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謹賀新年

2016.01.01


 明けましておめでとうございます。
 今年は正月三が日が終わるとすぐに1月4日から通常国会が始まります。国会法は第2条で通常国会の召集を1月中と定めているので、毎年1月に開会はされますが、さすがに三が日が終わるとすぐに召集というのは異例のことです。

  *ここ5年間の通常国会の召集日
     2011年  1月24日
     2012年  1月24日
     2013年  1月28日
     2014年  1月24日
     2015年  1月26日

 それだけ聞くと今年は正月早々に国会議員も仕事熱心であるかのように見えなくもないですが、実際には本来、昨年秋に開いておくべき国会を開かなかった代わりに新年早々から開会するというだけのことですから、それほど褒められたものではありません(昨秋以来の野党側の早期の国会召集要求を政府与党側が黙殺してきた件はブログなどに経緯を綴っています)。

 その点では“遅ればせながら”という気もしないではありませんが、ともあれ4日からは第190回通常国会です。私自身も予算委員会やその他の場(私は環境委員会に所属予定です)で政府側に対して追及すべきは追及し、提言すべきは提言するという立場で論戦にのぞんでいきたいと思っています。

 今年もどうぞ、よろしくお願いします。

「民主党・新緑風会」への入会 ~自民党の一強体制を打破するために~

2015.12.04


 ◆民主党会派への入会
 本日、参議院の会派「民主党・新緑風会」への入会をいたしました。会派というのは国会内のグループのことであり、政党とは似てはいますが、厳密に言うと別のものです。つまり「所属政党は?」と問われるならば、従前通りの無所属に変わりはありませんが、国会活動は民主党と歩調を合わせながら活動をしていくことになります。
 現在、野党の連携・再編の話がメディアを賑わすことも多く、民主党が近々に他党とも統一会派を組むのではないかという話も報じられたりもしています。仮定の話を前提にして述べるのはあまり良くないのかもしれませんが、いったん民主党会派に入会した以上は、組織として新たな決定をするのであれば、それに同一歩調をとることになると思います。自民党の「一強多弱」と呼ばれる政治状況を打破し、自民党に対抗しうる勢力を結集していくことが必要だと思っているからでもあります。

 ◆無所属での1年
 振り返りますと私の所属政党「みんなの党」が解党したのが昨年11月28日でしたからちょうど1年が過ぎたことになります。その間、政党とは距離を置きながら無所属で活動をしてきました。
 無所属とはいっても野党議員ですから国会対応などで民主党の執行部・参議院幹部の方々とも野党共闘の相談をする場面はたびたびあり、信頼関係を築くことができたと思っております。また予算案・法案・各種決議案などの採決態度は基本的に同じでしたし、今後もそれは可能だと思うようになりました。
 この1年間を見ても政府与党は安保法制の強行採決など強引な国会運営を数多く行ってきました。また直近のことを言えば憲法53条に基づく野党の国会召集要求を無視し続けるという暴挙もあります。これらを目の当たりにするにつけ、やはり「自民党に対抗する勢力を作りあげていかなければいけない」、「私自身の行動も野党がまとまるための一助にならなければいけない」という思いを強めており、今回の会派入りに至ったわけです。

 ◆参議院選に関して
 最後に来年の参議院選挙について付言しておきます。私自身が来年夏に参議院議員として改選を迎えるため「どうするのか」と問われることが多くあるからです。今回の会派移動は、あくまでも国会内の活動で民主党のグループに属するということであり、直接、政党の公認・推薦などに連動する話ではありません。
 私が選出されている千葉県選挙区は定数が3であり、すでに自民党は2人の公認予定者を決定しています。この2名がそのまま当選するようなことがあれば、千葉県においては自民党が「3分の2」を占めることになってしまうわけです。これでは自民党一強体制を強化するだけであり、これを阻止することこそ至上命題だと考えています。
 私自身が千葉県選挙区から再選を目指して出馬することは間違いないことなので、その中で、至上命題である自民党の2議席阻止のための最善の方法を関係者とも相談しながら決めていきたいと考えております。
 

野党各党と一致して臨時国会の召集を要求

2015.10.21



◆臨時国会召集要求書の提出
 本日、衆参両院で野党各党は「臨時国会召集要求書」を提出した。憲法53条は臨時国会の召集について規定しているが、その中で「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めている。そこでこれに基づいて衆参両院のそれぞれで4分の1以上の議員数で要求書を出したわけである。
       総議員数 4分の1 要求書の提出議員数
  衆議院  475人 119人   125人
  参議院  242人  61人    84人
 政党別にいうと民主党、共産党、社民党、生活の党が参加している。私の属している参議院会派の無所属クラブも私を含め4人全員が召集を要求している。注釈が必要なのが維新の党で「執行部系」とされる人たちは名を連ねているが、「大阪系」とされる人たちは名前を載せていない(執行部は「大阪系」の除名処分をすでに決めているが、参議院会派の「維新の党」は大阪系メンバーが主体なので同会派メンバーは誰も要求書に名を連ねていない。ともあれ実にややこしい)。なお野党といっても安保法制に賛成をした「日本を元気にする会」「次世代の党」「新党改革」は要求書には加わっていない。

