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フロン回収破壊法について

2001.06.16

「フロン回収破壊法について」

温暖化と並ぶ地球環境問題であるオゾン層破壊。その対策としてフロン法が成立したが・・・
地球上に初めて生命が誕生したのは海中である。約40億年前のこととされている。それから数十億年間、生命は海中にのみ存在した。 生物が陸上に上がるようになったのは約4億年前のことである。最初に植物が上陸し、続いて動物も陸に住むようになった。それまでの長い間、生命が海の中のみで育まれてきたのには理由がある。太古の地球では太陽からの紫外線が強すぎて生物が陸上に住みえなかったのだ。紫外線の直撃を受けない海の中こそが生命揺籃にふさわしい場所だったのである。

それが約4億年ほど前になると大気中にオゾン層が形成されるようになった。オゾン層は地上20~40kmほどの上空にあり、有害な紫外線を吸収する役割を果たしている。こうして初めて生物が陸上でも生息できる環境ができあがったわけである。

この大切なオゾン層が現在破壊されつつある。南極上空ではオゾンホールというオゾンが極端に少なくなる現象が起きている。オゾン層が破壊されると地上に降り注ぐ紫外線が増え、皮膚がん、白内障、免疫障害などを引き起こすとされる。また農作物の生産にも悪影響を与える。 こうしたオゾン層破壊の元凶はフロンである。フロンは人工的に生産される化学物質で、スプレーの噴射剤、冷蔵庫やエアコンの冷媒、また洗浄剤、発泡剤などとして幅広く使われてきた。さらにフロンは気体なので大気中に放出されやすい。放出されたフロンは上空に達した時にオゾン層を破壊してしまうのである。

そこでフロンの生産を禁止しようという気運が高まり、日本を含む先進国では1995年を最後にフロンの生産は禁止された。ところがフロンの問題はこれで終わりではなかった。たしかに新たな生産は行なわれていない。しかしすでに生産されたフロンは今なおカーエアコンなどの各種機器に合計20万トンも充填されたままなのである。これらが放出されてしまってはやはりオゾン層の破壊につながってしまう。例えばカーエアコンには700グラムほどのフロンが冷媒として使用されているが、廃車の時にこのフロンが大気中に放出される可能性が高いのである。

そこでこの度、フロン回収破壊法が成立した。車を廃車する時などにフロンガスをきちんと抜き取り、破壊することを義務づける法律である。みだりにフロンを放出した場合には懲役1年以下の罰則も設けられた。他の先進諸国では似たような法律がすでに制定されているので遅きに失したとはいえ、大いに歓迎すべきことである。

ただ私はこのフロン回収破壊法について一つ不十分な点があると思っている。それはフロン生産メーカーの責任を十分に問うていない点である。自動車からフロンを抜き取り無害化するためには1台あたり3000円くらいかかるとされている。この費用をどうするかが問題である。この法律では費用はとりあえず自動車メーカーが払うことになった。ただし自動車メーカーはその分を自動車ユーザーに転嫁できることも決まった。ここまでは理解できる。しかし問題はオゾン層破壊の元凶であるフロンガスを生産したメーカーが費用負担の義務を負っていないことである。そもそもフロンとは自然界に存在しない物質である。1928年に世界で初めて生産されたまったくの人為的な化学物質である。日本でも5,6社の企業が生産していた。こうした企業はオゾン層破壊物質を生産して利潤をあげていたのである。その処理にあたっても費用負担を含めて責任を負うのは当然ではないだろうか。

この部分でいささか画竜点晴を欠くとは思うが、この法律自体が画期的なものであることは否めない。オゾン層は数十億年の歳月をかけて地球上空に生成された。人類はそれを20世紀という短い期間だけで破壊しかけたのである。この法律制定がかけがえのない地球を守るための一歩前進であることは間違いない。この成果を今後はさらに大きな地球環境問題である温暖化防止での進展につなげていきたいと思う。

