けんいちブログ

テロリストへの反撃は当然

2001年10月21日

「テロリストへの反撃は当然」

同時多発テロ発生。報復反対論の迷妄を撃ち、日本外交のあるべき姿を指し示す力作

◆テロへの反撃は自衛権の発動

世界を震撼させたニューヨークなどでの同時多発テロから一か月余りがすぎた。 アメリカはテロの首謀者と目されるビンラーディンをかくまうアフガニスタンのタリバン政権への攻撃を開始した。10月7日から空爆を開始し、いよいよ地上部隊も投入された。小泉首相は「アメリカの行動を強く支持する」と表明している。私もまったく同感である。自国の中枢部をいきなり攻撃され、五千人を超える人命を奪われて、黙っていろというのが無理なことである。アメリカも独立国家である以上、自衛権を保有している。今回のような事態にこの自衛権を行使するのは至極当然のことである。

私はかつてコソボ紛争の時に、米軍によるユーゴ空爆を批判した(このホームページの「水野賢一の主張」99年4月20日号参照) 。しかし今回はまったく状況が異なる。 当時のユーゴスラビアのミロシェビッチ政権は確かに国内で非道な人権侵害を繰り返していたが、なにもアメリカを攻撃したわけではなかった。それに対し軍事的な制裁を加えるのはいかに人権擁護の理由があろうと行き過ぎではないかと考えたのである。 ところが今回はアメリカの中枢部が攻撃され、多くの人々が殺されたのである。ましてテログループはテロ続行宣言を出している。それに対し反撃を加えるのはまさに自衛権の発動である。

アフガン空爆直後のワシントンポスト・ABCテレビの調査によると爆撃を支持する米国民は94%にも上っている。ユーゴ空爆時の支持が55%だったのに比べても格段に高い。これは卑劣なテロへの怒りとともに自国防衛という意識のなせるわざであろう。

国際法上も自衛権の発動は国連憲章第51条で認められている。今回のテロ発生直後に採択された国連安保理決議1368でもアメリカに自衛権があることが確認されている。本来、どの国であっても国連に確認されるまでもなく自衛権は保持しているのだから、今回あらためて確認されたということは、アメリカが自衛権を発動することを国連が認めたと理解すべきである。いわばアメリカの空爆開始は国際法上も当然のことなのである。

◆説得力のない報復攻撃反対論

だが世の中にはその当然のことを理解しない人がいる。戦争反対というもっともらしいスローガンのもとに反撃に反対する人たちである。日本国内では社民党や共産党、さらには民主党の一部にこうした声がある。彼らは「報復はさらなる報復合戦を招く」「これ以上の犠牲者を出すな」と言う。その部分だけ聞くといかにも筋が通っているかのように聞こえる。しかしこの人たちの一番の泣き所は“ではどうすればよいのか”という一番肝腎な疑問にまともに答えていない点である。肝腎なのは今回のテロに関与した一派をいかに捕まえ、どうやって裁きの場へと引きずり出すかということである。ところがこの一番重要な部分になんら説明がないのである。

よく「テロの温床となる貧困を解決する必要がある」という人がいる。それは決して間違った主張ではない。だがこのことばかり言ってもそれは争点そらしにすぎない。まず一番最初にやるべきことは今回、五千人もの命を奪った犯人一味を徹底的に摘発し、撲滅することなのである。報復攻撃反対という人たちはまず、今回の犯人をいかに撲滅するかの手法を提示すべきである。この部分で明確で実効性のある提言ができない以上、いくら報復反対と叫ぼうが説得力はない。まして被害を受けた当事者たるアメリカが納得するわけもない。「報復をするな」ということは言い換えれば「泣き寝入りをしろ」ということである。殺された側に泣き寝入りをしろと説く以上、それ相応の責任と負担を覚悟した上で言うのが常識である。例えば「アメリカに代わって日本がテロリストを摘発するから軍事力には訴えないでくれ」とか「武力を使わなくても資金源を断つことでテロリストを封じ込めよう」などという代替案があるならばまだ分かる。 しかしいわゆる反戦平和主義者たちはただ単に「報復攻撃反対」と叫んでいるだけである。これでは何の説得力も持たないし、アメリカ側には一顧だにされないのがおちだろう。

