「原発」「国の責任」「自民党」
2011.07.22
「原発」「国の責任」「自民党」
東京電力福島第一原発事故の損害賠償に関する「原子力損害賠償支援機構法」が成立する見込みだ。民主党政権が出した法案に対して自民党などが修正を求め、その修正要求を受け入れた形で成立するようである。
自民党が求めていた修正の柱が「国の責任を明確にしろ」という点だった。つまり東電ばかりに賠償責任を押しつけるのでなく、国もしっかりと責任を取れということである。このことだけ聞けば一見もっともらしい。
しかしこの自民党の言い分にも違和感がある。「国の責任」と言えば聞こえはいいが、要は税金で負担しろということである。確かに原発政策で国にも責任はあるだろう。しかし「国」という抽象的なものが政策を決定しているわけではない。「国」の中枢にいた個々人が政策を決定したのである。そういう人たちの責任に切り込まないまま「国の責任を明確にしろ」といって安易に税金を投入してよいものなのだろうか。
私自身も与党時代の自民党に在籍していたが、当時の自民党のエネルギー・環境関係の部会・調査会では「日本の原発は絶対安全」「もっともっと原発を」「自然エネルギーなんて駄目駄目」という声が渦巻いていた。私のような再生可能エネルギー派は明らかに異端だった。もちろん「原発よりも自然エネルギーを」という主張も河野太郎議員など一部にあったのは事実にせよ、全体から見れば少数派であることは間違いなかった。
そうした原発安全論・推進論を声高に唱えていた個人の責任に切り込まないまま、自民党が「国の責任」を声高に叫ぶのはどうにも理解できない。単に税金投入により東電の負担を軽減してあげる東電救済策ではないかと言いたくなる。最近では同党も「自民党政権時代のエネルギー政策にも反省すべき点があった」などと言っているようだが、文言だけ反省を言っても駄目である。原発安全論・推進論を声高に唱えていた個人の責任を問う覚悟こそ必要である。典型的な原発族のA議員などが総裁選を念頭に新グループを結成するなど論外である。
刑事責任は無理であっても次回選挙で公認しないなど政治的なけじめくらいつけられるかどうかが自民党が変わったかどうかを示す試金石ではないだろうか。
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