予備選とは何か(上)
2001.10.30
「予備選とは何か(上)」
公認候補は党員投票で選ぼう。自民党青年局長・水野賢一による渾身の党改革提言・前編。
◆はじめに
自民党は昭和30年に結成された。それ以降、下野したのはわずか1年間だけである。ほぼ万年与党といっても過言ではない。しかし長く国政の中枢を占めているだけに世論の厳しい批判を受けることもしばしばあった。そして逆風にさらされるたびに自民党改革ということが叫ばれてきた。近い例としては低支持率にあえいでいた森喜朗内閣の時がそうである。森総裁のもとで開催された今年3月の党大会では「党の再生」「党の新生」「解党的出直し」「ゼロからの出発」といった言葉が多く聞かれた。そしてその直後の4月の総裁選では小泉純一郎氏が「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンと共に「自民党を変える、日本を変える」と訴えて圧倒的な勝利をおさめたのである。
では自民党を変えるとはどういうことだろうか。すぐ頭に浮かぶのは派閥順送り人事の解消や世代交代、さらには族議員の跳梁を抑えるということである。これらはもちろん大切なことである。しかし私はさらにこれらに加えて党改革の大きな柱として、国政選挙の候補者選考時に予備選を導入することをあげたいと思う。現在の候補者選考は必ずしも党員の声が直接反映される仕組みにはなっていない。これを各地域の党員の声によって候補者が決まる仕組みに変えていこうということである。このことは開かれた自民党を目指すためには避けては通れない道である。
実を言えば何もこの予備選という主張は私が言い出したことではない。党内の若手、特に地方の若手党員の間から澎湃として沸き上がってきた声である。私はいま自民党本部の青年局長という役職を拝命している。その役柄上、各地方の若手党員と話すことが多い。その中で必ずといってよいほど彼らから出てくるのが予備選導入を切望する声である。そして私自身もこの問題を調べ、取り組んでいく中で、予備選の導入が必要だと確信するようになった。党に新しい人材を供給し、活力を与えるためにも是非とも推進しなければならない。しかもこの予備選の問題はもはや机上の空論ではない。現実にこの10月に実施された衆議院宮城4区の補欠選挙の時には実施もされた。
この拙文では前半で予備選についての全般的な考察をしてみた。そこでは予備選とは何か、その必要性、経緯などについて取り上げる。そして後半では宮城県における予備選の実態をまとめた。私自身、宮城の補選には2回ばかり足を運び予備選の実情を見聞させてもらった。もちろん予備選にも長短いろいろある。現実の予備選の分析がこうしたことを考える上での一助になれば幸いである。
◆予備選とは
ところで予備選とは何だろうか。辞書風に定義をするならば「本選挙以前に行なわれ、本選挙に進む候補者を絞り込むための選挙」とでも言えるだろう。本稿で取り上げる予備選も、国政選挙、特に衆議院の小選挙区の自民党候補を決めるために実施される党内での選挙と理解していただきたい。
ところで自民党内で予備選という言葉が使われる場合、むしろ総裁選の予備選の印象の方が強いかもしれない。昭和52年に総裁公選規定が改正され、総裁選に初めて予備選が導入された。3人以上の立候補者があった場合には党員による予備選挙を行ない、その上位得票者2名が党所属国会議員による本選挙に進めるようにした。その結果、4人が立候補した翌53年の総裁選では党員による予備選が行なわれている。この時は一位・大平正芳、二位・福田赳夫の両氏が本選挙に歩を進める権利を得たが、結局福田氏が本選挙を辞退したために大平総裁の誕生となった。似たような予備選は昭和 57年の総裁選の時にも実施され、この時は中曾根康弘氏が新総裁に選ばれている。
われわれの記憶に新しいのは今年4月の総裁選の予備選である。これは予備選と名はついているが、昭和53年や57年の例とはかなり違う。今年の場合は総裁選の選挙人はあくまでも党所属国会議員346名と47都道府県連の代議員3名ずつ(141名)の合計487名だった。ただ各都道府県が自ら持つ3票を投じるにあたって、それぞれが独自に実施した党員投票の結果に従った。この党員投票を予備選と称したのである。
このように見てみると同じ予備選という名で呼ばれていても、いろいろな種類があることがわかる。にもかかわらずこれらの下に流れる基本的な考え方は共通している。衆議院候補者選定のための予備選にせよ、総裁予備選にせよ、もっと党員の声を反映させようということである。一部の人間が密室で決めて結果を下に押しつけるのでなく、下からの声を吸い上げようということである。トップダウンではなくボトムアップを求める声が予備選を支持しているともいえる。4月の総裁選ではこうした声が予備選を生み、さらには小泉総裁という新しい流れを生み出した。今、開かれた自民党を求めるこの声が衆議院候補の選び方にも予備選の導入を求めているのである。
◆不明朗な現在の候補者選考
