けんいちブログ

大隈重信の像

2010.05.19

 早稲田大学卒業生の会を稲門会といいます。私も平成3年政経学部卒業生として佐倉稲門会の一員となっています。
早稲田大学の創設者といえば大隈重信です。早稲田大学キャンパスの中にある大隈重信の銅像は昭和7年に除幕され、大学の象徴ともいうべき存在として有名です。

 大学内の銅像ほど有名ではありませんが、実は国会議事堂の中にも大隈重信像があります。
議事堂の一番高い部分は高さ65m(法隆寺の五重塔が31mなのでそれに比べても結構高い)ですが、その真下の部分に中央広間があります。

ここはちょうど衆議院部分と参議院部分の中間で、この広間の四隅には立憲政治の基礎を築いた明治の政治家3人―大隈重信、伊藤博文、板垣退助―の銅像が置かれています。

四隅に3人というと残る一隅は、といえば台座だけが置いてあって像はありません。その理由として以下のようなことが言われていますが定説はないようです。

①将来ここに像が立つような政治家が登場することを期待する
②政治は未完であるということを示している
③ここに像を立てると皇居に背中を向けてしまう形になる
④4人目の人選が難しかった

真相がいずこにあったのかは分かりませんが、①の説が一番きれいなような気もします。
 まあ大隈重信たちは周りの人たちが「あの人は偉大だった」ということで銅像を建ててくれたのでしょうが、近くの独裁国家の首領様(金日成のこと)のように自分で自分の巨大な像を首都に立てるという神経はちょっと分かりませんねえ。
 注)卒業生としては学校の創設者に敬意を表して「大隈重信侯」(侯爵だった)と書くべきかもしれませんが、歴史上の人物として敬称を略しました。

(以下、次号「大隈重信は議員だったのか」に続く)

ページ上部へ