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けんいちブログ

あくまでも中国には陳謝を要求すべし (続・瀋陽総領事館事件)

2002年05月24日

あくまでも中国には陳謝を要求すべし (続・瀋陽総領事館事件)

内外の注目を集めていた瀋陽総領事館事件に大きな転機が訪れた。中国武装警察によって連行された5名の北朝鮮人は中国から出国し、マニラ経由でソウルに到着した。亡命を求めていた彼らの希望が満たされたことをまずは歓迎したい。今回考えられる最悪の事態は5人が北朝鮮に送還されることだった。また中国官憲によって長期間拘留されることも望ましくない。結果として一家全員が自由世界に脱出できたことは良かったと思う。特に日本総領事館は庇護を求めてきた人を助けることができなかった。このまま彼らが非人道的な取り扱いを受ければ悔いを千載に残すところだった。その点でも出国できたことは喜ばしい。

だがこの問題はこれで終わりではない。一件落着という気運があるとすればそれは大きな誤りである。中国による国際法違反という重大問題が解決していないからである。この事件の本質は中国武装警察が無断で日本総領事館に侵入したことなのである。これは領事館の不可侵を定めたウィーン条約第31条に明らかに違反している。ところが中国側はいまだに謝罪もなければ責任さえ認めていない。この点を曖昧にしたままの幕引きは許されない。日本政府としてあくまでも中国に謝罪を要求し続ける必要がある。

ちなみに中国側は日本が警官の立ち入りに同意したと言い張っている。同意があったのだから違法性はなかったという理屈である。もちろん日本側が同意を与えた事実はない。だが百歩、いや千歩譲って中国の主張に一分の理があるとしよう。それでも中国が国際法違反を犯したという罪は免れないのである。仮に中国側の主張通り日本の副領事が同意を与えていたとしても、総領事館への立ち入りは認められることではない。ウィーン条約は「領事機関の長」の同意が必要だとしている。ちなみに瀋陽総領事館の場合は、総領事が長であり、その下に4人の領事、4人の副領事がいた。下位者である副領事が「入っていい」と言おうが言うまいが、総領事が同意していない以上、不法侵入であることに変わりはない。現場の邦人職員に恥ずべき行ないが多かったのは事実である。彼らの愚行は正当化しえない。しかしだからといって中国側の行為が正しいということにはならないのである。

中国の国際法違反は疑問の余地がない。ところが中国は謝るどころかかえって日本に対する批判を強めている。「中国の国際的イメージを悪化させた」と言い出してきた。まったく筋違いの批判である。イメージを悪化させるようなことをしているのは中国自身である。庇護を求める婦女子を力まかせに領事館から引きずりだしたのは中国の官憲である。他国の領事館に無許可で乱入したのも同国である。自らが国際的信用を失墜させることをしておきながら他者に責任をなすりつけることは許されない。

こうした問題では理非曲直を明らかにする必要がある。だからこそ日本政府は事件発生後まもなく5人の身柄引き渡しや中国の陳謝などを中国側に強く申し入れた。だがその後の政府の発言を注視すると微妙な変化が見られる。これらの要求を正面きって主張することを徐々に避けるようになってきたのである。まず身柄引き渡しの請求を事実上取り下げた。これはまあいい。国際法上は5人とも日本側に引き渡されるのが一番筋が通っている。だがあまりこの部分に固執すると拘束がいつまでも続くことになりかねなかった。庇護を求めてきた人を救うという人道的な観点からやむをえなかったと思う。

問題なのはいつの間にか陳謝のことまで触れなくなってきていることである。陳謝というのは当然すぎるほど当然の要求である。実は私個人は陳謝だけでは不十分だと考えている。国際法を犯した武装警官の処罰も中国に求めるべきだと訴えてきた。だが現時点の政府首脳の発言は武装警官の処罰どころか陳謝までも直接求めてはいない。実はこうした姿勢は理解できなくもない。5人が中国当局に拘禁され、事実上「人質」になっていたからである。「5人の安全確保のためには中国を刺激することは得策ではない」という意見も一定の説得力を持っていた。 だがついに5人は出国した。これで何のためらいもなく、主張すべきことを堂々と主張できるはずである。いまこそ再び陳謝要求を前面に打ち出すべき時である。

問題解決のために大局的見地から冷静に対処すべきだというという声もある。それはまったくもってその通りである。だがもしそれが“日中友好のためには些事に構うな。瀋陽事件はもう棚上げにしろ”という意味だとすれば賛成しかねる。私はむしろ大局的な見地から今回はあくまでも陳謝要求をすべきだと考えている。これまでの日中関係はとかく言うべきことを言わなかった。ここでそれを軟弱外交・弱腰外交と呼ぶことはしない。情緒的なレッテル貼りは健全な論議を損なうことが多いと思うからである。だがやはり日本の対中国外交に反省すべき点が多かったことは事実である。過ちは改めなければならない。

