けんいちブログ

政治を志した頃/昔、影響を受けた思想家

2016.06.23


 政治の道を志したきっかけというのは特別なエピソードがあるわけではない。候補者の中には「○○の体験をしたことで政治家を目指すように決心した」とか「この不条理を正そうと思い、一念発起した」という格好良いエピソードを語る人もいるのかもしれないし、そうしたうまいストーリーを作った方が有権者に説明しやすい面もある。

 しかし私の場合、ある事件をきっかけに一大決心をしたというような面白いエピソードがあるわけでもない。何となくというと語弊があるし、無責任のようだが、実際のところ徐々にそうした気持ちになっていったというのが真相でもある。

実父の中尾栄一は衆議院議員だったので、中高生の頃から家庭内の会話の中に「ちょっと角栄と喧嘩をしすぎたかなあ」とか「中曽根も強運だよなあ」みたいな話が出てきたものだった(呼び捨てにしているのは私ではありません。父です)。ニュースに出てくる人たちの名前が、隣の叔父さんみたいな感じで出てくるので政治の世界がある意味で身近だったのは事実である。もちろん身近といっても中高生なので深遠な政策論について知見を持っていたわけではない。また自分が議員バッジを付けたいと思っていたわけでもない。

 大学生の頃にはジャーナリストにでもなることができればと漠然と思っていた。政治の動きに無関心だったわけではないが、それに関わるのは議員だけに限らないからでもある。

 大学生の頃によく読んだ政治的な書物としては関嘉彦、その師匠にあたる河合栄治郎などが挙げられる。もしくは清沢洌(きよし)や小泉信三などの著作もよく読んだ(小泉信三全集の戦時中の著作の内容には疑問も持ったが)。オールド・リベラリズム、もしくは民主社会主義と呼ばれる系譜のものをよく読んだことになる。

 数年前、畏友・山内康一衆議院議員(当時)が「我々の考え方は戦前のオールドリベラリストみたいなものですよね」と言っていたことがあるが、確かにこうした先達が、一方で軍部・ファシストと闘い、他方で共産主義者たちと闘った姿勢には敬意を覚える。逆に言えば、左右両翼の全体主義者たちから批判と攻撃を受けていたわけでもある。

 政治は命懸けの仕事と言っても、当時は思想信条によって文字通り命を狙われる時代でもあった。そうした中、不屈の戦いをしてきた人たちの気概を見習ってもいきたい。

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