「印旛沼の水質浄化のために」
飲料水としては汚染度全国一の印旛沼。湖沼浄化に新機軸を開く金字塔的巨編。
◆汚濁の進む印旛沼
沼と湖の違いはどこにあるのだろうか。法律などでこの二つを明確に区分しているということはない。ただ一般的に浅いものを沼と呼び、深いものを湖と呼び慣わしているだけである。だいたい水深5メートルくらいが境目とされているようである。もちろん例外はどこにでもある。福島県の沼沢沼は最大水深が96メートルもある(沼沢湖とも呼ばれる)。群馬県の菅沼は76メートルの深さがあるが沼と呼ばれている。
私が住んでいる千葉県佐倉市は印旛沼のほとりにある。印旛沼の最大水深は2.5メートルだから典型的な沼といえよう。この沼は北印旛沼と西印旛沼に分かれ、二つは捷水路でつながっている。合計した面積は1165ヘクタールで、沼と名付くものとしては日本最大級の大きさを誇っている。同時に印旛沼は日本の湖沼で二番目に汚れている。湖沼の汚染は普通、CODという値で表わす。値が大きければ大きいほど汚れていることになる。日本で一番CODが高いのは同じ千葉県の手賀沼である。印旛沼がそれに続き、第三位に牛久沼(茨城県)と佐鳴湖(静岡県)が並んでいる。「沼」が上位を占めているのは当然かもしれない。浅いということは面積に比べて水の容量が少ないということである。つまり汚染物質が流れ込めば、すぐに汚れてしまう。浅いという特性が沼の汚染を加速化しているのである。
湖沼の汚染ワースト5(平成11年度・単位はCOD年平均値・mg/l)
1 手賀沼 千葉県 18
2 印旛沼 千葉県 12
3 牛久沼 茨城県 11
4 佐鳴湖 静岡県 11
5 油ヶ淵 愛知県 9.5
◆このままではワースト1に
汚染度首位の手賀沼は最近、急速に浄化が進んでいる。平成12年から利根川のきれいな水を大量に手賀沼に流し込むようにしたためである。当然、沼の水は希釈されてきれいになる。昭和49年に環境庁が順位を付け始めて以来、26年連続して手賀沼が水質汚濁日本一の座を占め続けてきた。だが北千葉導水と呼ばれるこの事業の開始により、手賀沼の水質は改善している。手賀沼の水質がよくなること自体は歓迎すべきことである。だがこのままでは印旛沼がワースト一位になる日もそう遠くないかもしれない。全国最悪の水質という不名誉を避けるためにも今こそ印旛沼の浄化が求められている。
ちなみに手賀沼の水は農業用水に使っているだけで、飲み水にはなっていない。これに対し印旛沼の水は飲料水、農業用水、工業用水のすべてに使われている。つまり飲料用の水としては現在すでに印旛沼は全国最悪の状況なのである。
国はそれぞれの湖沼に環境基準を設けている。環境基準とは人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい目標のことである。環境基準は水の用途によって湖沼ごとに違うが、飲料水として使われている印旛沼の場合はCODは1リットルあたり3ミリグラム以下とされている(手賀沼は5ミリグラム以下)。ところが実際の印旛沼のCODは年平均で10ミリグラムである。基準にはほど遠いのが現状である。(注1)
◆水質汚濁の悪影響
水質の悪化はさまざまな問題を引き起こす。アオコが発生すれば悪臭のもとになる。水生植物の減少にもつながる。印旛沼では昭和30年代には約45種類の水生植物が確認されていたが、現在では10種類ほどにまで減っている。
そしてなにより人の健康への影響が危惧される。もちろんいくら原水が汚れていてもそのまま家庭に送られるわけではない。浄水場を通ってから水道水になる。水道法で定められた水質基準を満たす水にしてはじめて家庭に供給される。印旛沼の水も千葉市にある柏井浄水場で浄化されている。この浄水場は印旛沼の水と利根川の水の両方を処理している。実は柏井浄水場ではこの二種類の水を別々に浄水している。利根川からの水は沈澱・ろ過といった普通の処理をするだけである。 ところが印旛沼からの水はそれに加えて粒状活性炭やオゾンを使った高度処理を施す。そうしないと安心して供給できる水にならないからである。それだけコストがかかるともいえる。
◆指定湖沼に
