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環境委員会での質疑(PCBについて)

2016.04.21


 本日は参議院環境委員会が開かれる。冒頭、委員長や大臣ら全員で熊本地震の犠牲者に黙祷を捧げる。その後、PCB処理特措法改正案についての質疑が行われ、私も質疑に立った。

 PCBは40年以上前に製造が禁止されたが、使い終わっても処分できないために廃棄物として溜まり続けてきた(廃棄物だけではなく、今も使用中のPCB入りトランスなどもあるが)。

 これらのPCBは廃棄物であれ使用中のものであれ、一定期間内に処分することになっている。これは国際条約でも決まっており、国内でもPCB処理特措法で義務化されている。

 さてPCBは元々は自然界には存在しない。商品として人為的に生産された化学物質である。そうである以上、製造者責任があるはずである。ところがこの点はこれまであまり指摘されてこなかった。そのため製造者(国内では具体的には2社ある)が処分費用の支払いなどはしていない。

 PCB処理のためには国や地方の税金も投入されている。迅速な処理のためにその必要性は理解するが、一方ではなんでも税金で解決しようとするだけでなく、製造者に一定の責任を果たしてもらうという観点も重要だと思う。

 今年は私にとっても夏に参議院議員としての改選期を迎えるので、そちらの準備も進めなければならないが、国会開会中なので国会での活動もしっかりと行っていきたい。

民進党の結成と参加

2016.03.27


 本日、国会議員150人余りが参加する野党第一党「民進党」が結成された。私も2年前のみんなの党の解党後は特定の政党には属さず、無所属で活動してきたが、新たに結成された民進党に入党した。そこで本日は都内で開催された民進党の結党大会に参加してきた。

 「民進党」という名称から想起するのはどうしても台湾の「民主進歩党(略称は民進党)」のことになる。台湾の民進党は国民党の一党支配体制を打破し、健全な民主主義を同国に根付かせた。なにしろ台湾の国民党政権は世界最長とされる38年間もの戒厳令を敷き続けた政権だった。つまり今の自民党の一強体制などを遙かに凌ぐ強権独裁体制だったわけだ。それだけにそれに挑んだ人たちも命を懸けて闘ったはずである(台湾の民進党は最初は非合法政党だった)。

 私はその点で民進党という名称は良い名称だと思っている。そしてせっかくその名称をつけた以上、志の高さにおいても隣国の民主進歩党の創設者たちに引けを取らないような政党にすべく微力を尽くしたいと考えている。

告発?

2016.03.25

 

 市民団体なる人たちから告発を受けたらしい。2年前のみんなの党解党時の資金の流れの話のようだ。まったく理解に苦しむところだが、その時のことを思い出した。

 あの時、党所属国会議員のごく一部からではあるが「10億円以上の党資産を現職国会議員で山分けしよう」という声も上がった。しかし浅尾慶一郎代表が「みんなの党は行財政改革を最も強く主張してきた政党だ。そうである以上、政党助成金(原資は税金)として貰ったものは余れば国庫に返還しよう」と決断し、幹事長だった私も強くそれを支持した。これまで多くの政党が生まれては消えてきたが解党時にこうした国庫返還をしたのはみんなの党が初めてである。「税金の無駄遣いを許すな」という日頃の主張に沿った行動だったと思っているので別に褒めてくれと言うつもりはないが、なぜ問題視されるのかは理解に苦しむ。

 まして解党後の私は無所属で活動してきたので、ほとんどの国会議員が受け取っている政党助成金の受け取りもしていない(政党助成金はその名の通り政党に交付されるので無所属には配分されない)。

 まあ政治の世界も様々な思惑が交錯するところだからいろいろな意図もあるのかもしれないが…

原子力規制委員会と「ノーリターンルール」

2016.03.16


 現在発売中の週刊誌AERA(3月21日号)に原発の安全審査体制に関して「185人が古巣に 人事分離に抜け穴」という記事が出ている。

 東電福島第一原発事故の後、原子力の安全審査体制を強化するために原子力規制庁という組織が新設された。ここの職員には“ノーリターンルール”が適用されることになっている。規制庁で働いている人が明日には原発推進の経済産業省の職員になってしまうようでは「本当に規制の眼を光らせていたのか」と疑いを投げかけられても仕方がない。そこで規制庁で働く人は経済産業省などには復職できないという制度になっている。

 ところがその“ノーリターンルール”には抜け穴がある。AERAの記事はそれを取り上げている。私自身もこの抜け穴については国会で何度も追及してきた。この問題についてはAERAからの取材も受け、記事でも私の発言が引用されている。御一読いただければ幸いである。

東日本大震災から5年

2016.03.11


 東日本大震災から5年が経った。あの日、あの時間、私は永田町の議員会館の5階の自室で客と話をしていたが、今までに経験したこともないほどの激しい揺れに見舞われた。震源地から離れた東京でさえそうだったのだから震度7の激震に見舞われた人たちの恐怖はいかばかりだっただろうか。その後の津波の恐ろしさは言うまでもない。

 あらためて犠牲となられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被害にあわれた方々に心からのお見舞いを申し上げたい。

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