”水野賢一のひとりごと”
この法律は全会一致で成立しました。つまり自民党から共産党まで賛成したわけです。でも法案を作成する段階で自民党が党内でかなり真剣な議論を行ない、議論をリードしたのも事実です。ちょっと我田引水になるけど自民党の果たした役割は大きかったと思います。 党内での法案審議段階でNPOの人たちの意見を聞いたことも画期的だったんじゃないかな・・・。自民党はとかく「環境より産業界重視」のイメージがあるけど、環境に熱心な人がいることも分かってほしいと思います。(そうじゃない人もいるけどね)。 ちなみにフロンはオゾン層を破壊するだけでなく地球温暖化も引き起こします。温暖化の主な原因はいうまでも二酸化炭素ですが、フロンも見過ごせません。実はフロンにもいろいろな種類がありますが、カーエアコンに使われる代表的なフロンのCFCー12の場合、同じ量の二酸化炭素と比べて8500倍も温室効果があるとされています。 地球温暖化の面からも今回の法制化は意味があったと思います。
(この”ひとりごと”は2001年6月17日に記す)

低公害車について(1)

2001.05.13

「低公害車について(1)」

小泉総理が打ち出した低公害車の普及には大賛成。でももう一歩踏み込まないと・・・
小泉首相が政府の公用車をすべて低公害車に替える方針を打ち出した。それも来年度から3年以内に替えるというのだからかなり大胆な提案である。実のところ政府は平成7年にも「平成12年度末に公用車の概ね10%を低公害車にする」ことを閣議決定している。平成12年度末といえば今年の3月末である。しかしこの10%という低い目標さえ達成されていないのが現状である。現状の低公害車の割合は約6%にすぎない。それを一気に100%にまでもっていこうというのだから、小泉首相らしい思い切った政策だと思う。

私もこの方針には大いに賛成である。しかし自動車による大気汚染の現状を考えた場合に、抜本的な解決策にはなっていないとも思う。政府が保有する公用車は約7000台とされる。これに対し、日本全国で保有されている自動車は7200万台である。つまり政府公用車の割合は1万分の1にすぎないのである。もちろん、だからといって政府公用車を低公害車に替えることは無意味ではない。「まず隗より始めよ」という言葉もある通り、政府自らが率先垂範することは極めて重要である。しかし1万分の1の部分だけを低公害車に替えただけで満足するわけにはいかない。9999の部分に手を付けなければ根本的な解決にはならないのである。

では根本的な解決策とは何か。私は自動車の生産に一定の制限を設けるしかないと思っている。政府はこれまでも自動車排ガスに関して様々な規制を行なってきてはいる。ガソリン車から出る窒素酸化物(NOx)も30年前に比べると30分の1以下になっている。デイーゼル車でも約4分の1である。しかしそれでも十分な効果は上がっていない。これはなぜか。一言でいえば車の台数が増えたからである。デイーゼル車の急増がそれに輪をかけている。このことは環境省なども認めている事実である。そうである以上、車の生産になんらかの規制を設けるしかないのではないか。車の増加にこそ大気汚染の主原因があれば、その部分に対策を立てることがむしろ当然だろう。

残念ながら現在のところ、こうした声は政府内でも自民党内でもほとんど上がっていない。むしろ私の主張は突飛な考えとして扱われるだろう。しかし決して突飛ではない。過去にも自動車生産を規制した例はあるのだ。80年代の日米貿易摩擦の時に自動車輸出の自主規制が行われている。当然、自動車生産も抑制したわけである。貿易摩擦の回避も確かに重要だろう。しかし国民の健康はもっと大切な問題である。貿易摩擦でできたことが国民の健康を守るためにできないはずがない。今こそ自動車の生産規制を含めて、抜本的・本質的な自動車公害対策が望まれている。

”水野賢一のひとりごと”
でもこういう主張をすると自動車メーカーからは嫌われるだろうなあ。自動車工業会や商工族議員からは目の敵にされるかもしれないけど、国民の健康の方が大切だと思うんですけど。自動車排ガスは肺ガン、気管支炎、喘息などはもちろん、花粉症の原因にもなるというんですから。 (この”ひとりごと”は2001年5月13日に記す)

低公害車について(2)

2001.05.13

「低公害車について(2)」

低公害車って何だろう。矛盾を抱える現在の低公害車の定義とは。
小泉首相は政府の公用車をすべて低公害車に替えると宣言した。 環境重視の小泉内閣の目玉政策の一つである。さて低公害車とはいったいどういうものだろうか。現在、政府は電気自動車・メタノール車・天然ガス自動車・ハイブリット車の4種類を低公害車だと認定しており、これらの車種は「低公害車4兄弟」と呼ばれている。