印旛沼の水質が悪化してきたのは昭和40年代に入ってからである。昭和42年には沼の汚れの象徴ともいえるアオコが初めて発生した。47年頃からは水質汚濁が急速に進んだ。湖沼の汚染に対して国も手をこまねいていたわけではない。昭和59年には湖沼水質保全特別措置法という法律が成立した。この法律は、水質改善が必要な湖沼を国が指定し、水質保全計画を定めるようにしたものである。現在までに全国で10の湖沼が指定されているが、印旛沼は琵琶湖、霞ヶ浦、児島湖、手賀沼と並び昭和60年にまっさきに指定を受けている。
こうした取組みにもかかわらず印旛沼の水質はなかなか改善しない。それどころか従来は西印旛沼の汚染が問題だったが、今や北印旛沼の水質も同じくらいに悪くなってきている。
印旛沼の水質の変化(COD年平均値・mg/l)
年度 平成 5 6 7 8 9 10 11 12
COD 8.2 11 12 11 11 10 12 10
cf. 測定点は西印旛沼の上水道取水口下
◆汚濁の原因
なぜ水質浄化が進まないのか。また私たちは何をなすべきなのか。 それを考えるためにもまず印旛沼の汚染の原因をみてみる必要がある。汚染源は大きく分けて三つある。生活系と産業系と自然系である。生活系とはその名の通り台所、洗濯、トイレ、風呂などから出る生活排水である。産業系とは工場排水や畜産によるものである。自然系とはやや聞き慣れない言葉だが、雨が降って道路や市街地を洗い流して沼に流れ込むものなどをいう。他にも田畑・山林から出る汚れもここに含まれる。
印旛沼の汚濁の大部分は生活系と自然系に由来する。CODの発源を見ると生活系が41.6%、産業系が6.3%、自然系が52.9%となってる。この構成こそが対策の立てにくさの理由なのである。特定-[の工場からの排水が汚染の原因であるならば解決は簡単である。その工場排水を止めればよいからである。ところが印旛沼の場合はわれわれの日常生活全体が汚染源といえる。それだけに対策の特効薬が見つかりにくい。
生活排水ならばまだ対策のたてようもある。一人一人が汚染の原因になるようなものを流さないようにするなどの工夫もできる。また下水道や合併浄化槽の普及によって汚れた水が沼に流れ込まないようにすることも可能である。だがやっかいなのが自然系である。雨が街の汚れを洗い流して沼に流れ込むことを止めるのは難しい。これへの対策は現在まだ研究段階である。道路の清掃頻度がどの程度汚濁に関係するかなどが調査されている。山林を管理することで保水力を高め、沼に一気に水が流れ込まないようにすることも必要とされる。いずれにせよ効果的な手法はまだ模索中である。
生活排水がわれわれの生活に密接に関係していることは言うまでもない。そして自然系もわれわれのライフスタイルに起因しているといえる。都市化によって汚濁に拍車がかかっているからである。山を切り開き、土をアスファルトで覆うようになったことが大きく影響している。そしてこの自然系が汚濁に占める割合は年々高くなっているのである。
◆地球環境問題の試金石
われわれ自身が環境の破壊者になってしまっているというのは、現代型の環境問題の特徴である。一時代前の公害の場合、加害者は企業で、被害者が住民という構図が鮮明だった。例えば水俣病ならばチッソ社の出す有機水銀が原因だった。イタイイタイ病は三井金属鉱業から出るカドミウムによって引き起こされた。逆にいえば、被害は極めて深刻だったが、対策としてはこうした特定の発生源を抑えればよいという点で分かりやすかった。だが今日の環境問題の多くはそうではない。地球温暖化などの場合、一人一人が被害者であると同時に加害者でもある。生活の中で二酸化炭素を排出しているという点でわれわれ自身も温暖化の原因を作っている。
こうした現代型の環境問題の解決には特効薬はない。様々な手法を組合わせながら総力戦で臨むしかない。その中でわれわれ自身の意識改革も求められている。ライフスタイルの変革も必要である。この点は地球温暖化も印旛沼浄化もまったく同じである。裏を返せば、印旛沼の浄化というのは単に一地域の問題にとどまらない。地球環境問題の縮図なのである。これを解決出来るかどうかが地球環境を改善できるかどうかの試金石といえよう。
◆まずは啓発を
特効薬はないにしても出来うる限りの努力はしなければならない。まず出発点として、住民の一人一人に印旛沼の水質について広く関心を持ってもらう必要がある。われわれ自身が汚している以上、われわれ自身がそのことを自覚し、生活のありかたを見直す必要がある。そのためにも啓発活動が求められる。
