「オーストラリア訪問(その1)」
2011.10.17
オーストラリア訪問(その1)
~どこでも似たようなことが~
先週オーストラリアを訪問し、15日の夕方に成田空港に戻ってきた。相手国からの招待を受けたもので、上下両院議長と意見交換をしたり、東日本大震災への救援隊に謝意を伝えるのが主目的だった。
訪豪団は尾辻秀久参議院副議長を団長として、私を含め各党の参議院議院運営委員会理事が参加した。私にとっては初めてのオーストラリア訪問だった。
さてオーストラリアの首相はジュリア・ギラード氏(労働党)である。総選挙を間近に控えた昨年6月、当時の首相であり労働党党首だったケビン・ラッド氏の支持率はあまりにも低かった。そこで「このままでは選挙は戦えない」という党内世論に押されてラッド首相が退陣し、代わってギラード氏が党首になり同国初の女性首相に就任する。支持率はいったんはV字回復するが、迎えた総選挙では過半数割れと大きく後退、なんとか政権は維持したが政権末期のようだと言われる。
何か昨年6月の鳩山由紀夫氏から菅直人氏への交代劇を見ているようである。首相をすげ替えた直後は人気もV字回復するが選挙に敗れ、それでも政権が低空飛行しながら続くところなどそっくりである。どこでも似たようなことが起こるなあと思わざるをえない。
違うのは1年4か月後の今もギラード氏がそれでも首相の座にあるのに対して、日本の首相はさらに交代したという点と、オーストラリアでは世論にも労働党内にも「ラッドに戻すべきだ」という待望論が結構あるのに対し、日本では鳩山待望論など聞いたことがないということくらいだろうか。
ちなみにオーストラリアも日本と同じ議院内閣制である。下院の任期は3年だが、途中での解散もある(上院は例外的な状況で解散がありえる)。とはいえ同国は義務投票制をとっている。つまり棄権には罰金が課される。それだけ国民に負担を強いることなので首相としては安易に解散という選択は取りにくいらしい。
オーストラリアの制度などについてはまた次回で。
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