参議院選挙を前にして次々と新党が結成されています。乱立といえるかもしれません。
鳩山邦夫氏の自民党離党に始まり、「たちあがれ日本」「日本創新党」「新党改革」など続々と出てきました(新党改革は厳密には新党ではなく、旧来の改革クラブに舛添要一氏が入党して党名変更しただけですが、便宜上新党として扱います)。
「みんなの党」などは新党の中でも老舗(ちょっと語義矛盾かな?)と言えるくらいです。
“民主党には幻滅したが自民党には戻したくない”という人が多い以上、新党ができるのはむしろ自然なことなのかもしれません。それに選択肢が増えること自体は国民にとって悪いことではありません。
ただそうした新党の中でも「みんなの党」は異彩を放っていると思います。まず単なる数合わせでなく、政策や理念で結集しているという点です。
さらにその政策もしっかりとしています。「みんなの党」は「小さく効率的な政府」を目指しているという点で他党(既成政党も含む)と大きく異なります。他の政党がバラマキや政府の肥大化を掲げているのに対し、「みんなの党」はそうした政策に明確にNo!をつきつける唯一の政党です。
もちろん「みんなの党」は無政府主義者ではありませんから国や政府の役割を否定しているわけではありません。政府はやらなくてよいことまでお節介に介入するのではなく、本来やるべきことをきちんとやれという考えです。
つまりどこかの政権にみたいに「やらなくてよいバラマキ(子ども手当など)に固執する割には、外交・安全保障などやるべきことで迷走している」ことの逆をすべきだと主張しているわけです。
第22回参議院通常選挙・千葉選挙区への出馬を表明しました。「みんなの党」公認での出馬となります。
定数3のこの選挙区にはすでに民主党2人、自民党2人、共産党1人などの方々が立候補を表明していますので後発の身としては大変厳しい戦いになるのは覚悟しています。しかし挑戦する限りは全力を尽くしてまいります。
政策については本ホームページの「基本政策Q&A」をまもなく改訂する予定なので詳しくはそちらでご覧下さい。また「賢一の主張」コーナーにはこれまでの論文などが掲載されているのでご一読いただければ幸いです。
いま「民主党には幻滅したが自民党には戻したくない」という方は極めて多いと思います。私自身もその気持ちを共有しています。
「みんなの党」は民主党のような“バラマキ”にも自民党のような“しがらみ”にもはっきりとNo!を突き付ける改革政党です。こうした真の第三極が夏の参議院選挙で躍進することが不可欠だと考えております。私自身も力の限りつくすことをお誓いします。
本日、自民党に離党届を提出いたしました。私自身にとって離党というのはもちろん初めてのことですから、大袈裟でなく清水の舞台から飛び降りるという気持ちでいます。また4期自民党衆議院議員をつとめた間の様々な思いが去来し心苦しい思いもあります。
このブログの4月21日号をお読みの方はお気付きかもしれませんが、「みんなの党」に入党し参議院選を目指すということが念頭にあるのは事実です。
この点については後日、記者会見で正式に表明させていただきたいと思います。また当ブログでもあらためて述べるつもりでいます。
先例を見ると離党届の受理ではなく除名などの処分もあるようですが、そうしたことは私が決めることではなく、自民党の党紀委員会が決することなのでここでは触れません。
自民党に所属していた時もその政策や体質を常に全面肯定していたわけではありませんが、当時は「自民党公認として議員に選ばれている以上、歯を食いしばってでも党内に残り、その中で必要な声を上げ続けるべきだ」と考えていました。
しかし野党に転落をするという激変を経ても改革への消極姿勢や長老支配が続く党の姿を見ると、むしろこの政党を離れて政界再編を目指す方が良いのではないかと考えるに至りました。
草の根で頑張っている地域の自民党の方々に対しては感謝の思いこそあれ何の不満もありませんが、中枢の本部がしっかりしない以上、この政党に見切りをつける時期かと考えました。
政治家にとって政策や理念には一貫性が必要なのは言うまでもありません。ですから所属政党を転ずることに批判があるのは十分に理解します。ただ私自身の政策や理念がブレたり変わったりしたわけではありません。
政策・理念を実現し、より良い国づくりをするための手法として自民党という耐用年数切れの政党に所属するよりも離党し、再編を目指す方が良いと思うようになったわけです。
私は「党の前に国家国民がある」と信じております。今後とも国家国民のために全知全能をささげる覚悟でおりますので、心情をご賢察のほどよろしくお願い申し上げます。