この点で見習うべきは琵琶湖の例だと思う。琵琶湖は近畿一帯の水瓶だが昭和40年代に入ると周辺の都市化にともなって汚染がひどくなってきた。そこで住民の間で汚濁につながる合成洗剤の追放運動が始まり、粉石鹸の使用が奨励された。そして滋賀県も昭和54年には画期的な「富栄養化防止条例」を制定した。同時に滋賀県は59年に「世界湖沼環境会議」を主催する。この会議は地球上の各地で湖沼汚濁に取組む人たちと交流を図ることを狙ったもので29か国からの参加があった。この会議はのちに「世界湖沼会議」と名前を変え、その後も世界各地で約2年おきに開催されることになる。今年の11月には第9回の会議が発足の地・琵琶湖に里帰りして滋賀県大津市で開かれたのは記憶に新しい。このように琵琶湖周辺では行政も市民も環境保全のための意識が非常に高い。
もっともこうした取組みにもかかわらず琵琶湖の水質が劇的に改善したかといえばそうでもない。富栄養化防止条例が制定された昭和54年のCODの値は3.4ミリグラムだった。その後、昭和59年には2.6ミリグラムにまで下がったが、ここ10年ほどは3ミリグラムを上回り、平成11年度は3.2ミリグラムである。このあたりに閉鎖性水域の環境改善の難しさがあらわれている。(注2)
印旛沼の場合、琵琶湖に比べればもちろん、同じ県内の手賀沼に比べても意識がまだまだ低いように思われる。だが上にあげた数字に見られるように実際には印旛沼の汚れは琵琶湖の比ではないくらい深刻なのである。いっそうの啓発が求められる所以である。
◆市民の取組み
それでも印旛沼周辺でも意識の高まりの萌芽はある。市民も動きだしてきた。浄化を目指すNPO法人も誕生した。また「野菜いかだ」で沼を浄化しようというグループもある。沼につながる放水路にいかだを浮かべ、その上でクウシンサイやコウサイタイを栽培しているのだ。これらの野菜の根は水中に伸び、チッソやリンを吸収する。チッソやリンは放置しておくと沼の中で新たにCODを生み出す作用を持っている。 だからこれを植物の力で除去してしまおうというのである。
こうした試みは素晴らしいことである。もちろんそれによって沼全体の水質が劇的に改善するわけではないかもしれない。しかしそれでも市民が自ら参加するという点で大いに意味がある。水質への関心を喚起するためにも重要なことである。行政としても必要な支援を行なうと共に、こうした知恵を水質改善に役立てていくべきだろう。
◆発生源対策も
啓発活動に加えて必要なのは発生源対策である。汚れは元から断つのが一番よい。沼に入ってしまった汚れを除去するのは難しい。汚れを環境中に出さないことが大原則である。これは湖沼の汚染に限らない。 例えば大気汚染でもそうである。大気中に放出されてしまった有害物質を後から取り除くのは難しい。有害物質は発生源で処理するのが基本なのである。
そのためにもまず下水道や合併浄化槽の普及率を高めなければならない。これが最も確実な発生源対策だからである。もっとも佐倉市を例にとると下水道の普及率は89%で決して低い数字ではない。全国平均が62%、千葉県の平均が57%なのに比べてもかなり高いといえる。 問題はもっと上流の地域である。こうした地域にも下水道を普及させる必要がある。下水道の採算性が合わなければ合併浄化槽でもよい。 要は雑排水がそのまま流れ込むことを防ぐのである。
印旛沼の流域は10市3町2村(佐倉市、四街道市、八街市、印西市、白井市、成田市、千葉市、船橋市、八千代市、鎌ヶ谷市、酒々井町、富里町、栄町、印旛村、本埜村)にまたがっている。これらの広い地域から水が流れ込んでくるわけである。それだけに沼に流れ込む川はたくさんあるが、奇妙なことにこれらの川は上流ほど汚れている。一般的に河川は上流ほど清澄で、下流にいくほど汚れてくるのが普通である。だが印旛沼流域では逆になっている。これは上流ほど生活排水が未処理のまま川に流されているためと考えられる。
◆環境重視の公共事業を
ところで下水道や合併浄化槽を普及させるといっても資金が必要である。こういうところにこそ公共投資を行なうべきなのである。最近、公共事業の見直しが叫ばれている。車の通らない場所に道路をつくることはやめるべきである。本四架橋のように採算性をまったく無視した事業は無駄と責められても当然である。無駄な投資を削り、こうした環境分野に重点投資してこそメリハリのある公共投資といえるのではないだろうか。
