けんいちブログ

予備選とは何か(下)

2001.10.30

「予備選とは何か(下)」
宮城4区での予備選。その実態を迫真のレポート。これぞ“予備選のバイブル”完結編。

◆宮城の例ー予備選実施の背景
予備選を求める声が強まる中、初めてこれを本格的に実施したのが自民党宮城県連である。今年10月28日に行なわれた宮城4区の補欠選挙の自民党公認候補を予備選によって選出した。私はこれは画期的な試みだと考え、宮城に行きその過程の一部を見せてもらった。 その見聞を踏まえながら、今回の予備選の内容をおさらいしてみたい。

話は平成13年9月4日、宮城4区選出の伊藤宗一郎衆議院議員が逝去されたことに始まる。伊藤氏は当選13回の大ベテランで、昨年までは衆議院議長をつとめていた。小選挙区選出の議員に欠員が出た時は補欠選挙が行なわれる。公職選挙法によって3月16日から9月15日までに欠員が出た場合の補選は10月の第4日曜日に実施されるので、投票日は10月28日となった。

この伊藤氏の後継候補に最初に言及したのが高村派の高村正彦会長だった。伊藤氏は高村派に所属していたためである。高村氏は伊藤氏が死去した4日に「後継候補は伊藤氏の長男の伊藤信太郎氏の見込み」ということを発言した。信太郎氏はテレビキャスターなどを経たあと東北福祉大の教授をしており、48歳である。また5日に行なわれた伊藤宗一郎氏の葬儀の席で小泉純一郎首相も信太郎氏への支援を呼び掛けたとされる。

こうした動きが報道されると地元の宮城県の関係者に強い反発を引き起こした。「地元の我々の知らないところで勝手に候補者選考が進められている」「なぜ宮城4区の候補者を派閥が決めるのか」という声が噴出してきた。宮城県連は9月11日に高村氏に抗議文を送ることになる。

候補者選考が地元を軽視し、派閥の論理で行なわれていると見られたことが予備選の実施につながっていく。自分たちの候補は自分たちで決めようという流れが一気にできていった。宮城県連幹事長をつとめる土井亨県議はいう。「最初から地元の意向を聞いてくれれば、すんなりと信太郎さんで弔い合戦をしようということになったと思う。それが中央の派閥次元で候補者選考を進めたから皆が反発して、予備選を実施しようということになった」。

このような反発にさらに拍車をかけたのが地域事情だった。宮城4区は塩釜市、古川市、多賀城市など17市町村からなる。位置的には仙台よりもやや北側である。この選挙区は塩釜市、多賀城市などの沿岸部と古川市、加美郡などの内陸部を抱えている。沿岸部には日本有数の漁港があり、内陸部は穀倉地帯である。伊藤家は内陸部の加美郡中新田町というところの出身である。そこで沿岸部からは今度は自分たちの地域から候補を出すべきだという声が出てきたという面もある。

◆予備選実施が決定
9月12日、宮城4区の支部長幹事長会議が開かれた。この地域から選出されている県議や17市町村の自民党支部の支部長ら約50名が集まった。ここで予備選の実施が正式に決まった。まず自民党から立候補したいという人を公募し、もし複数の人が応募してきたならばこの地域の党員・党友7500名で予備選を行ない候補者を決定するというものである。もちろんすでに出馬の意向を示している伊藤信太郎氏にも公募に応じてもらい、この手続きに参加してもらうことになった。ただこの時点では本当に複数の人が手を上げ、予備選が実施されることになるかは疑問視されていた。土井幹事長は「この時点では7~8割方、立候補者は伊藤信太郎さんだけということになるだろうと思っていた」と振り返る。またこの日の段階では予備選の具体的な細目までは決まっていなかった。

こうして衆議院候補を決めるにあたってその地域の全党員が参加するという予備選が実施されることになった。こうした試みはおそらく全国初めてのことだろう。過去の候補者選びでも地方支部の役員会で決を採るということはあった。しかし全党員を参加させる本格的な予備選の前例はないだろう。そしてこの予備選が実施されることになった最大の原因が中央からのトップダウン的な手法に対する支部の反発だったことは記憶されて良い事実である。