◆「報復反対」の欺瞞

また奇妙なことに、こういう人たちはアメリカに対してだけ「報復反対」との声を上げている。攻撃を招いているのはビンラーディンを引き渡さないタリバンの姿勢である。 そうである以上、アメリカに物申す時よりもさらに倍する情熱を込めてタリバンに対し「ビンラーディン引き渡し」を求めるべきだろう。現に国連も今回のテロ事件が発生する以前からビンラーディン引き渡しをタリバンに対し要求している。こうした国際世論にタリバンが応じないことに今日の大きな問題がある。「報復反対」を唱える人たちがタリバンに対しては急に沈黙してしまうというのはどういうことだろうか。こういう欺瞞に満ちた姿勢が彼らの説得力をさらに弱めている。

さらに世の中には変わった人もいるもので「憲法9条をアメリカに輸出しろ」という声まで聞こえてくる。どういう思想信条を持とうと結構だが、現実にテロの犠牲者が出ている以上、憲法の輸出を考えるよりも犯人一味を撲滅することを考える方が先だろう。そしてどうしても憲法を輸出したいのならばまずタリバンにでも輸出して彼らに平和愛好勢力になってもらったらよいのではないか(まず無理だが)。

◆軍事力では解決にならないか

「軍事力では解決にならない」という人もいる。確かに「軍事力だけ」では問題が100%解決するとはいえない。テロ根絶のためには他の努力も必要である。例えば彼らの資金源を断ち切ることも大切である。また外交努力や情報収集、さらにはテロリストに悪用されそうな化学物質や放射性物質の厳格な管理も求められる。もちろん貧困解消や中東などでの地域紛争の解消などテロの温床をなくすことも必要だろう。いわば総力戦である。ただそれらは軍事力の使用となんら矛盾はしない。テロリストの軍事基地や訓練施設を攻撃することと情報収集や貧困の解消を同時並行的に進めればよいだけのことである。軍事力の行使だけを排除しなければならない理由はどこにもない。

「軍事力の行使は報復テロを招く」という声もある。その可能性は否定しきれない。しかし何もしなければテロは起きないのだろうか。現にまったく唐突に五千人以上の無辜の人々が殺されているのだ。これが繰り返されないという保証がどこにあるのだろうか。 「行動に危険も予想されるが、何もしないことによる危険の方がはるかに大きい」というブレア英首相の言葉にこそ説得力がある。

◆「テロリストにも言い分」論の危険

さてテロの背景の説明としてアメリカの中東政策をあげる人もいる。テロは悪いがその原因を生み出したのはアメリカだという論法である。これも喧嘩両成敗のようで俗耳に入りやすい理屈である。しかしあたかもアメリカ人はテロの犠牲になってもかまわないかのようなこの理屈は到底容認できない。このさいアメリカの政策が正しかったか間違っていたかは問題ではない。いかなるテロであろうと許されないのである。テロにも三分の理があるかのような言い草は新たなテロを誘発するだけで百害あって一利もない。残念ながらいわゆる進歩派の口からはこうしたタリバンのスポークスマンのような科白が出てくるのが現状なのである。仮にテロリストにも言い分があるとしよう。しかしそれを言えばオウム真理教だろうと極右テロだろうと言い分はあるだろう。言い分があるということは道理があるということにはならないのである。

実際のところ中東世界はさまざまな矛盾を抱えている。アメリカの政策もすべてが正しかったとはいえないかもしれない。が、それと同時にアラブ・イスラム圏自身も多くの問題を抱えている。現にアフガニスタンの混迷の一因はイラン、パキスタンなどイスラム教の隣国の介入にも帰せられる。その中でイスラム原理主義者たちは社会の諸矛盾をすべてアメリカの責任にしているというのが真相だろう。そしてこの単純な論理は一部の人たちには受け入れられやすい。善悪の構図が明快で、かつ他者に責任をすべて転嫁しているのだから自分たち自身の責任を問わなくてすむ。つまり楽なのである。アメリカにも原因があるという論の背後にはそういう面があることも見落としてはならない。

◆日本は何をなすべきか

ここまではアメリカがタリバンを攻撃するのは自衛権に基づくもので正当な行為だということを述べてきた。それ以上に主眼だったのは「報復反対」なるスローガンを掲げる人々の論拠の薄弱さを指摘することだった。さてここからは日本自身が対テロ戦争にどう関わるべきかを考えてみたい

アメリカの行動を支持すべきなのは言うまでもない。重要なのは支持を口にするだけでなく、実際に支援を行なうことである。その点、政府が今国会にテロ対策特別措置法を提出し、米軍などの後方支援や難民救済を実施する方向で動いていることは高く評価できる。