先に述べたように印旛沼は湖沼水質保全特別措置法に基づいて国の指定を受けている。だが現実にはこの指定を受けても何の特典もない。指定湖沼は国が水質保全の必要性を認めたということである。こうした湖沼に対しては国が水質浄化のために資金面でも優遇することがあってよいのではないか。例えば指定湖沼の流域で下水道整備や合併浄化槽設置を行なう場合には普通よりも高めの補助を出すくらいのことはすべきだろう。そうした財政措置がなければ何のための指定なのかということになりかねない。
また印旛沼に植生帯を作り水草を回復することも検討すべきだと思う。前に「野菜いかだ」の例を紹介したが、確かに水生植物には水質浄化作用がある。印旛沼では繁殖したオニビシを昭和62年から平成3年にかけて大規模に刈り取ったことがある。だがその結果、水中のリン濃度が増え、CODの上昇にもつながったという報告もあるくらいである。
さらに農地からの肥料流出にも目を配る必要がある。肥料に含まれるチッソが沼に流れ込んでいるためである。今までこの問題はあまり触れられてこなかった。だがこれは対策が立てにくいとされる自然系の中で、対策可能とされるわずかな分野でもある。農業だけを聖域とするわけにもいかない。きちんとした対策が求められる。
◆県が中心になって取組みを
しかし何よりも重要なのは印旛沼浄化に向けて政治が強い意思を示すことである。より具体的には千葉県がイニシアティブを発揮すべきだと思う。河川法上、印旛沼は県知事管理の水域だからである。 私は印旛沼の浄化対策がこれまで進まなかった大きな原因は国まかせの姿勢があったからだと思っている。建設省(現・国土交通省)が持っていた「印旛沼総合開発事業」という構想に依存しすぎていたのである。この構想にはいろいろなものが含まれていたが、その柱は沼底を200万リューベも浚渫することだった。狙いとしては①新規都市用水の確保、②治水安全度の向上、③水質浄化の三本柱があった。その意味で必ずしも水質改善に的を絞った計画ではなかったが、それでもヘドロを浚渫することなどで浄化に寄与すると期待されていた。 だがこれに期待する余り、県や市町村は沼の浄化に主体的に取り組むというよりも、国に事業の早期着手を陳情するという姿ばかりが目についていた。
ところがこの構想は実際の工事に入ることなく昨年12月に正式に中止が決定した。公共事業見直しの時勢の中で800億円もかかるこの事業の必要性に疑問が投げ掛けられたからである。中止の決定は水質浄化への一頓挫ともいえよう。地元からは落胆の声も上がった。しかし私は逆にいい機会だとも思っている。今まで国の計画まかせだったものを、県を中心として地元が主体的に取り組むきっかけにすればよいのである。もちろん国に対しても必要な支援は要求すればよい。また市民団体なども巻き込むことが求められる。時あたかも県知事には環境問題に熱心な堂本暁子氏が就任した。堂本知事の強力なリーダーシップを期待している。
◆「印旛沼会議」の設置を提唱する
そこで私は知事が中心となって「(仮称)印旛沼会議」を設置することを提唱したい。この場に多くの関係者を集めて総合的な取組みを検討するのである。単に検討するだけでなく、そこで打ち出したことは実行することを前提としなければならない。そのくらいの気迫がないと議論倒れに終わるのが常である。関係市町村長はもちろん環境省や国土交通省、農水省の担当者、さらには学者、市民の参加も呼び掛けたい。その中で皆で知恵を出しあえばよいと思う。ちょうど三番瀬で円卓会議を設けるようなものである。
先に述べたように印旛沼の浄化には特効薬はない。総合的な施策が求められている。それだけに各部署が縦割り的に取組んでいても効果は減殺されてしまう。多くの関係者が参加することの意味はそこにある。
こうした会議をやったからといって沼をきれいにするための秘策が急に出てくるというわけではない。合併浄化槽の普及をはかったり、ビオトープをつくるなど今までいわれているようなアイディアの繰り返しになるかもしれない。しかしそれでも良いと思う。印旛沼の浄化を県政の最重要課題へと格上げすることこそ狙いなのである。会を重ねるごとに浄化への気運が高まるはずである。そうだとすればこれほど有意義なことはない。またこうした会議を開くことこそ市民への最大の啓発にもなるはずである。