私は自民党を再生するために国政選挙への予備選の導入が必要だと考えている。この必要性を述べるためにも、予備選の気運が高まってきた理由を見てみよう。予備選を求める声が広まってきた背景には衆議院への小選挙区制の導入がある。中選挙区時代には各選挙区の定数は概ね3?5名だった。それにあわせて自民党候補も複数立候補し、お互いに相争うのが常だった。もちろん当時も自民党の公認争いはあったにせよ、公認候補を一人に絞り込む必要はなかった。ところが小選挙区になれば党公認候補は当然一名である。この唯一人の公認候補者がその地区の選挙区支部長となり、自民党を代表することになる。もちろん公認料や政党助成金を受けられるなどの特典もついてくる。さらに言えば政党支部をもっていなければ企業・団体献金さえ受けられない。つまり支部長(=公認候補)になれるかどうかということが従来に比べて格段と大きな意味を持つようになったのである。それにもかかわらず公認を一人に絞り込むルールが明確になっていない。
現在のところ自民党の衆院選の候補者選びに明確なルールはない。現職優先という原則以外は不透明な部分が多い。そのため各地で行なわれる公認争いは外部の人間にはよく分からない形で決着がつく。実態としては候補者や派閥の力関係で決まってくる。悪く言えば密室での取り決めである。少なくとも党員が参加した明朗で開かれた選考とはいえない。
透明性のある選考過程が重要なことはこの1年半の総裁選びで明瞭になった。森内閣は「密室での誕生」ということが言われ続けた。五人組が決めたことが最後まで尾を引いたのである。 これに対しオープンな形で選ばれた小泉内閣は異例の高支持率を記録した。民主主義ではプロセスが大切である。総裁であれ公認候補であれ透明性のある選考が求められている。
◆予備選の必要性
現在のような候補者選びは一般の自民党員にとっても立候補する側にとっても不幸なことである。中選挙区制のもとでは複数の自民党候補が立候補するのが普通だった。それだけに自民党支持層の間でもA候補を応援する人もいればB候補やC候補を支持する人もいた。党員の間にもそれだけ選択の余地があったと言える。ところが小選挙区では自民党候補は一人だけである。党員にとっては好むと好まざるとにかかわらず、その候補を支援することが求められる。これは制度上、当然である。しかしそうである以上、せめて候補者を決める時くらい自分たち党員の声を反映してほしいというのはごく自然な要望ではないだろうか。
立候補を希望する自民党系新人にとっては悩みはさらに深刻である。中選挙区時代であれば同じ選挙区から自民党候補が複数立候補していた。自分の出たい選挙区にすでに候補者がいても出馬することは可能だった。保守系無所属として出馬して、当選すれば追加公認を受けるという方法もありえた。しかし小選挙区になるとそうはいかない。自分の出たい選挙区に現職がいれば出馬は不可能になる。たとえ現職がいなくてもほとんどの選挙区で候補者はすでに決まってしまっているのである。もちろん無所属での立候補という道がまったく閉ざされてはいるわけではないが、それは露骨な反党行為になってしまう。また先に述べたように現行法上では政治資金面、選挙運動面で大きな不利を覚悟しなければならない。 これでは若くて有為な人材がいても自民党からはなかなか出馬することができなくなってしまう。 実はこの問題について自民党青年局でアンケートをとったことがある。今年の2月に青年局に所属する若手地方議員に匿名を条件に「条件や環境が整えば、国政選挙に立候補してみたいとの意志をお持ちですか」という質問をした。結果は67%が「はい」と回答している。しかし「はい」と答えたうち94%が「いまは立候補できる環境にない」とも回答した。そう答えた人に対してさらにその理由も聞いた。すると85%の人が「現職議員や前・元職議員が立候補を希望する選挙区にいる」という項目を選んでいるのである。資金力不足を上げた人が44%だったのに比べても圧倒的に多い。
つまり立候補する意思があっても、その選挙区に現職がいる限り立候補できないという怨嗟にも似た声が上がっている。現職ならばともかく前職がいるから無理だという場合も多い。仮に落選しても、支部長にはとどまるということが多いためである。極端にいえば、現職が自分から身を退くか、もしくは死亡しない限り候補者が入れ替わらないというのが実態といえる。これは憂々しいことである。国政への挑戦が新人には極めて狭いものになってしまっている。自民党の新陳代謝が阻害されているのだ。
◆活力ある自民党のために
現に昨年の衆院選小選挙区では自民党の新人の立候補者数は激減した。小選挙区制が導入されて初めての平成8年の総選挙では自民党の新人候補は小選挙区に109名いた。これほど多かったのは制度の変わり目だったからである。しかし平成12年の総選挙ではこれが56名になった。今後はますます少なくなることが予想される。 このままだとどういうことが起きるか。自民党からの人材流出である。自民党から立候補したくてもできない人が他党から出馬することになりかねない。現にこうしたことは起こっている。本来、自民党とさほど変わらない考えの持ち主が民主党から立候補して当選している例は多数ある。これを無節操と批判することは簡単である。しかし制度上、そうせざるを得ないように追いやってしまっていることにも目を向けなければならない。
