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けんいちブログ
演説の適地
2010.05.23
お店を出す人が立地条件を考えるように、演説をする人も場所を考えます。
駅前の繁華街よりも人の少ないところから演説をやっていくという「川上作戦」(川の上流からやる、ということらしい)もあるようですが、普通は人の多いところこそ適地だと思うのが人情でしょう。
また地域によっては「ここは毎週月曜日は△△党、火曜日は××党が演説をするのが暗黙の紳士協定のようになっている」とか色々とあるようです。
私自身が衆議院選挙に出ていた千葉県9区のエリアでは「あそこは何曜日の何時にセールがあって人が集まる」とかがある程度は分かりますが、それ以外の地域だと、こうしたことがよく分からないというのが実情です。
「みんなの党」水野賢一を応援して下さる方々にお願いをいたします。こうした「演説の適地」の情報などをメールか何かで教えていただければ幸いです。
ご教示いただいたからといって、必ず行けるかといえば、日程の都合などで、難しい場合が非常に多いかとは思いますが、こうしたきめ細かな情報はあるに越したことはないので、よろしくお願いします。
来たる!渡辺喜美代表
2010.05.22
「みんなの党」の渡辺喜美代表が明日(23日)千葉県に来られます。
「地域主権型道州制国民協議会」が主催する「タウンミーティングin千葉」に元々参加される予定でしたが、千葉市まで来られるということで、このタウンミーティング終了後に、私と一緒の街頭演説活動も行なうことになりました。
街頭演説の予定は
日時)5月23日(日)午後5時頃
場所)千葉駅東口クリスタルドーム付近
となります。
なおそれに先立って行なわれる道州制についての「タウンミーティングin千葉」は私が主催するわけでなく、「地域主権型道州制国民協議会千葉市支部」が開催します。
こちらは午後2時からJR稲毛駅近くの「稲毛サティ4階文化ホール」で行なわれるそうです。参加費無料だということですが、申し込みなどについての問い合わせ先は、
電話 043-245-2090
FAX 043-245-2091
ということです。
午後5時頃のJR千葉駅での街頭演説では、私自身もマイクを通して、訴えていきたいと思います。
お時間がある方は足を止めていただければ、幸いに存じます。
事業仕分け
2010.05.21
人気急落の民主党ですが、事業仕分けだけはまだ期待が高いようです。
それだけに民主党としては今行なっている事業仕分け第2弾で支持率をアップさせようという思惑も持っているのでしょう。
5月5日のブログにも書いた通り、私は事業仕分けについて一定の評価はしています。しかし問題点も指摘しなければなりません。
事業仕分けは以下のような流れで進んできました。
平成21年11月・・第1弾(来年度予算についての仕分け)
平成22年 4月・・第2弾前半(独立行政法人について)
5月・・第2弾後半(公益法人について)
4月に行なわれた独立行政法人についての仕分けでは、36事業を「廃止」、50以上の事業を「縮減」という判定が下されました。
それだけ見ると頑張っているようですが、実は独立行政法人そのものは民主党政権が発足してから新たに6つも設立されているのです。
これを放置したまま一部の事業だけを削っても本丸に斬り込んだことにはなりません。こうしたことも国民に広く周知しておく必要もあると思います。
大隈重信は議員だったのか
2010.05.20
前の号で私の母校の創立者・大隈重信について触れました。
大隈重信が内閣総理大臣をはじめ要職をつとめたことは知られていますが、ある時、私はふと「大隈侯は国会議員(当時は帝国議会議員)をつとめたのかなあ」と思って調べてみました。
というのも現行憲法では内閣総理大臣は国会議員から選ぶ(参議院からでも可能だが、その例はない)ことになっていますが、戦前は首相が議員である必要はなかったからです。
調べてみると大隈重信が帝国議会議員をつとめたのは最晩年の6年だけでした。
それも侯爵に叙されたことに伴って貴族院議員に就任しただけのことであり、選挙で当選したというわけではありません。
大隈重信と一緒に銅像が国会内に立っている伊藤博文も貴族院議員をつとめただけ。板垣退助は議員歴はありません。
選挙の洗礼を経なくても国政の中枢に関わった方々に思いをはせると、選挙のことを常に気にしなければならない現代政治の渦中にいる身としてはちょっとうらやましい気もします。
もっとも選挙の苦労はしなくても文字通り命懸けの修羅場をくぐってきた人たちですから、それ以上の艱難辛苦をなめたのは間違いないでしょうが。
大隈重信の像
2010.05.19
早稲田大学卒業生の会を稲門会といいます。私も平成3年政経学部卒業生として佐倉稲門会の一員となっています。
早稲田大学の創設者といえば大隈重信です。早稲田大学キャンパスの中にある大隈重信の銅像は昭和7年に除幕され、大学の象徴ともいうべき存在として有名です。
大学内の銅像ほど有名ではありませんが、実は国会議事堂の中にも大隈重信像があります。
議事堂の一番高い部分は高さ65m(法隆寺の五重塔が31mなのでそれに比べても結構高い)ですが、その真下の部分に中央広間があります。
ここはちょうど衆議院部分と参議院部分の中間で、この広間の四隅には立憲政治の基礎を築いた明治の政治家3人―大隈重信、伊藤博文、板垣退助―の銅像が置かれています。
四隅に3人というと残る一隅は、といえば台座だけが置いてあって像はありません。その理由として以下のようなことが言われていますが定説はないようです。
①将来ここに像が立つような政治家が登場することを期待する
②政治は未完であるということを示している
③ここに像を立てると皇居に背中を向けてしまう形になる
④4人目の人選が難しかった
真相がいずこにあったのかは分かりませんが、①の説が一番きれいなような気もします。
まあ大隈重信たちは周りの人たちが「あの人は偉大だった」ということで銅像を建ててくれたのでしょうが、近くの独裁国家の首領様(金日成のこと)のように自分で自分の巨大な像を首都に立てるという神経はちょっと分かりませんねえ。
注)卒業生としては学校の創設者に敬意を表して「大隈重信侯」(侯爵だった)と書くべきかもしれませんが、歴史上の人物として敬称を略しました。
(以下、次号「大隈重信は議員だったのか」に続く)
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