権利を行使しなければよい。つまり自由に任せるのである。その結果、同姓にする夫婦の方が多くても何らかまわないのである。

これに対し別姓反対論者というのは夫婦同姓を強制しようとしている。だが現に姓を変えるのは嫌だという人がいるのである。理由はさまざまである。仕事上の不都合を指摘する人もいる。自己喪失感を訴える人もいる。一人っ子なので改姓すると家名がなくなってしまうという場合もあろう。はたまた改姓すると姓名判断で運勢が悪くなるという人さえいる。 いずれにしても同姓を強制されたくない人が少なからずいる以上、そういう声も吸い上げていくのが政治ではないだろうか。

◆錯覚を打破し改革を
もちろん実際に法改正をする場合には細かな点もきちんと詰めておかなければならない。夫婦別姓の場合、子供の姓はどうするかということはその一例である。こうした細部の議論が煮詰まっていないことをもって時期尚早という人もいる。しかし何よりも反対論の根本にあるのは現状の変革を嫌う感情論である。そしてそれを補強しているのが伝統や文化の維持という理屈である。しかしそれが錯覚にすぎないのは前述した通りである。

幕末に攘夷論が渦巻いた時、多くの人は鎖国は日本開闢以来の祖法であるかのように信じこんでいた。だが実際には鎖国は古来の法でも何でもなかった。徳川三代将軍・家光の時に確立したものであり、それ以前には外国と交易していた時代もある。このことを指摘して「航海遠略策」という開国論を説いたのが長州の長井雅楽だった。長井は悲命に斃れることになるが、結局、明治維新後の日本は広く世界と交易する中で発展していった。錯覚によって旧弊を墨守してはならない。改革すべき点は大いに改めればよい。女性天皇、夫婦別姓の問題もまた然りである。 そしてそれはこの国の長い歴史の中で育まれてきた伝統や知恵となんら矛盾するものではないのである。

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