しかし奇妙なことがある。排ガスを実際に測定した上で低公害車かどうかを認定するわけではないのだ。別に私はこれら4種類の車の排ガスが汚いと言っているわけではない。確かにこれらの排ガスはガソリン車やデイーゼル車に比べてクリーンだとされている。問題はこの「4兄弟」以外の車はどんなに排ガスの性能がよくても低公害車とは認められないということである。最近はガソリン車でも排ガスが相当クリーンなものも出てきている。またLPガス車の排ガスも天然ガス車とそれほど遜色ないとされている。ところがこれらの車が低公害車と見なされることはない。

低公害車かどうかというのはあくまでも排ガスがクリーンかどうかによって判断されるべきである。燃料によって判断されるべきではない。ましてこの4車種への限定も時代遅れになっている。例えばメタノール自動車は以前は期待を集めていたが、実際にはほとんど普及することなくいわば死に体である。制度というのは時代に合わせて柔軟に変えるべきである。しかもこの制度を変えるのは簡単である。というのも、これら4車種のみを低公害車と認めることは法律で決まっているわけではないからだ。政府が独自にそう決めているだけである。つまり認定基準を変えるために法律改正は必要ない。政府が判断基準を変えるだけですむのだ。低公害車が注目の的になっている今、こうしたことにも政府は柔軟にのぞむべきであろう。

”水野賢一のひとりごと”
行政府たる政府の公用車もさることながら、立法府たる国会にも公用車があります。衆議院だけを見ても議長車・副議長車・各委員長車、さらには各政党会派に割り当てられる車など166台があります。そのうち低公害車は天然ガス車が2台だけとお寒い限り・・・。 ただし普及が進まなかったことにも訳があります。例えば天然ガス車ならば一番のネックはスタンドが少ないことでしょう。ガソリンスタンドが全国に5万か所以上あるのに対し、天然ガススタンドは130か所しかありません。こうしたインフラ整備にも力を注ぐ必要があるでしょう。
(この“ひとりごと”は2001年5月26日に記す)

小泉政権誕生によせて

2001.04.26

「小泉政権誕生によせて」

◆大方の予想を裏切っての小泉総裁の誕生。その大きな意義とは。
小泉純一郎氏が首相に選出された。「永田町の変人」とみられていた小泉氏が自民党総裁になり、内閣総理大臣に選ばれることを一か月前に予想した人がどれほどいただろうか。それだけこの総裁選の結果は意外であり、また画期的なものだったと思う。

その中でも一番意義深いのが、小泉氏が事実上、党員投票の力で当選したという点である。今回の総裁選では各都道府県連に三票ずつが割り当てられ、この三票はその地域の党員票の帰趨によって、投じられた。党員票が雪崩をうって小泉氏に向かったことによって、国会議員票では劣勢だった小泉氏が大逆転を果たしたのである。  従来、自民党の総裁は党内派閥の駆け引きによって決まってきた。つまりは永田町という狭い枠の中での権力闘争に優れた者が勝利をおさめていたのである。そして実態としては最大派閥の意向が勝敗を左右してきた。しかし今回は違った。もはやただ単に永田町での駆け引きに優れているというだけでは通用しないことが明らかになった。

党員や国民に直接訴えかける能力が必要になったのである。本来,政治家は国民、有権者に対して自らの信念を訴え、支持を求めるべきものである。政治家の目線の先には国民がいなければならない。こうした当然の事がこれまでともすれば忘れられがちだったことに慄然とせざるをえない。

小泉氏は政策面でも注目すべき提言をしていた。その際たるものは首相公選制だと思う。「市長を市民が直接選び、知事を県民が直接選ぶように、首相も国民が直接選んで何がおかしい」という主張はまったく正論である。もちろん首相公選を行なった場合にも必ずしも最適任者が選ばれるとは限らない。しかしそれを言い出せば、国会で選出された首相が本当にその職にふさわしい人物ばかりだったのだろうか。 どのような制度でも一長一短はある。私は首相公選によって今まで以上に国民が政治に直接参加し、今まで以上に責任も負うという形こそ21世紀の日本の政治形態にふさわしいと考えている。同時に首相公選は国民の大多数が賛成している。こうした国民の普通の感覚に応えられる首相が誕生したことを歓迎したい。凡庸な総理大臣は困るが、国民と感覚を共有できる総理は必要なのである。

