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けんいちブログ
9/30定例会見
2014.09.30
先日の火山噴火に於きまして、多くの方々が犠牲になられた事について、お悔やみを申し上げると同時に救出作業も二次災害などの危険の恐れのある中、そういう事にも気を付けながら速やかな救出作業等が行われる事または、作業に携わってる方々に敬意を表したいと思います。
我が党といたしましても、この火山噴火災害に対しまして、党規約でこうした重要な課題がある場合には、臨時の本部を設置できると規定されてますので、幹事長の了解の基に本部を設置出来ると規約にも明記されてますので、杉本議員を本部長として、本日付で火山噴火災害対策本部を設置させて頂いたところでございます。名称等については今から本部の中で議論がありますので、仮称という形でさせておりますが、そうした本部を設置したという事でございます。
事務的な話から申しますと、10月3、4日の二日間に渡りまして、箱根湯本に於きまして、国会議員や統一地方選の候補内定者等の合同研修会を原則としてマスコミフルオープンの形で行わせて頂く予定でありますし、代表の挨拶や幹事長、政調会長の挨拶、外部講師の講演や先日、塩村都会議員の所謂、セクハラ、野次問題等もありましたけど、女性局を中心にセクシャルハラスメント防止の研修等含めて、そうした事も行う、またローカルアジェンダについても研鑽を高めていく会にしたいと考えています。
昨日国会が始まりました。総理の所信表明演説も衆参両院で行われたわけですが、聞いた印象で言いますと、根室のサンマとか、鳥取の地ビールとか、何処かのサザエカレーとか、そういうような話が中心でありまして、それはそれで結構なんですが、内政外交の主要課題について総理がどういうふうに、内閣がどういう形で取り組むかについてしっかりとした質疑を国会に於いて、私達も野党の立場から行っていく中で、明日は衆議院の本会議の代表質問に於いては、浅尾代表が立たれる予定でありますし、明後日は参議院の本会議の代表質問は、行田議員が立つ予定でありますし、その後の予算委員会等でもしっかりと追及していきたいと思っております。
尚、会期等については私達も11月末までの会期に賛成をしてますが、私達にとってはここで終わっていいと言ってるのではなくて、国会に於いては臨時国会も延長は可能ですから、そういう必要があれば十分な質疑をその後も求めていくという前提のもとで、取り敢えず昨日の冒頭の場面での会期の採決に於いては、衆参両院で賛成してる前提だという事を申し上げたいと思います。
先日、9月27日の両院議院総会の結果、三つの議案が採決によって採択されたという事はご報告済みの事でありますが、これについてはその日の内に、浅尾代表並びに、渡辺前代表が共同で記者ブリーフ等を行っておりますし、浅尾代表ご自身がお話をされておりますから、私から付け加える事はございません。なおこうした路線関係と言われる問題については本日の役員会では特に議題になった訳ではございません。私からは以上であります。
(2014/9/30みんなの党定例会見より)
※記者会見Q&Aをご覧になられたい方はみんなの党HPよりご覧ください。↓
http://www.your-party.jp/activity/press/
9/24定例会見
2014.09.24
我が党の、路線問題、政界再編の在り方について、政策実現の考えについて色々な議論が盛んで、重要な問題でもありますから役員会だけの議論でなくて、両院総会を開くべきだという署名もありましたが、そもそも署名を集める以前に浅尾代表もそうした総会を開くつもりでしたから、9月27日の土曜日に両院議員総会を都市センターホテルで行う予定であります。
その前に、物を決定する機関は国会議員の両議院総会でありますが、地方の現場でみんなの党のために一生懸命働いてる地方議員や、支部の役員の方々等々居られるわけですから、そうした方々の率直な意見も聞く必要がある、勿論決定するのは両院議員総会かもしれないが、その前に意見を広く聞くというのは大切だと思っているので、これも同日に同じ場所で、党関係者の声を聴く会というのを13時半から行いまして、終了次第両院総会を土曜日に開催する予定です。その中で、政界再編に向けての、みんなの党の政策実現に向けての率直な意見などが各議員から出てくるんではないかと思っております。