自民党の候補者公募の期限は9月18日に定められた。伊藤氏は真っ先に13日に応募した。県連によれば他にも数名から問い合わせや応募の構えはあったというが、いずれも地元と関係ない人々で伊藤氏が選ばれることは間違いないかと思われた。だが締切日の18日になって新たな大物が立候補の届け出をしてきた。前参議院議員の亀谷博昭氏である。亀谷氏は県議を5期務めた後、平成7年から参議院議員を1期つとめた。今年7月の参議院選挙でも再選を目指したが、落選した。参議院の宮城選挙区は定数2で、自民党は公認候補として現職の亀谷氏、推薦候補として新人の愛知治郎氏を擁立した。結果は1位が民主党の岡崎トミ子氏、2位が愛知治郎氏で、亀谷氏は次点に泣くことになった。小泉ブームで自民党が大勝したこの選挙で、再選を目指した自民党公認が敗れたのは全国でも亀谷氏と静岡県の鈴木正孝氏の二人だけだった(他に公認漏れの自民党現職が新潟県と宮崎県で落選している)。

亀谷氏は県議時代は仙台市から選出されており、直接4区が地元というわけではない。しかし幼少期に多賀城市に住むなどこの地域との関係も深い。この亀谷氏の参戦により予備選としては盛り上がりをみせることになった。それまでは予備選という形式を整えただけで、伊藤氏が事実上無競争で選ばれる出来レースのように見る向きもあったが、ようやく選挙らしい形になってきた。もちろん「弔い合戦」になる伊藤氏の優位は揺るがないとの予想が強かったが、がぜん注目を集める選挙になったのである。

◆予備選の具体的方法
9月19日、再び4区内の支部長会議が開かれた。ここでは候補者の資格審査が行われた。公募である以上、誰が応募してくるか分からない。特に今回は、自薦してきた者であれば誰でも良いということだったので、どう考えても相応しくない人物やまったくの冷やかしなどでの応募もありえる。一定の審査や歯止めは必要だろう。ただし資格審査が恣意的に運用されてしまえば事実上、門戸を閉ざすことになりかねない。予備選を考える上で今後の課題である。今回は応募してきたのが伊藤宗一郎氏の長男と前参議院議員ということで資格にはまったく問題なしということで、これはすんなりとすんだ。

それと同時に予備選の具体的な方法を定めた要項も決められた。17の市町村支部にそれぞれ持ち点1を与え、それぞれの支部ごとに党員投票を行なうこととした。党員投票で勝った候補がその持ち点1を獲得し、合計で過半数(9点)を取った者が公認の資格を得る。持ち点方式を採用したのはアメリカの大統領選挙にやや似ているといえなくもない。投票は各市町村支部ごとに党員・党友集会を開催し、その場で投票することにした。

郵送投票という方式も検討されたが、あくまでも党員意識を持ち責任感を持った人に参加してもらうということで集会に足を運んで投票する形になった。この方法だと職域党員が足を運ばない可能性が高くなる。他の多くの地域と同じように宮城4区でも職域党員の数が圧倒的に多い。予備選の有権者は地域党員1050名、職域党員6405名、自由国民会議が115名、国民政治協会が8名の合計7578名である。 ざっと8割以上が職域党員である。郵送投票だとこの職域支部の組織票で結果が左右されるかもしれないという懸念もあったものと思われる。職域支部が投票用紙を集めて組織的な投票をすることさえありえなくもないという心配の声も聞いた。地域の支部長らには地道に活動している自分たちの声をきちんと反映してもらいたいと思いがあるのは当然だろう。かといって職域支部党員も立派な党員である以上、予備選から締め出すことはできるはずもない。そういう中でのぎりぎりの選択が地区ごとの党員集会に参加しての投票という方式だったのである。

党員集会では投票によって意思決定をするのが原則だが、支部内で話し合い決着で合意すればそれも認めることにした。仮に投票をしても数票単位になるような小さな支部では協議して決める方が現実的なこともあるという判断である。

また各地で党員集会を開くのに先立って、両候補の政見・人物像を知ってもらうために「政策フォーラム」という名の演説会を開くことも決めた。こうして政策フォーラム、党員集会の案内状を印刷・発送する作業が始まった。一方、両候補に対しては9月21日に「今般の補欠選挙の党公認候補選考は、公平性、透明性を確保したオープンで厳正に行われるべきものであり、選挙運動に当たっては常識の範囲内で行うこととする」との通達が出された。予備選は公職選挙法の対象外なのでどういう範囲の選挙運動を認めるかも今後の検討課題であろう。