今回の総裁選では経済問題が最大の争点になった。景気回復か構造改革かという点ばかりに焦点があたった。それだけ日本経済の現状が深刻だともいえる。しかし日本が直面している問題はそれだけではない。外交、環境、教育など難問は山積している。これら多くの問題に対し小泉新首相がどれだけの手腕を発揮するか冷静に見つめながらも改革の志には熱い応援をしていきたいと思っている。

◆水野賢一のひとりごと
小泉内閣は史上最高の支持率を記録しました。自民党本部に行くと、一階の売店の前に小泉さんのポスターを買いにきた人が列をなしているのだからびっくりです。森内閣の時はもちろん、今までこんなことは考えられません。

人気の大きな理由は、小泉さんが改革への熱意を自分の言葉で語っていることでしょう。棒読みではない異例の答弁スタイルに本会議場も沸きました。でもこれこそ本来の国会審議なんですけどね(こうした答弁をしているとかなり疲れるだろうなと心配にはなるけど)。
もちろん人気は低いよりも高い方がいいに決まっています。しかし人気ほど移ろいやすいものもありません。小泉総理には支持率に一喜一憂しないで本当の改革を進めてほしいと期待してます。
(この◆水野賢一のひとりごとは2001年6月1日に記す)

エネルギー基本法について

2001.04.14

「エネルギー基本法について」

◆エネルギーと環境の調和。この両立を目指す水野賢一の働き。
自民党内で「エネルギー政策基本法」という法案が審議されている。エネルギーの安定供給を確保し、環境にも適合した包括的なエネルギー政策を進めるという狙いである。今回はこのエネルギー基本法の討議の過程を振り返ってみたい。

エネルギーは文明社会にとって不可欠のものである。我々の生活と切っても切り離せないものでもある。教育に教育基本法があり、観光に観光基本法があり、土地に土地基本法があるようにエネルギー基本法があっても不思議はない。私もこうした体系的な法律を制定することにはいささかの異存もない。

しかしこの法案の検討過程においては、いささか見過ごせない問題点が存在した。まず第一は企業に甘い点である。法案要網をみるとエネルギー使用にあたって環境に配慮することなどの「国の責任」が謳われている。確かに国には大きな責任があるはずである。だからこれが盛り込まれるのは当然だろう。「地方の責任」も謳われいる。これもまあよい。ところが「企業」については「責任」ではなく「企業の役割」に後退していたのである。もっと細かくいえば、もともとの原案では「企業の責任」だったものがいつの間にか「企業の役割」に変貌してしまっていたのである。それだけ自民党内には企業に負担や責任を負わせることを嫌がる勢力があるということだろう。
第二の問題点は少し細かくなるがこれも重要なことである。この法案では環境保全について言及しているが、ここでいう「環境」がいわゆる地球温暖化問題に限定されていたのだ。温暖化を防止することの重要性はいうまでもない。しかしこの法案はこれを強調するあまり他の環境問題の視点が欠落していた。他の環境問題とはなにか。例えば大気汚染である。デイーゼル車による大気汚染は密接にエネルギーと関わっているが、この法案ではこうした部分への配慮が十分とはいえななかった。

そこで私はこの法案審議の過程で意見書を提出した。以上ニ点についての意見である。つまり、「企業の責任」を明記すること、大気汚染など地域に密着した環境問題も明記すること、という内容である。その結果、幸いにして私の主張通りこれらの文言は法案に盛り込まれることになった。法案審議の過程でいささかなりとも環境への配慮に貢献できたのではないかと、多少の満足感を覚えている。

◆水野賢一のひとりごと
私の意見を取り入れてくださった方々ありがとうございます。まだまだ自民党も捨てたものではありません。さて反原発派の人々はこの法案を「原発押しつけ法」だと批判していますが、それはちょっと極論じゃないのかなあ。むしろ私が主張した修正が受け入れられたことで素晴らしい法案になったように思うんですけど(自賛しすぎかな)。私はなにも積極的な原発推進論者でも廃止論者でもないけど、この法案を「原発押しつけ法」だと批判するのはかなりの無理があるような気がしますけどねえ。

原発のことはさておき、今後のエネルギー源として太陽光や風力などの自然エネルギーを推進しなければいけないというのは大賛成。燃料電池にも大いに期待しています。 ちなみにこの法案は党内議論はだいたい終わったけどまだ国会に提出されていません。日程上の理由などいろいろあるのかな?
(この◆水野賢一のひとりごとは2001年5月27日に記す)

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