10年前の今日
2010.05.14
10年ひと昔と言います。10年前の平成12年5月14日に小渕恵三氏が亡くなりました。
首相在職中の4月2日に脳梗塞で緊急入院した小渕氏は、首相の座を森喜朗氏に譲った後、1か月半の闘病の結果、帰らぬ人となりました。享年62歳でした。
この年は6月に梶山静六、竹下登両氏も相次いで亡くなり、一時代の区切りを印象付けました(ちなみにいずれも旧田中派系の人たちです)。
当時、私は自民党の衆議院議員の1期生でした。6月には解散・総選挙があったので、2期目に臨む選挙直前だったわけです。
国会では若手議員(年齢ではなく当選回数です)ほど前列に座る慣習があります。初当選同時の私の議席は「一丁目一番地」と呼ばれる最前列の左端でした。
最前列の端というのは、ひな壇の内閣総理大臣席のすぐ近くです(ひな壇は高い位置にあるので座席の高さは違いますが・・)。その時首相席に座っていたのが小渕首相でした。
小渕政権の支持率は発足時は低いものでした。「冷めたピザ」「真空総理」などと揶揄されていましたが、支持率はじわじわと上昇していきます。
当初高くて急落する鳩山由紀夫政権と真逆です。
小渕首相と鳩山首相はもう一つ逆のことがあります。沖縄への思いです。
平成12年は日本がサミット開催国でしたが、小渕首相は数ある開催予定地の中から沖縄を選びました。そのサミット直前に急逝したのは無念だったでしょう。
鳩山首相が口で「沖縄の思い」と繰り返しながら、言葉だけを弄ぶのと対照的です。
鳩山首相の言葉が軽い点、総理の資質が問われる点は、むしろ小渕首相の次の森喜朗首相に似ているような気さえしてきます(森さん、ゴメンナサイ・・)。
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