◆政策フォーラム
予備選の大きな山場となる政策フォーラムは9月30日に二か所で開催された。この政策フォーラムには私自身も行って、この目で見たのでその内容についてやや詳しく述べてみたい。政策フォーラムは立候補予定者による演説会のようなものである。有権者たる党員が聴衆として両候補の識見を聞き比べ、投票の判断材料にしてもらう狙いがある。 先に述べたように宮城4区は沿岸部と内陸部に分かれている。そのため午前中に沿岸部で開き、午後には内陸部で開催された。

午前中の政策フォーラムは10時30分から松島町の松島センチュリーホテルで開かれた。日本三景の松島が目の前に見える場所である。参加した党員はおよそ70名くらいだろう。フォーラムはまず伊藤宗一郎氏への黙祷から始まった。そして土井亨県連幹事長が挨拶、続いて大沼謙一県議(宮城4区支部長代理)が挨拶、さらに伊藤康志県議(宮城4区支部幹事長)の経過報告と続いた。そして伊藤・亀谷両氏の政策・政治信条発表へと移った。どちらが先に発表するかはその場でクジで決めた。このあたりは公平を期すということでかなりきちんとやっていた。まずクジ引きの順番を決めるクジを引いた。ちなみにこれは立候補届出順ということで伊藤・亀谷の順に引いた。その結果、クジを引く順番は亀谷・伊藤になり、クジ引きの結果、発表順は伊藤・亀谷と決定した。 こうして伊藤氏が20分、亀谷氏が20分で自らの所信を披瀝した。それぞれ終了2分前になるとベルが時間を知らせた。伊藤氏は父への応援の感謝やその恩に報いたいと訴え、亀谷氏は参議院議員としての実績や即戦力であることを訴えた。参加した党員側からの質問の場はなかった。

この政策フォーラムはいわば立会演説会のようなものともいえる。ただ以前の立会演説会では野次が飛び交ったり、支持する候補の演説が終わると帰ってしまったりということが横行したとされるのに対し、そういうことはまったくなかった。予備選というのはあくまでも同じ党の中での競争である以上、紳士的に行なうことが求められるが、この政策フォーラムはその点は十分満たされたと思う。会場の参加者の何人かに話を聞いてみても「つい先日まで参議院議員だった亀谷さんはともかく伊藤さんの話は初めて聞いた」という人が多かったのでそれだけでも意味があったのではないだろうか。ちなみにそれぞれの陣営から参加者にパンフレット類や資料が配られるということもなかった。マスコミには公開されており、テレビカメラも数台入っていた。

同日午後1時30分からは今度は古川市の芙蓉閣で政策フォーラムが行なわれた。こちらは内陸部の古川市・加美郡・志田郡の党員の参加を予定していた。人数的には午前よりもやや多く100名は超えていた。内容は午前とほぼまったく同じである。

◆投票・開票
午後の政策フォーラム終了後、開催地の古川市ではすぐに党員集会が行われた。政策フォーラム参加者のうち古川市の党員が残り、ここで投票したわけである。ただ古川市の党員・党友1280人のうち投票したのは88人にとどまった。この日は他にも宮崎町、松山町、三本木町の党員集会も開催された。他の市町村の党員集会の開催状況は次の通りである。
10月1日(月) 鹿島台町
10月2日(火) 中新田町、小野田町、色麻町
10月3日(水) 塩釜市、多賀城市、松島町、七ヶ浜町
10月4日(木) 利府町、大和町、大郷町、富谷町、大衡村

これらの投票の結果は10月6日に一斉に開票された。最初は投票がすんだ地区ごとに開票して予定だったが、そうすると早々と大勢が決まってしまい、投票日が遅い地域の人たちの投票意欲をそぐ可能性が指摘されたことがある。また両候補の取りつ取られつの熾烈な争いになった場合にも終盤の選挙戦が変に加熱する恐れもあった。そのため投票がすむと投票箱は県連が保管し、箱の鍵は各支部長が持つという形で、開票は6日に一括実施となった。

