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無駄使いの温床

2016.06.16


 「地域活性化のためには道路網の整備が必要だ」という考えはある意味で正しい。アクセスの利便性はその地域の発展と深い関係があるのは事実だ。しかし一方でこの論理の下に道路特定財源という制度が約50年にわたって続いてきた。この制度は税金の無駄使いの温床とされてきた。そして私はその廃止の急先鋒だった。

 特定財源というのは「特定の目的のためにのみ使える税金」という意味である。道路特定財源というのは「道路整備のためだけに使える税金」ということになる。道路特定財源は最大の特定財源であり、その規模は年間に国・地方合計で約5兆円に上っていた。

「この道路は必要だ」→「だから道路を作る」というならば何の異論もない。しかし特定財源制度の下では以下のようなことが起こりがちである。「税収は5兆円もある」→「しかし道路以外には使えない」→「だから税収を使い切るまで道路を作り続ける」。

 これでは本末転倒である。必要性の有無とは関係がなく、税収があるから建設するというのでは無駄使いの温床と言わざるを得ない。だからこそ私は「せっかくの税金である以上、道路のみならず医療にでも教育にでも環境にでも保育にでも、必要な分野に自由に使えるようにすべきだ」と主張してきた。

 道路特定財源という制度の生みの親は若き日の田中角栄である。戦後復興の時代背景の中では一定の意味があったのかもしれない。しかしそれから50年の年月が経ち、制度疲労を起こしていた。私たちの主張もあってようやく道路特定財源は廃止をされた(一般財源化といって必要性があればどの分野にでも自由に使える税金になった)。一歩前進ではある。しかしまだ改革道半ばでもある。今なお他の特別会計などは多く残っているからである。まだまだ取り組まなければいけない課題は多い。

枝野幹事長を迎えての街頭演説

2016.06.15


 本日夕方に千葉駅前で枝野幸男・民進党幹事長を迎えての街頭演説を行った。幹事長の演説は論理的で力強く、さすがだと思わせる内容だった。

 その演説内で枝野氏も言及しておられたが、14年ほど前に一緒に月刊誌に論文を書いたことがある。当時、枝野氏が衆議院議員3期目、私が2期目だったので、お互い若手衆議院議員と呼ばれていた頃のことである。この時は別々の政党に所属をしていたが、今年3月末に結成された民進党で一緒になった。こうした経緯を思い起こすと、今日、同じ党の先輩議員・党中枢となっている枝野氏に応援演説をしてもらうというのは感慨深いものがある。

 応援に来てくれた枝野幹事長にはお礼を申し上げると共に、会場に集まってくれた方々、足を止めて演説に耳を傾けてくれた方々たちにも御礼申し上げたい。
(その時の様子は民進党ホームページに掲載→https://goo.gl/YPAB8I)

趣味と聞かれても

2016.06.14


 選挙を前にすると新聞社などからも様々なアンケートを受ける。もちろん政策面の話もあるが、人柄やエピソードに関する問いもある。「座右の銘」、「尊敬する人」、「趣味」などはその定番でもある。

 趣味と聞かれても、私は無趣味な方で、あまり面白い答えもできない。運動も別にゴルフもジョギングもしないし、“選挙運動”くらいしかやっていない。読書も確かに書籍に目は通すが、それは読書を楽しむというよりは、それは資料として読むので、小説を耽読するという読み方はあまりしない。

 それでも何も答えないのもいかがなものかと思うので、聞かれれば趣味は一応「読書・絵画鑑賞」などと答えたりはする時もあるが、実際には最後に絵画展に行ったのは相当前のような気がする。

 特別に何かを収集する趣味もないし、旅行もあまりでかけない方だ。音楽も楽器を演奏できるわけでもない。聴くのは別に嫌いではないが趣味というほどのことはない。ただ中高生の頃はカーペンターズの爽やかな楽曲が好きだったので、高校生の時にカレン・カーペンターが拒食症で亡くなったとの報に接した時は大きな衝撃だった。

 これとはまったく違う種類の音楽としては、大学生やその後の滞米中はドナ・サマーのようなディスコ・ミュージックも好きだった。踊ったのかって?それは秘密ですが、なかなかうまいものでしたよ(あくまでも自己評価です)。

勝手な自己流ではありましたが・・。一方、その頃に流行り始めた「パラパラ」と呼ばれる皆が画一的な動きをするダンスは馴染めませんでした。何やら「ヒトラーユーゲント」のような気がしたもので・・。まあこれは若い日の思い出であって、最近は選挙区内の盆踊りだけです(こちらは炭坑節専門です)。

保守と革新とネオナチと

2016.06.13


 政治的な立場を表す用語として「保守」と「革新」、「右派」と「左派」、「タカ派」と「ハト派」といった言葉がよく使われる。そのような単純な二分法はレッテル貼りにもつながりかねないから、用語の使い方も慎重であるべきなのかもしれない。とはいえ大まかな思想傾向を表すのには便利な言葉ではある。

 私自身についていえば全体としては中道ないし中道右派くらいかなと思っている。もちろん実際には個々のテーマによって傾向も変わってくる。環境政策ではかなりのリベラル派になるし、外交安全保障になれば少なくとも左派ということはない(自分では現実主義者だと思っているが・・)。また選択的夫婦別姓などの推進論者なのでこの点は中道左派的かもしれない。だいたいすべての課題について判で押したように典型的な右派的(もしくは左派的)主張だけをしている人の方がよっぽどおかしい。自分の頭で物事を考えていないのかと思ってしまう。

 さて安倍政権は自民党の歴代政権の中でも保守色が強い政権だとされる。保守というだけならば私にもその面もあるし、それと不倶戴天という関係ではない(もちろん保守の定義にもよるが・・)。私が懸念するのは最近の自民党や周辺の文化人の中に保守というよりもネオナチとでも呼ぶべき言辞を弄する人たちが増えていることである。私は保守とネオナチとの間には厳然たる一線が画されるべきだと思っているが、どうもその境を越えてしまっている人たちが増えている気がする。

 左右両翼が極端なイデオロギーを振りかざして対決するという姿は望ましくない。穏健で健全で、しかし確固とした信念を持った中庸の道を歩んでいきたい。

あれから20年

2016.06.12


 初めて選挙に出たのは20年前の平成8年のこと。当時は30歳だった(来月には50歳になりますが、現時点ではまだ49歳です)。投票日の10月20日の時点では30歳になっていたが、選挙に備えて作成した名刺やビラなどには「水野けんいち 29才」と印刷したのを覚えている。

 その後、国政にたずさわるようになって様々なことを経験させていただいた。選挙に関しても今回が7回目だが、その中で当選・落選のいずれも経験してきた。だからといって成長したのかと問われればよく分からないが・・。

 何回か前の選挙で「初心を忘れず 挑戦を恐れず」というキャッチフレーズを使ったことがある。今回、このフレーズを使うわけではないが、心構えとしてはいつも「初心を忘れず 挑戦を恐れず」の気持ちで臨んでいきたい。

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