日本総領事館への中国武装警察の乱入 について
2002.05.13
日本総領事館への中国武装警察の乱入 について
瀋陽の日本総領事館に中国の武装警察が乱入した事件が大きな波紋を呼んでいる。庇護を求めて総領事館に駆け込んだ5人の北朝鮮人を取り押さえるため敷地内に踏み込み、5人全員を強制連行したのである。とりわけ映像の衝撃は大きかった。駆け込む女性を中国公安当局が力ずくで引きずり出す場面は何度見ても胸が締めつけられる。日本国内及び世界各地で憤激を巻き起こしているのも当然である。
まず指摘しなければならないのは、今回の中国の行為は重大な国際法違反だということである。領事館の不可侵権というのは古くから国際慣習法としてあった。1967年に発効したウィーン条約で明文化もされている。武装警官が勝手に立ち入ったということは許されることではない。加えて重大な人道上の問題でもある。5人の人々は北朝鮮の圧政を逃れ、自由に憧れて庇護を求めてきたはずである。まして北朝鮮に送還されれば悲劇が待ち構えていることは想像に難くない。 多くの人があの映像を見て怒りと同情を禁じえなかったのはこれが人道上の問題だということを直感したからに他ならない。
日本の総領事館の対応にも批判が集中している。駆け込む人々を保護するどころか逆に中国警察のために帽子を拾ってやっているのは何事かというわけである。私自身もそう思う。危機認識の欠如、人道意識の希薄さの表われと言わざるをえない。かつて日本の外務省には杉原千畝という偉大な先人がいた。杉原はナチスドイツがユダヤ人を迫害した時に、一身の危険を顧みずビザを発給し続けた。それによって多くのユダヤ人の生命が救われたという事実は日本外交史に燦然と輝いている。こうした先人の精神は今いずこにありやと嘆かざるをえない。外務省として我が身を振り返り、反省する点は反省し、処分すべき者は処分しなければならない。幸いにして川口外相は改革への強い意志を持ち、現在望みうる最高の外相である。その下で必ずや十分な措置が講じられるはずである。
だが、やはり最大の問題は中国にどのような姿勢で臨むかということである。「毅然たる態度で臨む」という表現がよく使われる。それはそれで結構なのだが、肝心なのは具体的にどのように毅然と臨むかなのである。現在、日本政府としては中国側に陳謝と連行された5人の身柄の引き渡し、さらに再発防止を要求している。これらは当然である。言わずもがなのことである。私はさらにそれに加えて領事館に侵入した複数の武装警官の処分も中国側に強く要求すべきだと考えている。彼らの行為は明らかな国際法違反である。何人も領事館の不可侵権を犯してはならないというのは外交の基本である。もちろん一般人もこれを犯してはならない。受け入れ国が警備をするのはその保障のためである。それが今回は警備に当たっている官憲自らが足を踏み入れてきたのである。論外と言わざるをえない。
自国の武装警官がそうした不法行為を働いた以上、きちんと処罰するのが中国政府のつとめである。日本としてもそれを求める必要がある。思い返すのは昨年のえひめ丸事件の時のことである。ハワイ沖で米原潜が日本の高校生を乗せた実習船に衝突した事件である。朝野の議論は原潜のワドル艦長の責任を追及しその処罰を求めるものだった。
結局、艦長は懲戒処分になるが、これでは不十分だ という論調が国内では強かった。だが今度は相手国の国家権力によって日本国の出先機関が侵されたという点ではある意味でそれ以上の重大事である。中国政府は責任を持って当事者の処罰をする必要がある。にもかかわらず米国に対しては艦長処罰を強く要求していた新聞ほど今回は処罰問題に触れないというのはどういうことだろうか。いずれにせよ日本政府としては中国に強く申し入れる必要がある。
私はいたずらに強硬論を唱えることばかりが良い外交とは思わない。悲憤慷慨するだけでは外交はできないとも信じる。しかしそれでもなおかつ言うべきことを言わねばならないこともある。今回がまさにそうである。日本の対中国外交は言うべきことも言わないという時代が長く続いてきたのではないだろうか。仮に言ったとしても奥歯に物の挟まったような言い方であった。中国の軍拡、核実験、民主化、チベット問題いずれもそうである。それどころか中国だけを特別扱いすることさえ目立った。円借款が好例である。日本は多くの国にODAを供与しているが、円借款供与の約束は原則単年度ごとである。ところが唯一中国に対してだけは5年分の円借款額を前もって約束することが続いていた。つまり別格に優遇していたわけである。ようやく昨年度からは他国と同様に扱うようになった。だが一事が万事、こうしたことが横行していたわけである。
このあたりで対中国外交全般を見直すべきである。これはなにも中国を敵視しろということではない。日中関係の重要性は今後も変わらない。ただ主張すべきことは当然に主張すべきなのである。その第一歩が武装警官の処分要求ではないだろうか。
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