開票結果は伊藤信太郎氏の圧勝だった。17市町村のうち15を伊藤氏が制した。亀谷氏が勝ったのは大郷町だけであり、塩釜市は両者が38票の同数だった。各市町村支部には持ち点1が割り当てられていたので、開票結果は、
伊藤信太郎 15.5票
亀谷博昭   1.5票
となった。投票を行ったのが13支部で、中新田・小野田・松島・宮崎の4町が話し合い決着だった。それぞれの市町村でどちらの候補が何票取ったかは発表されていない。ただ開票には両陣営の立会人もおり、マスコミにも公開されているのであえて隠しているわけでもないという。以下に17支部の結果と選考方法をまとめてみた。

市町村/勝者/選考方法
塩釜市/支持同数/投票(9.5%)
古川市/伊藤/投票(6.8%)
多賀城市/伊藤/投票(13.2%)
松島町/伊藤/話し合い
七ケ浜町/伊藤/投票(19.1%)
利府町/伊藤/投票(10.1%)
大和町/伊藤/投票(13.0%)
大郷町/亀谷/投票(7.5%)
富谷町/伊藤/投票(11.2%)
大衡村/伊藤/投票(38.5%)
中新田町/伊藤/話し合い
小野田町/伊藤/話し合い
宮崎町/伊藤/話し合い
色麻町/伊藤/投票(9.7%)
松山町/伊藤/投票(14.1%)
三本木町/伊藤/投票(12.0%)
鹿島台町/伊藤/投票(21.8%)
(括弧内の数字は投票率・読売新聞社調べ)

◆本選挙へ
これを受けて宮城県連は伊藤信太郎氏の公認申請を党本部に出し、自民党本部は伊藤氏の公認を10月9日に決定した。本選挙は16日に告示され、伊藤氏は公明党、保守党の推薦も取り付け選挙戦を戦っていく。他党についても簡単に触れておこう。民主党も候補者選考では迷走した。公募を掲げておきながら、それに応募した人物の間から候補者を選ばなかったのである。結局、税理士の山条隆史氏を公認した。同氏は昨年の衆議院選には神奈川16区から出馬して大敗している。過去に仙台の監査法人に勤めたことがある程度で、地元との関係は希薄である。共産党からは7月の参議院選にも挑戦した小野敏郎氏が立候補することになった。しかし一番注目を集めたのは無所属で立候補した本間俊太郎氏かもしれない。本間氏は昭和49年から宮城4区内に位置する中新田町長を4期つとめ、平成元年には社会党などの推薦を受けて宮城県知事に当選した。しかし知事二期目の平成5年にゼネコン汚職で逮捕され懲役2年6月の実刑判決を受けた。すでに服役を終えたとはいえ、立候補してきたことは大きな驚きをもって迎えられた。

本選挙はこの4人の間で10月28日に行なわれ、伊藤氏が当選した。 投票率は42.59%だった。
当 伊藤信太郎  63745自民
本間俊太郎 48871無所属
山条隆史 11683民主
小野敏郎 9281共産

◆課題ー宮城の実例に即してー
総じていえば宮城4区での予備選は成功だと思う。民主党の候補者選びが混迷しただけになおさら光るものがあったといえる。さらに予備選を勝ち抜いた伊藤候補が本選挙でも他党候補を破ったのだから最終結果も良かった。予備選を行なうこと自体が、ある種の選挙運動になっていたともいえる。予備選の届け出受付、政策フォーラム、党員集会などが行なわれるたびに地元紙面には記事が載り、開かれた自民党というイメージをつくることになった。

今後、予備選はさらに全国的に広がっていくだろう。私も今回の宮城の実験に関心を持ち現地に視察に伺ったが、他からも宮城県連に問い合わせが多数あったという。予備選に関心を持つ自民党の各県連からだったという。予備選導入という大きな流れはもはや避けられないのである。

もちろん予備選もよいことずくめではない。実際に導入するとしたならば課題も多い。そのすべてにここで完全な解答を与えられるものではない。しかし宮城県の例を詳細にみることによって解決へのヒントはみつかるかもしれない。ここでは予備選の抱える課題と宮城県での取り組みについて報告してみたい。