尚、どちらも重要な会ですから、頭取りは別として原則的には非公開として、忌憚ないご意見を言ってもらうという事を前提とした会という事は予め申し上げておきます。このあたりの件については、ご質問を受けてお聞きした方がいいかと思っております。先日離党届が出てきた、大熊議員については、今日議論したんですが役員会としては今日の時点で結論は出ておりません。私の方からは以上です。
(2014/9/24みんなの党定例会見より)
※記者会見Q&Aをご覧になられたい方はみんなの党HPよりご覧ください。↓
http://www.your-party.jp/activity/press/
私の思い
2014.09.18
私が自民党を離党してみんなの党に加わったのは「既得権とのつながりの多い自民党では改革はできない」と考えたからだ。みんなの党の幹事長の立場にある今もその思いに変わりはない。自民党にすり寄るようでは何のために離党したのか分からなくなってしまう。与党再編論など賛成できるはずがない。
「与党再編」か「野党再編」か
2014.09.17
「与党再編」か「野党再編」か
◆みんなの党の路線問題
みんなの党が進むべき路線について議論が激しくなっている。路線については大きく分ければ以下の三つの考え方にまとめられるだろう。
①現政権と協力・連携していく。最終的には与党入りして政策の実現を図っていく
②他の野党と協力・連携して自公政権に対抗しうるだけの勢力を作っていく
③与党とも他の野党とも一線を画し独立独歩で進む
別の言葉を使うならば、
①の路線・・・「与党再編路線」
②の路線・・・「野党再編路線」
③の路線・・・「自力更生路線」または「独立独歩路線」
と言い換えても良いかもしれない。
私自身も現在、みんなの党の幹事長という立場におり、こうした路線問題とは無関係ではいられない。これまでの経緯や人間関係、政策理念なども複雑に絡み合う問題なので、去来する思いはいろいろとあるが、結論を言えば私は②の路線しかないと思っている。
◆与党再編は筋が通っているか
まず①の「与党再編」について考えてみたい。この路線については、私は筋としても間違っており、実現性もないと考えているが、その理由を述べておきたい。
そもそも「与党再編」とは何を意味するのだろうか。その主張を要約すればだいたいこんなところだろう。
“政党の使命は政策実現にある。政策を実現するためには現政権と対話をして政策提言をしていくべきだ。現在、自民党は参議院で単独過半数に7議席足りない。幸いみんなの党は参議院に12議席を有している。つまりみんなの党はキャスティングボートを握っているとも言える。だからこの立場を生かして自民党に働きかけを強めれば政策も実現できる。そして最終的には閣外協力・閣内協力に進んでいけばよい。自民党が現在の連立パートナーである公明党を切り捨てるかどうかは分からないが、みんなの党も連立パートナーに加わればよい”
この考えの冒頭の「政党の使命は政策実現にある」ということには私も何の異論もない。しかし野党が政策を実現する方法というのは、選挙で与党を打ち破り、自らが政権を獲った上で実現するというのが議会制民主主義の大原則のはずだ。選挙の洗礼を経ないままいつのまにか与党化して政策実現に努めるというのは、有権者に説明がつかないものであり根本的なところで間違っている。
みんなの党がかねて掲げていたのは「クロス連合」のはずである。政策ごとに組む相手を選ぶというものだった。これならば分かる。しかし組む相手を最初から安倍政権と決めてしまうのではクロス連合でさえなくなってしまう。
◆与党再編に現実味はあるか
与党再編は果たして実現可能な方針なのかという疑問もある。つまり現実味があるのかという話である。現状は自民党・公明党の与党が衆参両院の過半数を完全に制している。衆議院は自民党単独で過半数を大きく超えている。確かに参議院は自民党単独では過半数に達していないが、20議席の公明党と連立を組むことで与党としては過半数を確保している。
参議院の定数 242
参議院の過半数 121
自民党 114
公明党 20
注)参議院議員に現在欠員はおらず、議長は投票しないため121が過半数となる。