前号で「年寄りは駄目」とか「若すぎるから駄目」とレッテル貼りをすべきでないということを書きましたが、日本の議会史上、最高齢まで国会議員をつとめた方は94歳まで衆議院議員をつとめた尾崎行雄です。明治から昭和にかけて60年以上衆議院議員として在職し「憲政の神様」と呼ばれた方です(さすがに94歳で26期目を目指したら落選しました)。
米国ではストロム・サーモンドという上院議員が100歳までつとめました。こちらは100歳の時に引退して5か月後の2003年に亡くなりました。
さて「たちあがれ日本」も「シルバー新党」とか「立ち枯れ」と揶揄されますが、別に私は年をとっているから駄目とは思いません(政策がバラバラな点は駄目です)。
結党会見の時に応援団を買って出た77歳の都知事が自分たちだけが国を憂いており若い者は駄目だという趣旨のことを言っていましたが、そういう独善性にはちょっと違和感がありますけど・・。
一方、若いから駄目という声もよくあります。身近なところでは昨年の千葉市長選の時によく聞かれました。千葉市長選には31歳の方が民主党推薦で立候補し当選しましたが、選挙戦中、自民党陣営からは「31歳の若造になにができる」という声が上がっていたのは事実です。
とはいえ公職選挙法上、市長には25歳以上(知事は30歳以上)であれば立候補できるのですから「若いからけしからん」と言ってもはじまりません。問題はその人間の政策・気力・責任感などが市長にふさわしいかどうかで、あとは有権者が判断することです。
私自身は現在、政策・気力・責任感など充実してきたつもりの43歳です。その情熱を注いでしっかりと働いてまいります。
若い候補者は選挙ポスターに名前と一緒に年齢を入れたがる傾向があります。「○○○○ 33歳」という感じです。一方、ベテラン議員が「△△△△ 72歳」と入れることはまずありません。代わりに「経験と実績」というようなスローガンを強調するわけです。
私が衆議院議員に初めて当選した時は32歳で、500人(いまは定数480人)の衆議院議員の中で最年少でした。その時点では選挙区内の県議会・市議会の方々の中にも私よりも若い人はいませんでした。
2期目になった時、さらに若い小渕優子さんなどが当選してきたので若い方から12番目になり、4期目になると小泉チルドレンと呼ばれるさらに若い人たちがずいぶんと誕生したので順位も若い方から59番目となりました。なにしろ杉村大蔵氏などは昭和54年生まれで私よりも13歳も年少でしたから。
政治談議の中でよく“年寄りは駄目”とか“若すぎて駄目”という言葉が出ますが、年齢という基準だけで判断すると間違いも生じがちになると思います。
永田町では多くの老害議員も見ましたが、一方で年はとっても研鑽を重ねて新たな知識の吸収に努めている人もいました。要は老壮青のいずれもが切磋琢磨すればよいのですが、この点については、次号で・・。
第一回の参議院選挙は1947(昭和22)年に行なわれました。第一回衆議院総選挙が1890(明治23)年ですから遅れること約半世紀になります。
そもそも参議院が設置されたのが戦後です。戦前の帝国議会は衆議院と貴族院でしたから。
それでも「参議院」の名前の由来となった「参議」という言葉はずいぶんと由緒あるものだそうです。奈良時代には太政官の役職として登場し、明治維新直後には西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった維新の三傑たちが就任した役職名でもあります。
参議院は「良識の府」と呼ばれる(自称しているだけか?)ことがありますが、本会議場で他人の投票ボタンを押した“代返”で議員辞職する人が出るなど、現状を見る限り本当に「良識の府」の名に値するかはかなり疑問があります。
しかしこうした由緒ある名前を引き継いでいることをしっかりと自覚しながら本当の意味で「良識の府」にしなければいけないと思います。
「みんなの党」の渡辺喜美代表が佐倉市の私の事務所を訪問されました。来る参議院選挙の千葉選挙区に同党公認で立候補してくれという依頼・要請でした。
一部報じられたことではありますが、こうした話は3月来いただいており私自身も「光栄なお話ですがお断りさせていただきます」と一旦は申し上げた経緯があります。
しかしその後も三顧の礼を尽くして出馬を求められ、今回は公党の代表自らがわざわざ佐倉市まで来ていただいたことは極めて重く受けとめたいと思います。
もともと渡辺喜美代議士とは衆議院同期(もっとも私は一期目は繰上げ当選なので在職は2年ほど短い)で自民党若手改革派として共に活動した仲ですので政策は酷似し気心も分かっているつもりです。当然同氏が代表をつとめる「みんなの党」にも政策的な親近感はあっても違和感はありません。
ただ先に触れたように一旦お断りしたというのは、いかに政策・理念で共通項があろうとも私自身数次に渡り自民党公認で衆議院選挙を戦ってきたことを考えると党を離れることは筋が通りにくいと考えたからです。