◆課題1ー敗者とのしこり
予備選を実施する上で最大の問題は、負けた陣営との間にしこりが残るということである。本来、政党にとって最大の敵は他党のはずである。自民党にとって本当の目的は本選挙で民主党や共産党などを打ち破ることである。しかし予備選という党内での戦いを先にやることで、敵との戦いを前にして党の亀裂を生む。そうなれば敵との戦いに集中できなくなるという疑念は誰もが抱くだろう。極端なことをいえば、負けた側が無所属であっても本選挙に立候補することもありえる。他党に漁夫の利を得られる可能性が高くなるということである。当然、この問題には十分な配慮が必要である。

ちなみに宮城県連では伊藤、亀谷両氏に9月19日付で「(予備選の)選考結果に従い、候補者決定後は自由民主党公認候補の当選に向け挙党体制で臨むことを誓約します」という誓約書に署名させている。これに対してはもちろん、紙切れなど信用できないという懸念もあろう。今回の選挙では敗者の無所属出馬という最悪の事態は起こらなかった。4区内の志田郡選出の大沼謙一県議は「しこりは一切ない」と断言する。関係者の中には「負けた方の協力などは望むのが無理。妨害してこなければ御の字」という人もいる。幸いにしてこの選挙では伊藤氏が本選でも勝利したために「しこり」の問題は表面化してこなかった。ともあれ今後、慎重に検討すべき課題である。

◆課題2ー投票方法
宮城4区では各支部に持ち点を与える方式を選択した。今回、支部ごとの投票にした狙いについて関係者はいう。「従来、地域支部と職域支部は接点があまりなかった。この予備選を通じてこの二つの支部を融合していきたかった」。また持ち点方式を採るにしても人口や党員数に関わりなくすべての支部が持ち点1ずつというのが良いかどうかも議論の分かれるところだろう。党員・党友が98名の大衡村も、1280名を数える古川市も同じ持ち点で果たして平等といえるかは検討の余地があろう。

さらに宮城4区では党員集会での投票という方式を選択した。しかしこのために投票率が低めだったこともまた事実である。逆に郵送投票を認めれば投票率は上がるだろうが、組織票や疑惑票の恐れもある。このあたりの問題は選挙の帰趨に大きく関わってくる。今回も「郵送投票だったら結果が変わっていたかもしれない」という県連幹部もいる。それだけにこの問題はきっちりと議論をしておく必要がある。宮城の例では伊藤・亀谷の両氏が立候補を届けた後に投票方法の細部が煮詰まった。補欠選挙で時間がなかったためやむを得ないとも思うが、今後各地で予備選を実施する場合には十分な配慮が必要だろう。

◆課題3ー有権者の資格
有権者の資格をどうするかもまた予備選の結果を左右しかねない重大な問題である。宮城4区では、平成13年8月末日に党員・党友になっている者を有権者とした。伊藤宗一郎氏が亡くなった後に駆け込み党員になった者は認めないということである。総裁選のように2年連続党員という資格は設けていない。もちろん地域党員・職域党員を問わず有権者である。

予備選直前に党員になった人も有権者として認めれば、党員獲得合戦になり党費たてかえなどを招く恐れがある。しかし党員増にはプラスに働くともいえ、そのバランスが求められるだろう。

◆課題4ー立候補者の資格
今回の予備選では立候補者の受付については二つことが定められていた。一つは「必ず本人が意思表示をすること」である。つまり自薦のみ認め、他薦は認めないということである。立候補というのは本人のやる気が基本なのだから当然と思える。もう一つは「わが党の理念・政策に共感・共鳴する人、党改革に情熱のある方であれば、基本的にどなたでも資格は問いません」とある。前述した通り一応、資格審査という手続きもあったが、立候補要件はかなり緩やかといえる。例えばこれを「立候補者は党員に限る」とか「宮城4区内在住者に限る」などとした場合には、応募できる人は格段に減ってしまう。開かれた予備選という理想とまったくの泡沫候補の排除との間で知恵が求められる問題である。

◆課題5ー予備選実施の時期
伊藤宗一郎氏の急逝から補欠選挙までわずか二か月足らずしかなかった今回は、予備選は本選挙直前に行わざるをえなかった。 だが今後、全国的に実施するならばその時期が問題になる。アメリカの議会のように解散がなければ話は簡単である。米上院の任期は6年(下院は2年)である。この場合は選挙の時期が最初から分かっているので本選挙のだいたい半年ほど前に予備選を実施している。しかし衆議院の場合は解散・総選挙がいつあるか分からない。解散してからでは遅すぎる。かといってあまり早く行うことにも疑問がある。この問題も要検討の課題である。