◆国会を開きたくないという政府

 こうした要求書を提出したのも政府が秋の臨時国会を開催しない方針だからである。普通は秋には臨時国会を開催することが通例となっている。まして今年は10月7日には内閣改造があり、9人もの新閣僚が誕生している(返り咲きを含むと10人)。それだけに新閣僚らがどのような政策や所信を持っているのかを国会で披瀝するのは当然のことである。しかし政府はその当然のことをしないという腹づもりのようだ。「国会を開いてもどうせ野党からの追及を受けるだけで野党の得点稼ぎに利用されるだけだ。緊急に成立させなければいけない法案もなさそうだし国会なんか開く必要はない」という発想なのだろう。

 だが国会で審議すべきなのは別に政府提出法案だけではない。国会は政府の下請け機関ではない以上、議論すべきことは他にも多々ある。議員立法もあれば、国政の他の重要課題も山積している。大筋合意したTPPなどはその典型例だろう。これらの課題があるにもかかわらず「野党の追及にさらされるから国会を開会しない」という姿勢はいただけない。

◆同意人事に空白を作るなど論外
 さらにあまり指摘されていない点だが、同意人事の問題もある。審議会その他の役職のうち重要な役職は国会同意人事といって政府が任命するだけでなく衆参両院の同意があって初めて就任できるようになっている。国会同意人事の対象は200名を超えるが、主な役職としては以下のようなものがある。
  原子力規制委員会    委員(委員長も)
  国家公安委員会     委員
  社会保険審査会     委員(委員長も)
  日本銀行        総裁・副総裁など
  日本放送協会経営委員会 委員
 
 政府が秋に臨時国会を開かずに、次期国会召集が1月にずれ込んでしまうと、これらの国会同意人事の中で任期切れしてしまう人たちが出てくる。具体的には次のような役職である。
  公正取引委員会委員 12月3日で5年の任期満了
  検査官       12月7日で7年の任期満了
 これらのポストが「国会を開かないから国会の同意を得られない」などという珍妙な理由で空席になってしまうなどというのは極めて異例のことである。確かにこうした重要なポストが一時的に空席になった例は過去にないわけではない。最近で最も話題になったのは2008年に日銀総裁が20日間空席になったことだろう。ただしこの時は政府としては任期切れ前に後任の総裁候補を国会に提示していた。しかし国会がその人事案を否決したために空席になったのである(この時は「ねじれ国会」だった)。

 このように政府としては努力はしたが、国会がその人事案を承認しなかったから空席になったというならばまだ理解できる。ところが今回は違う。任期切れすることが分かっているにもかかわらず、政府が国会を閉じたままで後任の人事案を出さないために空席が生じてしまうわけである。こんなことがあって良いはずがない(同意人事案は国会開会中に政府が国会に提示する。また開会していなければ承認することはできない)。

 そもそも同意人事というのは要職だからこそ国会の承認が必要とされているのである。そうした枢要なポストが空席になると分かっていて、それを放置するのは政府の怠慢であり、論外と言わざるを得ない。

 どうやら安倍政権は野党が本日提出した開会要求書も黙殺するようである。政権にとって損だから国会は開かないといった小さな気持ちは捨てて、自分たちの政策に自信があるのであれば、野党と大いに論戦を交わそうというくらいの気概を持ったらどうだろうか。

酒井巌先生の葬儀に出席

2015.10.16


 本日は千葉市で元県議会議長の酒井巌先生の葬儀に出席した。満87歳と御高齢ではあったものの最近までお元気だったので、訃報に接し、驚くと共に残念の思いで一杯である。

 県議7期をつとめた千葉県政界の重鎮でありながら偉ぶることもなく、謙虚で温厚な人柄は多くの人から敬愛されていた。一方で確固たる信念を持ち、存在感と重みのある良識派の政治家でもあった。私自身も選挙で大変お世話になったのはもちろんのこと、人間として尊敬していた方だったので残念としか言い様がない。

 葬儀の席での松野博一衆議院議員の弔辞は心のこもったものだった。弔辞にあったように、正月に県庁近くの酒井事務所に行くと、いつも豆大福を勧められたことなどを思いだし、目頭が熱くなった。

 ご冥福をお祈りすると共に、天国の先生に「水野賢一を応援したことは間違っていなかった」と思っていただけるように国会議員としてしっかりと働いていこうと誓った。

敬老会でのご挨拶

2015.10.05


 敬老会で挨拶しているところ。長年社会のために尽くしてこられた高齢者の皆様方に感謝の念を述べると共に、さらなる長寿を祈念する。

 ちなみに国会の歴史は明治23年の開設以来125年を数えるが、その中で最高齢まで議員をつとめた例は「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄で、94歳まで衆議院議員だった。31歳で第1回総選挙に当選してから連続25期つとめたのだからすごいこと。94歳で26期目を目指したが、さすがにその時は落選してしまったが・・。尾崎行雄の偉大さは、ただ高齢まで長く在職しただけでなく、民主主義のために命懸けで尽力したことにもある。

 こうした偉大な先人の足元にも及ばないとはいえ、私自身もしっかりと働いていかないと。

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