しかし再度の要請の中、さらに熟考すると「果たして今の自民党に日本の危機を乗り切るだけの力や覚悟があるのか」と考えるようになり、また「みんなの党」の方々の小政党といえども新しい政治に賭けていこうという姿勢を見ると心意気に感じるようにもなりました。こうした思いは日々強まっているところです。
“みんなの党から出馬要請”という報道があって以降、支援者の声も様々です。「自民党から次期衆議院選挙を目指すべきだ」という声もあれば、「自民党の行く末だってどうなるか分からない。それに義理立てするよりもまずは国政に早く返り咲いて国や地域のために尽くせ」という声もあります。
最終的な出処進退は自らが決することではありますが、本日公党の代表者が来ていただいたことを重く受け止めながら、自らの良識や信念に照らし合わせて近日中に決したいと思います。
21世紀のビジネスは「環境」がキーワードの一つになってきました。自動車でも排ガスや二酸化炭素を排出しない電気自動車が成長株と見られています。
実は電気自動車の原理そのものは目新しいものではありません。むしろガソリン車よりも古いくらいです。ベンツ(ベンツ社の創業者の名前です)とダイムラーがガソリン車を発明したのが1886年。それよりも前の1873年に最初の電気自動車は登場していました。
しかし走行距離が短い点や充電に時間がかかりすぎるなどの問題点があり、ガソリン車の方が一般に普及していくことになりました。それが100年以上経った今、逆に「ガソリン自動車→電気自動車」という流れが起こりつつあります。
もしかすると「LPレコード→CD」「固定電話→携帯電話」「ビデオ→DVD」といった変化になるのかもしれません。業界地図も激変する可能性が指摘されています。
自動車会社を自動車会社たらしめている独自技術はエンジンとトランスミッション(変速機)です。電気自動車はそのどちらもいりません。エンジンの代わりにモーターを使って走るからです。
そうなると異業種から自動車製造に参入することが進みやすくなります。「エンジン技術ではトヨタやホンダに敵わなくてもモーターなら自分たちの方が上だ」と電機業界が思っても不思議ではありません。
時代の変化は急速です。それを的確につかみ、適切に対応する能力が求められているのはビジネスも政治も同じかもしれません。
千葉県の人口は600万人、全国最少の鳥取県は60万人。10倍の差があります。それでいて参議院の定数は千葉県は3で、鳥取県は1。
人口比(有権者比も大体同じ)から言えば鳥取県が定数1ならば、千葉県は10あってもおかしくないところですが・・(千葉県の定数を10にしろと言っているわけではありません。議員数はむしろ減らす方向に進むべきですから。念のため)。
これがいわゆる一票の格差です。衆議院にも一票の格差はありますが、参議院はさらに極端です。一票の格差を完全に無くすことは難しいにしても少なくとも2倍以内に抑えるのが普通でしょう。
ある人が他の人の2倍もの票を持っているというのは常識で考えておかしいからです。堅く言えば「法の下の平等」に反します。こうした当たり前の感覚も国政に反映させていきたいと思います。
「マニフェスト」という言葉が頻繁に使われるようになったのは2003年総選挙の頃からだと思います。もちろん以前から「公約」という言葉はありました。じゃあどこが違うのでしょうか。
マニフェスト選挙の提唱者(北川正恭・三重県知事ら)が当時言っていたのが、公約が抽象的なスローガン集なのに対してマニフェストは数値目標・期限・財源を明示するものだということでした。
「福祉を充実させます」「地域発展につとめます」というだけでは抽象的なので、「2年以内に保育所待機児童をゼロにする」と具体的に書くのがマニフェストだということになります。そうすれば後になって達成度合いを検証できるというわけです。
つまりマニフェストは作成も重要ですが、実現しているかどうかの検証もそれに劣らず重要といえます。
もっとも今の民主党政権を見ていると細かく検証しなくてもマニフェスト違反に満ち満ちていることは明白です。高速道路無料化、ガソリン税の暫定税率廃止、天下り禁止...次々と反故にされています。
そういえば昨年の総選挙前、民主党は「政権交代」のスローガン入りの鳩山由紀夫さんのポスターをいたるところに貼っていました。実は総選挙後は「政権交代」の文字を「公約実行」に差し替えただけの同様のポスターを作成しています。もちろん鳩山さんの顔写真は同じです。
ところがこの「公約実行」のポスターは作ったもののほとんど街で見かけません。「実行していないじゃないか」と突っ込まれるから恥ずかしくて貼れないんでしょうねえ。