水俣病
2010.05.10
10日ほど前のことになりますが、5月1日に鳩山首相が水俣市で行なわれた水俣病犠牲者慰霊式に参加し、国の責任について謝罪しました。
1956年5月1日に、水俣病が「公式確認」されたので、毎年この日に犠牲者慰霊式が実施されています。今年は54周年ということになります。
実は1956年以前にも水俣市周辺では猫の狂死や人間の被害もありましたが、この年の5月1日になって病院から保健所に「原因不明の奇病が発生している」という報告があったので、同日を公式確認の日としているわけです。
昨年には水俣病被害者救済法が自民党・公明党・民主党などの賛成で成立をしました。
法案作りの実務で一番中心になったのが地元熊本県選出の園田博之代議士(当時は自民党、現在はたちあがれ日本)でした。他党との交渉なども一手に引き受けて、法律の生みの親と言って差しつかえないでしょう。
とはいえ最終的にこの救済法は衆議院環境委員長提出という形で国会に提出され成立しました。その時の委員長は私。ですから私が提出者というわけです。
提出者でありながら、こう言うのも変ですが、私は当初この法案に対して疑問を持っていました。被害者救済にはもちろん賛成です。
ただ法案は被害者救済に加えて、加害企業であるチッソを分社化という形で救済する側面も持っていたからです。
加害企業であるチッソは多額の補償によって債務超過に陥っています。法案はその負担を軽くしてやるという面もあるわけです。
それだけに「汚染者負担の原則からみて正しいのか」「加害企業はあくまでも徹底的に追及すべきだろう」という思いも強くありました。
最終的には、「被害者の救済につながるならばやむをえないか」と総合的に判断して賛成しましたが、悩ましい問題だったのは事実でした。
さて水俣病の教訓は今なお重要なものを多く含んでいると思います。その点については次回で。
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