私はなにも新人の数が多ければよいというつもりはない。大切なのは彼らにも参加の機会を与えることである。新人も参加した上で予備選を行ない、結果として現職が候補者に選ばれるのであればそれもまたよしである。現状の問題は新人には参加の余地さえないことなのである。これでは党は活性化してこない。またただでさえ自民党には高齢化した政党というイメージがある。 このまま若手の参入を阻害し続ければ、こうした悪印象に拍車がかかることを私は懸念する。
さらに言うならば小選挙区という制度は現実には自民党であれば絶対に勝てるという選挙区も生み出した。やや言い過ぎなことを恐れずに書けば、候補者の能力とか努力とか国や地域への貢献とは関係なく、ただ自民党候補というだけで勝てる選挙区が多数あるのである。特に保守地盤が強い農村部がそうである。これは小選挙区という制度の宿命である。同じ小選挙区制度のアメリカやイギリスでもこうした例はある。かつてアメリカ南部では民主党でなければ当選はほぼ絶対に不可能だった。イギリスでも保守党がこの100年間ほとんど負けたことがないという選挙区もある。 同様に日本の小選挙区でも自民党であれば絶対に勝てる選挙区がある。そういう選挙区では自民党候補は当然のように圧勝する。 しかしそれは候補者が人気があるためでもなんでもなく、ただ選挙区に恵まれているというだけなのである。
選挙というのは本来競争である。候補者や政党が切磋琢磨していくことに意味がある。しかしこうした選挙区では本選挙では競争原理が働かない。これは国民にとっても不幸なことである。本選挙の結果が前もって読めるような選挙区でこそ党内での競争が必要なのである。つまり予備選である。それでこそいい意味での緊張が生まれ、政治家の質も確保される。また党としての活力も生まれてくるはずである。
本来こういうことは小選挙区導入と共に議論し、整備してしかるべきだった。現に小選挙区制をとっているアメリカでは予備選挙が確立している。残念ながら日本ではそれが整っていない。いまこそこの予備選の問題を本格的に議論すべきなのである。
◆党員獲得のためにも予備選を
さらに付随的なことではあるが予備選は党員獲得にも寄与するはずである。党本部は年中行事のように党員獲得運動を呼び掛けている。しかし党員獲得の現場である地方組織からは「ただ党員を集めろといってもそうは簡単に集まらない。党員になるメリットがないと無理だ」という声が漏れてくる。本来、党員とは自民党の理念理想に共鳴して入党すべきもので、メリットを求めて入党するというのは邪道である。だがそうはいっても何の特典もないならば四千円の党費を払いたくないという人が多いのもまた現実である。その点、党員になれば候補者選考にも関われるというのは党員を集める時の謳い文句になると期待している。
まして現在、自民党員は激減の兆しをみせている。小泉内閣の登場で自民党への支持が高まったのに奇妙な感じもするが、実際に職域支部を中心に党員数が落ち込んできている。これは参議院比例区に非拘束名簿方式が導入されたことが大きく影響している。従来は比例区候補が自分の比例順位を上げるために党員獲得に奔走したが、制度が変わったためにそれをしなくなったことが大きな理由である。党員数の減少は党財政にも深刻な影響を与えかねない。党員獲得運動に資するためにも予備選の導入を考慮すべきであろう。
◆青年局の活動
ここで予備選導入の必要性と意義をもう一度整理してみたい。
・候補者選定のルールを明確化することで密室政治を打破し、開かれた政党へ前進することになる。
・新人にも門戸を開くことにより党内の新陳代謝を促進する
・党員になるメリットを増すことで党員獲得を促進する
この予備選について党内で一番活発に議論をしてきたのは青年局である。昨年6月の衆議院選で自民党が特に都市部で大敗したことを受け危機感を強めた青年局では党改革の試みとして予備選の問題を議論するようになった。この議論には若手の地方議員有志も加わった。そしてその成果を今年1月に「衆議院議員選挙区における党公認候補者選定に関する試案」としてまとめ、党執行部に提出した。内容は予備選導入と立候補のプール制度導入である。プール制度とは聞き慣れない言葉だが、要は立候補したい新人を党本部で年一回程度公募してその人材をプールしておくということである。こうして有為な人材を確保しておいて、彼らにも予備選参加の資格を与えようという趣旨である。
しかし残念ながら今日に至るまでこの意見具申がまともに検討された様子はみえない。私自身も5月に青年局長に就任した身として山崎拓幹事長などに申し入れはしているが、党内全体の雰囲気としてはまだまだ予備選導入の機運が高まっているとはいえない。党内の機関としては政治制度改革本部が議論の場となるはずだが、本格的な議論さえ行なわれていない。しかし諦めることなく今後も必要な声を党内であげていきたいと考えている。
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