中国はいまや軍事大国である。東アジアの大きな不安定要因でもある。とりわけこの国が台湾への武力行使をほのめかすことは地域の安全保障上看過しえない。こうした中、中国に対し甘いことを言っていれば良いという時代は過ぎ去った。必要ならば苦言も呈していかなければならない。対中外交そのものを見直す必要がある。今回の事件はそのよい機会である。そのためにもあくまでも陳謝を求め続ける意味があるのである。

日本総領事館への中国武装警察の乱入 について

2002年05月13日

日本総領事館への中国武装警察の乱入 について

瀋陽の日本総領事館に中国の武装警察が乱入した事件が大きな波紋を呼んでいる。庇護を求めて総領事館に駆け込んだ5人の北朝鮮人を取り押さえるため敷地内に踏み込み、5人全員を強制連行したのである。とりわけ映像の衝撃は大きかった。駆け込む女性を中国公安当局が力ずくで引きずり出す場面は何度見ても胸が締めつけられる。日本国内及び世界各地で憤激を巻き起こしているのも当然である。

まず指摘しなければならないのは、今回の中国の行為は重大な国際法違反だということである。領事館の不可侵権というのは古くから国際慣習法としてあった。1967年に発効したウィーン条約で明文化もされている。武装警官が勝手に立ち入ったということは許されることではない。加えて重大な人道上の問題でもある。5人の人々は北朝鮮の圧政を逃れ、自由に憧れて庇護を求めてきたはずである。まして北朝鮮に送還されれば悲劇が待ち構えていることは想像に難くない。 多くの人があの映像を見て怒りと同情を禁じえなかったのはこれが人道上の問題だということを直感したからに他ならない。

日本の総領事館の対応にも批判が集中している。駆け込む人々を保護するどころか逆に中国警察のために帽子を拾ってやっているのは何事かというわけである。私自身もそう思う。危機認識の欠如、人道意識の希薄さの表われと言わざるをえない。かつて日本の外務省には杉原千畝という偉大な先人がいた。杉原はナチスドイツがユダヤ人を迫害した時に、一身の危険を顧みずビザを発給し続けた。それによって多くのユダヤ人の生命が救われたという事実は日本外交史に燦然と輝いている。こうした先人の精神は今いずこにありやと嘆かざるをえない。外務省として我が身を振り返り、反省する点は反省し、処分すべき者は処分しなければならない。幸いにして川口外相は改革への強い意志を持ち、現在望みうる最高の外相である。その下で必ずや十分な措置が講じられるはずである。

だが、やはり最大の問題は中国にどのような姿勢で臨むかということである。「毅然たる態度で臨む」という表現がよく使われる。それはそれで結構なのだが、肝心なのは具体的にどのように毅然と臨むかなのである。現在、日本政府としては中国側に陳謝と連行された5人の身柄の引き渡し、さらに再発防止を要求している。これらは当然である。言わずもがなのことである。私はさらにそれに加えて領事館に侵入した複数の武装警官の処分も中国側に強く要求すべきだと考えている。彼らの行為は明らかな国際法違反である。何人も領事館の不可侵権を犯してはならないというのは外交の基本である。もちろん一般人もこれを犯してはならない。受け入れ国が警備をするのはその保障のためである。それが今回は警備に当たっている官憲自らが足を踏み入れてきたのである。論外と言わざるをえない。

自国の武装警官がそうした不法行為を働いた以上、きちんと処罰するのが中国政府のつとめである。日本としてもそれを求める必要がある。思い返すのは昨年のえひめ丸事件の時のことである。ハワイ沖で米原潜が日本の高校生を乗せた実習船に衝突した事件である。朝野の議論は原潜のワドル艦長の責任を追及しその処罰を求めるものだった。

結局、艦長は懲戒処分になるが、これでは不十分だ という論調が国内では強かった。だが今度は相手国の国家権力によって日本国の出先機関が侵されたという点ではある意味でそれ以上の重大事である。中国政府は責任を持って当事者の処罰をする必要がある。にもかかわらず米国に対しては艦長処罰を強く要求していた新聞ほど今回は処罰問題に触れないというのはどういうことだろうか。いずれにせよ日本政府としては中国に強く申し入れる必要がある。

私はいたずらに強硬論を唱えることばかりが良い外交とは思わない。悲憤慷慨するだけでは外交はできないとも信じる。しかしそれでもなおかつ言うべきことを言わねばならないこともある。今回がまさにそうである。日本の対中国外交は言うべきことも言わないという時代が長く続いてきたのではないだろうか。仮に言ったとしても奥歯に物の挟まったような言い方であった。中国の軍拡、核実験、民主化、チベット問題いずれもそうである。それどころか中国だけを特別扱いすることさえ目立った。円借款が好例である。日本は多くの国にODAを供与しているが、円借款供与の約束は原則単年度ごとである。ところが唯一中国に対してだけは5年分の円借款額を前もって約束することが続いていた。つまり別格に優遇していたわけである。ようやく昨年度からは他国と同様に扱うようになった。だが一事が万事、こうしたことが横行していたわけである。

このあたりで対中国外交全般を見直すべきである。これはなにも中国を敵視しろということではない。日中関係の重要性は今後も変わらない。ただ主張すべきことは当然に主張すべきなのである。その第一歩が武装警官の処分要求ではないだろうか。

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