ねじれ国会ならばいざ知らず、こうした安定した状況の下、与党側がすき好んで再編する理由はどこにもない。時には自民党と公明党の関係がぎくしゃくすることはあるかもしれないが、だからといって連立解消という可能性は現実味に乏しい。
そうした中でみんなの党が参議院の議席数を背景に政策実現を自民党安倍政権に迫ったとしても、たいした果実を得られるとは思えない。現に今年に入ってからの安倍政権の動きを見ても、私たちが提案した公務員制度改革法案や議員歳費カット法案などを一顧だにしていない。公務員制度改革法案に関して言えば野党時代の自民党は我が党案を全面的に受け入れ、法案を共同提出までしていた。にもかかわらず政権復帰後は、同じ我が党案(つまり野党時代の自民党が共同提出した案)を否決する側に回っているのである。
要は与党再編論というのは、原則論からしても筋が通らないし、現実味もない。もっとも私も与党に対して政策を提言すること自体には異論はない。「みんなの党は何でも反対の野党ではなく、対案を示すことができる野党だ」という姿を示すことは必要なことだとも思う。その点で、政策提言は政権側に対しても他の野党に対しても積極的にすべきだと思っている。しかし根本の方針をゆるがせにしてはならない。根本の方針とは次の選挙で現与党を打ち倒して政権を奪取することであり、それによって政策実現を図るということである。政策提言は大いにしていくべきだが、それは政権へのすり寄りを意味するものであってはならない。
◆単独で小選挙区で勝てるか
さて選挙で与党を打ち破ると言っても、みんなの党単独で勝てるならばそれに越したことはないが、事はそれほど簡単ではない。この点は、精神論だけでなく客観状況もわきまえないといけないだろう。小選挙区制というのは明らかに二大勢力に有利な仕組みである。小選挙区制度の是非については様々な議論があろうが、現実にその制度が衆議院で採用されているのは事実である。もちろん衆議院選は単純小選挙区制ではなく比例代表制との並立制であり、中小政党に一定の配慮もなされてはいるが、あくまでも一定の配慮にすぎない。
前回の総選挙でみんなの党は解散時の7議席から18議席へと勢力を伸ばした。とはいえ300小選挙区のうちみんなの党が制したのは4選挙区のみである(比例区で14議席獲得したので合計で18議席)。第三極以下の政党が、小選挙区で勝ち抜いていくというのは至難の業なのである。
小選挙区制度が衆議院に導入されてからすでに6回の総選挙が実施されてきた。その中で、300小選挙区のうち二大政党以外が獲得した最高記録はいくつだろうか。答えは小選挙区制が導入されて最初の総選挙(1996年)の民主党の17選挙区である。この時点での二大勢力は自民党と新進党だったが、第三極とも言うべき民主党(旧民主党)が17小選挙区を制し、比例区と合わせて52議席を確保した。
以下に過去6回の衆議院選挙で、小選挙区で勝利した政党の上位三傑までを示した。いずれの選挙も小選挙区の数は300だったが、第三位以下の政党が小選挙区で勝利することの難しさが分かるだろう。なお()の内は比例区と合計した獲得議席数である。
1996年総選挙
①自民党 169(239)
②新進党 96(156)
③民主党 17( 52)
2000年総選挙
①自民党 177(233)
②民主党 80(127)
③公明党 7( 31)
保守党 7( 7)
2003年総選挙
①自民党 168(237)
②民主党 105(177)
③公明党 9( 34)
2005年総選挙
①自民党 219(296)
②民主党 52(113)
③公明党 8( 31)
2009年総選挙
①民主党 221(308)
②自民党 64(119)
③社民党 3( 7)
国民新党 3( 3)
2012年総選挙
①自民党 237(294)
②民主党 27( 57)
③維新の会 14( 54)
注)以上の順位は小選挙区での獲得議席の順位のため比例を合計した順位は変わってくる。例えば2009年総選挙で公明党は小選挙区ゼロだったが比例で21議席を獲得しているため合計数では社民党や国民新党よりも多かった。
こうした前例を見てみると、第三極の政党が二桁の小選挙区を制するのは極めて困難だということが分かる。一方で、衆議院で50議席台に乗せるには小選挙区で15前後の議席を得ないと難しいことも分かる。細々とした小政党として存在するならばともかく政策実現に資するだけの影響力を持つ政党に成長しようとすれば二桁以上の小選挙区で勝利したいところである。