◆課題6ー選挙運動
予備選の選挙運動は公職選挙法の対象外である。そのため候補者指名争いが加熱すると、ともすれば選挙運動も過敏なものになりかねない。今回は県連・4区支部合同の“衆議院四区補選公認候補選考委員会(委員長・土井亨県連幹事長)”から「常識の範囲内で行う」との通達が両陣営に出された。関係者も「常識の範囲内」が守られたと振り返るが、この点も今後整理すべき課題といえよう。

◆課題7ー地域有力者の支配
党員が公認候補を選ぶといってもその党員の構成が偏っていることは往々にしてある。地域支部でも特定の個人に連なる人間だけが党員になっていることは珍しくない。こういうところで本当に有為な人材が選出されるかは疑問がある。現職は普通、党員たちとは密接な関係を築き上げているのでまず党員投票で負けはしないだろう。空白区であってもその地域の有力者の眼鏡に適った人物しか予備選で勝ち上がれないことは十分にありえる。そういう候補者では予備選には勝ったが、本選挙で負けるということもあるだろう。

つまり予備選を行なったからといって最良の候補者が選ばれるとは限らない。私はそれはそれで仕方がないと思う。それはその地域の党員の自己責任である。予備選が定着していく中でより良い人間を選び出すようになっていくのではないかと期待している。今のやり方のままでも最良の候補が選ばれるとは限らない以上、予備選に賭ける価値はあると思う。

◆今後に向けて
予備選にもまだまだ残された課題は多い。ここでどういうやり方が最善だとは言いがたい。これから大いに議論すべきなのである。当面は試行錯誤があるかもしれない。地域事情に応じて独自の予備選の形態があってもよいと思う。ただそれでも党本部で一定の基準づくりはする必要性があると思う。各地でバラバラに実施すると、予備選とは名ばかりで実態はとてもそれに値しないルールで実施する地区も出てくるかもしれない。そのためにも党本部のイニシアティブが必要なのである。

さらに現状では地方で予備選を実施しその結果を党本部に上げても、本部がひっくり返すことが可能である。宮城4区の場合は、たまたま予備選の結果通り、中央も伊藤氏を公認したので問題なかったが、今後地方と中央でねじれを起こすこともありえる。そういうことを起こさないためにも予備選に対して党本部が御墨付きを与えることが大切である。

ここまで主に衆議院の小選挙区を念頭において考察を加えてきた。だが議論が進めば別のアイディアもあるかもしれない。青年局のある党員は私に衆議院比例区に導入できないかと言ってきた。「比例区にも純粋比例の人がいる。コスタリカの場合は仕方ないにしても、中にはどうして比例の上位にいるのかよく分からない人もいる。それならばブロックごとに党員投票をして、比例の中に党員代表みたいな人間を入れられないか」というわけである。なるほど一理ある考えといえる。今後、議論が深まればさらにいろいろな意見が出てくるだろう。その中でより良い制度を目指せると期待している。

ただ予備選を導入するだけでなく、他の方法との複合によって効果が倍増することもありえる。例えば前に少し触れた候補者のプール制と予備選は互いに補完しあう制度だと思う。公募によって優れた人材を集めプールしておいても、彼らに立候補の機会を与えなくては意味がない。またいくら予備選を導入しても新しい顔ぶれが参入してこなくては制度が空洞化してしまう。こうしたこともさらに検討していくべきだろう。

多くの課題を残しながらも時代の大きな流れは予備選導入に向かっていると思う。アメリカでも最初から予備選が行なわれていたわけではない。政治改革の気風の中、1903年にウィスコンシン州が初めて導入した。あとは燎原の火のように広がり、現在では全米で完全に制度化されている。日本でもそうなっていくだろう。またそうなるべきだとも思う。

むろんのこと現職政治家からは強い抵抗が予想される。彼らの既得権に手をつけるからである。現在のところ新人が自民党公認になるには大きな「参入障壁」がある。予備選はこれを打破する。いわば「政界の規制緩和」である。抵抗があって当然である。それだけに現実には抵抗の少ない空白区から導入が始まることになるかもしれない。そのへんは柔軟さが求められるだろう。今後も紆余曲折はあるだろう。それでもなお予備選の推進が求められている。 自民党にとっても国民にとっても必要なことだからである。

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