外務省、台湾訪問解禁へ
2002.12.09
「外務省、台湾訪問解禁へ」
外務省が時代遅れの内規をついに改正。水野賢一の国会質問が冴える。『エネルギーフォーラム』誌に掲載論文。
ここ一年以上にわたって外務省は批判の集中砲火を浴びてきた。一つには機密費問題など不祥事の噴出のためである。もう一つが外交姿勢に対する批判である。とりわけ潘陽総領事館事件では中国への弱腰が叱責された。
外務省の中国への遠慮を象徴していたのが、課長以上の台湾訪問を認めないという内規だった。確かに日台間には正式の国交はない。だが国交はなくても政府首脳が訪問する例はある。今年9月の小泉首相の北朝鮮訪問などはその最たるものである。それではなぜ台湾の場合には、課長級でさえ駄目なのか。理由は実に簡単である。中国が怒るからというだけのことである。 私は以前、外務大臣政務官在職中に台湾訪問を希望した。だが中国に遠慮する外務省当局によって認められなかったため、それに抗議すべく辞任した。課長の訪台さえ認めない外務省からすれば政務官訪台など論外というところだったのだろう。
そこで私は11月22日の衆議院外務委員会でこの内規について取り上げた。答弁の中で外務省側は内規の改定を約束した。これで将来的には閣僚級の訪台への道も拓けることになった。従来の内規が定められたのは昭和55年である。20年以上経った今、時代は大きく変わった。改定は当然である。遅きに失したとはいえ一歩前進と評価できる。
だが他の部分では中国への過度の遠慮が今なお続いている。慶応大学の学園祭で講演しようとした李登輝前総統にビザを発給しなかったこともその一例である。 日中関係は大切である。だが台湾との関係もまた重要である。しかも台湾は自由や民主主義という価値観の点でも日本と共有する点が多い。東アジアの民主国家同士として今後の関係強化が求められている。
※平成14年11月22日の衆議院外務委員会の議事録を参照いただきたい。
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