残念ながらみんなの党の現状を見れば、単独でそれだけの小選挙区で勝利を得ることは、どう見ても無理である。それどころか候補者擁立さえ困難になってくる。与党にも組さず、野党連携とも一線を画したまま単独で国政選挙を迎えるという選択肢は私にはないように思われる。
◆野党再編について
以上のように書いてくると「与党再編も駄目。独立独歩も駄目。だから野党再編しかない」という具合に消去法で野党再編論を言っているように聞こえるかもしれないが、必ずしもそうではない。
健全な民主主義を発展させるためにも「一強多弱」と呼ばれる政治状況を打破することには積極的な意味があると思う。第二次安倍政権発足後の2013年、2014年のみんなの党の運動方針にも「数をたのんだ暴走にはしっかりと歯止めをかけ」と明記してある。
もちろん「自民党の暴走を抑える」という軸だけで結集するのでは、野合と言われても仕方ないだろう。共通項は非自民というだけで、政策や理念がバラバラというのでは困る。一般論で言えば、幅広い政治勢力を結集していけば政策や理念の幅も広くならざるをえない。一方、政策や理念をとことん一致させようとすれば、幅広い結集もできなくなる。こうした二律背反の関係にあるので、難しい問題に見えるが、現に野党に身を置いて、様々な協議の渦中にいる立場からすると、着地点を見いだすことは十分可能だろうというのが実感である。
もちろん非自民であれば何でも良いというわけではなく、提携しようもない勢力もあるだろう。共産党、社民党のように社会主義的な施策を打ち出す政党とは理念が違うと言わざるを得ない。次世代の党も国家社会主義的な色彩が強すぎる上に、彼らは自民党と連携を模索するのかもしれない。すべての政党について論評することは差し控えるし、ここで具体的に「どの党とどの時期に提携するのか」「提携の度合いはどの程度なのか」を断言することも難しい。しかし野党第一党の民主党やまもなく結成される維新の党の動向には注意を払っていくべきだろう。とりわけ衆参両院で野党第一党である民主党の動きこそ鍵になってくるので、そこをよく見極めながら進んでいく必要があると思う。
◆政治における「妥協」とは
僭越な言い方であることを承知の上で言えば、みんなの党が結党以来掲げてきた政策や理念は野党結集の軸になりうるものだと思っている。そうは言っても私たちが掲げてきた政策(アジェンダ)を細部に至るまでそのまま固執するというのでは話が進まないこともあるだろう。実際に自民党に対抗する勢力を結集していくには妥協も必要になってくる。
妥協というと“足して2で割る”のような印象を持ち、旧来型の政治手法だと考える人もいるかもしれない。しかし必ずしも妥協を否定的に捉えるべきではないと思う。「妥協」にあたる英語はcompromiseだが、その語源はcom(共同の)とpromise(約束)である。お互いに歩み寄って共に約束するということである。
政治の世界において自説をただ振りまわすだけならば誰にでもできる。優れた政治家というのは自らの信念や理念は堅持しつつも相手と信頼関係を築いて約束事をまとめられる人物のことだと思う。自分自身への自戒を込めながら言えば、現在野党に身を置く者としては、新しい政治状況を切り拓くためにそうした歴史的妥協をするだけの決断力と胆力が必要だと思っている。
9/17定例会見
2014.09.17
本日は、11時40分から役員会を開きまして、その後、両院懇親会を行いました。役員会の中、両院懇懇親会の中でも議題の殆どは、渡辺前代表が提起してらっしゃる与党再編論の問題や、昨日行われた浅尾代表と渡辺前代表の会談などについての話であります。
役員会の議論の中で、一つの方向性を役員達がどの様な意見を持っているかという事について挙手を行いました。選択肢は、与党再編論は言葉が曖昧で、渡辺前代表の定義があるんでしょうけど、定義が曖昧ですので国政選挙の洗礼を経ずして与党入りしていくということを我が党の方針として、選択肢に入るべきなのかどうかということでして、浅尾代表からは明確にそういうことはNOだと、選挙の洗礼を経ることのないままに押しかけるような形で、与党になるなどということはあり得ないと、そういうことは選択肢に入らないという意見の表明がありましたので、それを踏まえまして、与党入りすることのNOだという選択肢と、選択肢としてあり得るということと、もう一つは棄権、今表明すべきでないとか、色々理由があるでしょうが要するに棄権という選択肢、この三つの中で挙手をして頂きました。