◆機能していない水質保全協議会
実を言うと、こうした場はすでにあるともいえる。昭和46年に印旛沼水質保全協議会というものが設立された。この協議会の会長は千葉県知事がつとめ、千葉市・佐倉市など関係する16市町村の首長が副会長や理事をつとめている。他にも県水道局、水資源開発公団、土地改良区、漁協なども参加し、関係者はほぼ網羅されている。また関係する国会議員、県議会議員なども顧問に就任している。こうした顔触れをみると沼の浄化を討議するのに一番ふさわしい場である。ここで提唱した「印旛沼会議」を先取りした陣容ともいえよう。
しかしこの水質保全協議会には大きな問題点がある。沼の浄化に役立つことをしていないのである。言葉を換えれば機能していないのだ。実施していることといえば小中学生から印旛沼についてのポスターや標語を募集したり、ろ紙袋やポケットティッシュを配付している程度である。これはこれで啓発活動として意味があるのかもしれない。しかし肝腎の浄化のための具体策作りは何もしていないのである。せっかくこれだけのメンバーを集めて協議会を設置したからには、きちんとした議論を行ない、実際の政策に反映すべきだった。
この協議会が機能してこなかったのも浄化については国まかせの姿勢があったからである。だが建設省の計画が中止になった今、もはや国まかせにしているわけにはいかない。印旛沼の浄化に真剣に取り組む機関を立ち上げるべきである。もちろん既存の水質保全協議会を活性化してここで議論すべきだという声もあろう。それができれば何も「印旛沼会議」を新設して屋上屋を架す必要もない。そのあたりは柔軟に考えてよいと思う。大切なのは知事を先頭にして印旛沼の問題を県政の最優先課題に押し上げるような雰囲気をつくることなのである。
県はこの10月に「印旛沼流域水循環健全化会議」なるものを立ち上げた。ここで水質改善や治水について検討し来年3月までに計画を策定するという。だがこれは学者を委員長としたいわば専門家の討議の場であり、ほとんどの人はその存在さえ知らない。専門家による討議ももちろん必要である。しかし今、何よりも求められているのは、検討結果を即実行に移せるだけの気運の盛り上げである。そのためにも知事を中心とする「印旛沼会議」のようなものが必要なのである。
◆水の世紀にこそ印旛沼浄化を
21世紀は水の世紀といわれる。食糧危機がくる前に水の危機が深刻になると専門家は予測する。20世紀が石油をめぐって国家が争った時代とするならば、21世紀は水をめぐる争いが頻発するかもしれない。水は限られた資源だからである。
地球上の水は約14億立方キロメートルある。しかしそのうち97.5%は海水である。淡水は残る2.5%にすぎない。さらにそのうちの大部分は南極や北極の氷、あるいはアルプスなどの氷河である。人間がすぐに利用できる河川水や湖沼水は地球上の水のわずか0.01%にすぎない。
これだけ貴重な水を湛えた水瓶が私たちのすぐ隣にある。この印旛沼の環境を保全するのはわれわれの責務である。環境保全とは単にCODの数値を下げればよいというものではない。人間が水と身近にふれあえるような沼にすることが真の目的なのである。
注1)細かいことをいうと環境基準のCOD3mg/l以下というのは年平均値ではなく“75%値”である。75%値というのは測定したデータのうち良い方から順番に並べ75%目にあたる部分の値をいう。例えば印旛沼では年に24回水質を測定しているが、このうちきれいな方から75%(つまりきれいな方から18番目)の値を指す。これに対し、24回分を単純に足して24で割ったものが年平均値である。当然75%値の方が高めに出る。なお印旛沼のCODが年平均10mgというのは平成12年度の結果である。
ちなみに75%値だと11mgになる。前頁の「湖沼の汚染ワースト5」の表は平成11年度の結果である。印旛沼の12年度の結果はすでに千葉県が発表しているが、全国の湖沼についての統計は12月に環境省から発表される。そのため本稿執筆時点で平成12年度の全国の結果は未発表のためである。
注2)統計は琵琶湖南湖のもの。琵琶湖は北湖、南湖に分けられるが、南湖の方が汚染が進行している。