こうした支援が必要な理由を二つあげてみたい。一つは日本は国際社会の一員だということである。現在、国際社会はテロ撲滅のために連帯している。その中で日本だけが我関せずということは許されない。これに関しては小泉首相が10月2日の衆議院本会議でまさに当を得た発言をしているので、少し長くなるがそれを引用する。「戦前、何で戦争を起こしたのか。それは、国際社会から孤立したからなんです。戦争をしない、繁栄のうちに平和を確保するという日本の戦後の国是は、二度と国際社会から孤立しない、国際協調こそが日本の平和と繁栄の基礎であるという観点から、戦後、日本政府はやってきたんですよ。今、世界がテロと対決しようとするときに、日本だけは、あれはしませんこれはしません、そんなことで世界から日本が名誉ある地位を占めることができるんですか。(中略)やるべきことをやらないで国際社会から孤立したら日本の平和と繁栄はあり得ないということを銘記していただきたい」。まったく同感である。この認識こそが日本の進むべき道である。

支援が必要な第二の理由はやはり日米関係の維持のためである。日米は同盟国である。同盟国である以上、相手国の危難に際して手をさしのべるのは当然のことである。 まさかの時の友こそ真の友という。こういう時に支援に躊躇すれば同盟の基礎である信頼関係が維持できるはずがない。こういうことを言うとよく「米国追従」などという陳腐な批判がある。だが日米関係に配慮することは当然であり、なんら恥じ入ることはない。 おかしいのはこうした批判が中国や韓国には平気で追従する人々によってしばしばなされることである。

◆テロ根絶支援は日本のため

もちろん国際社会との協調姿勢を貫くことも日米関係を強固にすることも日本自身のためでもある。日本にもテロの可能性はある。イスラム過激派による場合もあるかもしれないし、まったく別の勢力によるテロかもしれない。なにしろ日本はカルト教団が地下鉄で化学兵器を撒くという世界史上前例のない事件がおきた国である。日本だけが安全ということはありえない。まさにテロは人ごとではないのだ。もし日本に国際テロの脅威が及んだ時には、国際的な協力のもとでわが国を守らなければならない。外交は相互主義が原則である。日本が被害を受けたら守ってもらうが人の危難は知らないというのは通用しないのである。

◆支援してこそ対米説得力も

私はなにも日本がアメリカと常にまったく同じことをすべきだと言っているわけではない。米側とてそれを望んではいないだろう。99年のユーゴ空爆のような時は支援する必要はないと思う。また今回のテロ根絶のための作戦でもアメリカが武力行使をするのに対し、日本は直接の武力行使はしない。違いはあってもよいと思う。日本が何をすべきかはその都度、主体的に判断すればよいのである。ただ今回の場合は、支援するという大筋は絶対に外してはならない。その理由は以上述べてきた通りだが、さらに付け加えれば、支援することが今後、アメリカに対して言うべきことを言う時にも役に立つということも忘れてはならない。

例えば今後、アメリカに対し軍事力行使の抑制を求めるべき時もあるかもしれない。もしくはアフガンの復興について日本が主導的な役割を果たすかもしれない。そういう時のためにも今、アメリカに協力することは必要なのである。日本がアメリカに物申すにしても信頼関係が築かれていてこそ効果がある。個人の場合でも何もしないでただ文句だけ言っている人間のいうことには誰も耳を傾けない。国家の場合も同じことである。

また私は、これからの日本は環境問題をはじめ地球規模の様々な問題を解決するために役割を果たすべきだと信じている。その時にはアメリカにも同調してもらわなければ困る。これまでは地球温暖化問題などでアメリカの消極的姿勢が目につく。この姿勢を転換させるべく日本としても働きかける必要がある。その時に説得力を増すためにも、いま日米の信頼関係を高めなければならない。有り体に言えば、今回のテロ対応では貸しをつくるくらいのことを考えてもよい。これはあまり指摘されていないが重要な視点だと思っている

◆毅然たる態度を

テロとの戦いは今後長く続くだろう。相手は見えない敵である。決して楽な戦いではない。ビンラーディンらを倒したとしてもまったく別の種類のテロリストが生まれる可能性もある。愉快犯による模倣も十分考えられる。我々が暮らす社会は、少人数でも多大な被害を引き起こせる時代になってしまったのである。好むと好まざるとにかかわらず科学技術の発達がそういう時代を生み出した。それを思うと暗澹たる気持ちになる。それでもなおかつ私たちはテロとは断固戦わなければならない。平和で安心できる社会を作るべく努力を続けなければならない。そうした毅然たる態度こそが平和な社会を守る最後の砦だからである。

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