参加者が9人で今日役員会は、松沢さんと行田さんが外遊中ですので欠席でありますが、9人の中で挙手を行いまして、私の方から申し上げれるのは、何れにも手を挙げた方のいらっしゃいました、三案共に。つまり0票というのはありませんでした。過半数に於いては、選挙の洗礼を経ずして与党入りなどということは無いという、浅尾代表の示された方針を支持するという結果だと思っております。勿論これは党に於いては、役員会に於ける多数意見がそうだったということを事実として申し上げておりまして、党に於いては当然、極めて重要な問題だから両院議員総会で議論すべきだという声もありますし、それは一定の要件を満たせばそれは踏まえるべきなものだと考えておりますけど、役員会の多数はそうであったというのが事実であります。
因みに自分の事に関しては、申し上げていいと思いますので私自身の立場を申し上げれば、浅尾代表の方針に賛成の立場で挙手をさせて頂きました。役員会は基本的に以上のような話であります。その他の報告事項等もありますが、今日は国対の報告だとか、離党届を大熊議員が出してきたというのもありましたが、それは報告いたしましたがそれについて、承認とか新たなアクションを取ったということは本日ございませんし、役員会は通例よりも長い時間がかかったということであります。
その後両院懇親会が行われまして、渡辺前代表も久しぶりに出席されてご高説を述べてらっしゃいました。こちらにおいても質疑・色々な意見交換の中で渡辺喜美前代表からは、与党再編論などについても述べてらっしゃいました。一言で言えば、勝手に私が要約していいのかどうか分かりませんけれども、政党の使命とは政策の実現であると、そして、いま参議院においては自民党が単独では過半数割れをしている中で、みんなの党は12議席という参議院における一定の勢力を持っているわけだから、それをテコの原理でレバレッジをいかして政策実現を図っていくべきだと、段階においては、それは責任野党の段階とか、戦略対話とか、更には与党国対に入ってとかですね、そいうような閣内閣外協力などもブレーンストーミングとして触れていらっしゃいました。
基本的には、渡辺喜美前代表とのやり取りが、本日行われた両院懇親会の中ではかなりの時間がかかったと思います。主に浅尾代表と私がお答えをさせて頂きましたけれども、私の方からは明確に、勿論浅尾代表からも明確にですけれども、与党再編というのは無いと。選挙の洗礼を経ずして、いつの間にか与党化していくというのは、有権者に対する背信行為でもあり、そもそも、そんな方法で政策が実現できるというのは、考え方として現実味がない、というようなことなどについて執行部側からは、そういう反論があったところでもあります。
本日はですね、報道によりますと渡辺議員は浅尾代表に対して退陣要求もしくは、昨日の会談によると離党要求というのでしょうか、そいうことをされたやに報道では伺ってますが、今日の両院懇親会の中では明示的に退陣だとか離党を求めたかということについては、お話があったというふうには理解はしておりません。
いずれにせよ、私の立場から言えるのは、政策を実現していくのが政党の使命だという、渡辺前代表の主張、その部分に限れば、それはその通りだけれども野党のいうのはその政策を実現する手段というのは自らが今の与党を選挙によって打倒して、その結果として政策実現を図るというのが本筋であって、選挙の洗礼も経ないでいつの間にか野党だったのが与党化してですね、それで政策実現だというのは、これは明らかな間違った方針だということを思っておりますし、そういうやりとりでかなりの時間が費やされたということであります。私の方からは以上でありまして、後はご質問等があればお受けさせて頂きたいと思います。
(2014/9/17みんなの党定例会見より)
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