街に出ると参議院比例代表候補予定者のポスターが目立つようになってきました。
比例区の候補者は大変だなあと思います。なにしろ選挙区は全国。交通費や宿泊費だけでも馬鹿にならないでしょう。
(現職議員はJRフリーパスなどを使って動くからそれほど負担にならないのかな?)
昔の全国区が「銭酷区」とか「残酷区」と言われたのも分かります。
しかも比例区から立候補した人数は3年前の参議院選挙の場合だと159名。こんなに多くの人の中から自分の名前を書いてもらうというのは並大抵のことではありません。
しかも個人名でなく政党名で投票しても良いのですからなおさらです。
「みんなの党」も現時点で比例候補として11人が内定しています。頑張ってもらいたいものです。
まあ人のことを心配するよりも自分自身のことで全力を尽くさなければいけないのですが・・。
「みんなの党」は官僚叩きの政党と言われることがあります。公務員制度改革に一番熱心で、天下りに鋭く切り込んでいるためにそう見えるのでしょう。
しかし誤解のないように言っておきますが、私たちは官僚個人を誹謗中傷しているわけではありません。何も官僚を無くすと言っているわけでもありません。政府を運営する上で官僚は必要です。
ただ今の官僚機構は時代遅れになっていると主張しているだけです。制度改革が必要だと強く唱えているのです。
ではどのように変えるのか。堺屋太一氏が面白い表現を使っています。「今の官僚は“職業”ではなく“身分”になってしまっている」とのことです。
その人の能力や意欲によって昇格するのが普通の職業ですが、現在の官僚機構の中では何年入省か、・種合格か・種合格かということで自動的に役職が決まってきます。これでは職業ではなく身分制度だというわけです。
こういう制度にメスを入れて、官僚を普通の職業にして、機構を活性化させるべきです。これに一番熱心なのが「みんなの党」です。官僚叩きのポピュリズムとは似て非なるものであるのは言うまでもありません。
演説をする時に、まったくのぶっつけ本番でやる人と事前に細部まで推敲を重ねる人がいます。
私は当意即妙にすべてをこなせるほど器用ではないので、後者の方に入ります。まあ、細部まで全部決めはしないにしても、ある程度の粗筋は考えた上で話します。
そうするとどこへ行っても演説は大体同じ内容ということになります。私に限らず多くの人はそうなるでしょう。
ですから選挙の時に首相や党首の遊説にくっついて全国を回る番記者は同じ演説内容を何度も聞かされることになります。
番記者からすると次に何を言うかが読めるだけでなく、「ここではこのジョークで笑いを取ろうとする」なども全部予見できるようになるわけです。
ただ記者やSPといった首相や党首といつも一緒の人にとってはマンネリの演説でも、聴衆は毎回変わるわけですからそれでもよいのでしょう。
私の演説も一応は原稿があるので、ここに掲載しても良いのですが、やはり生で聞いてくれるに越したことはないので、ちょっと掲載は控えておきます。
一定規模の街頭演説会を行なう時はこのブログで時間・場所については発表したいと思っています。よろしくお願いします。
自民党は変わったのでしょうか。参議院選挙を前にしてフレッシュな人材を起用して「変わった」という印象を作り出したいのは分かります。
若手登用の象徴とされるのが河野太郎氏の幹事長代理への就任です。歯に衣着せぬ発言で“党内過激派”とも見られている河野さんは確かに今までの執行部にはいなかったタイプです。
しかし「抜擢人事」というほどのことなのでしょうか。年功序列的な発想で見れば河野太郎さんは衆議院当選5回。別に幹事長代理になってもさほどおかしな期数ではありません。
幹事長代理というのは要職ではありますが、あくまでも幹事長の下。
しかも以前は幹事長1人・幹事長代理1人でしたが、最近はやたら増員され幹事長は1人ですが幹事長代理は河野さんを含めて5人もいます。いわばワン・オブ・ゼムです。
昨年の総裁選で一定の票を獲得した河野さんならば幹事長や党三役に起用されても不思議はなく、「代理」では抜擢というには当たらないでしょう。
少なくとも小泉内閣時に当選3回の安倍晋三氏を幹事長に大抜擢したのに比べると思い切った人事という感はしません。
まあ他党の人事を私が心配しても始まりませんが、自民党が変わるのはそう簡単なことではなさそうです。
もちろん河野さん自身はすごい政治家だと思っていますし、私も自民党時代に一緒にいろいろと活動もしました。
こういう逸材にふさわしい活躍の場は自民党の幹事長代理などではなく、政界再編後の新しい政治の中にあるように思います。
10年ひと昔と言います。10年前の平成12年5月14日に小渕恵三氏が亡くなりました。
首相在職中の4月2日に脳梗塞で緊急入院した小渕氏は、首相の座を森喜朗氏に譲った後、1か月半の闘病の結果、帰らぬ人となりました。享年62歳でした。
この年は6月に梶山静六、竹下登両氏も相次いで亡くなり、一時代の区切りを印象付けました(ちなみにいずれも旧田中派系の人たちです)。
当時、私は自民党の衆議院議員の1期生でした。6月には解散・総選挙があったので、2期目に臨む選挙直前だったわけです。
国会では若手議員(年齢ではなく当選回数です)ほど前列に座る慣習があります。初当選同時の私の議席は「一丁目一番地」と呼ばれる最前列の左端でした。
最前列の端というのは、ひな壇の内閣総理大臣席のすぐ近くです(ひな壇は高い位置にあるので座席の高さは違いますが・・)。その時首相席に座っていたのが小渕首相でした。
小渕政権の支持率は発足時は低いものでした。「冷めたピザ」「真空総理」などと揶揄されていましたが、支持率はじわじわと上昇していきます。
当初高くて急落する鳩山由紀夫政権と真逆です。
小渕首相と鳩山首相はもう一つ逆のことがあります。沖縄への思いです。
平成12年は日本がサミット開催国でしたが、小渕首相は数ある開催予定地の中から沖縄を選びました。そのサミット直前に急逝したのは無念だったでしょう。
鳩山首相が口で「沖縄の思い」と繰り返しながら、言葉だけを弄ぶのと対照的です。
鳩山首相の言葉が軽い点、総理の資質が問われる点は、むしろ小渕首相の次の森喜朗首相に似ているような気さえしてきます(森さん、ゴメンナサイ・・)。
郵便局の数は全国に2万4千、銀行の店舗数は1万3千、信用金庫が7千です。その意味では郵便局は一番身近な金融機関といっても良いでしょう。
その郵便貯金の預入限度額を「1000万円→2000万円」に引き上げる法案を鳩山政権が提出しています。
(厳密に言うと限度額は法案そのものに明記されているわけではなく政令で決める)
他の金融機関はペイオフで保護される額が1000万円までなので、国が事実上保証する郵貯に2000万円預けられるならば、郵貯に資金が流れるのは人情でしょう。
「官業による民業圧迫」「信金信組はどうなる」「集めた金は国債に流れるだけなので国の借金体質がますます強まる」という批判が出るのは当然です。
そして何より民主党自身の政策にも反しています。民主党自身が「預入限度額は500万円に引き下げる」とマニフェストに書いていたのです。
「引き下げ」と「引き上げ」では方向性がまったく逆です。だからこそ民主党の中でも心ある人たちが「おかしい」と声を上げたのです(すぐに押さえこまれましたが)。
ここで問題なのは何で民主党がそうした政策を打ち出したのかということです。理由は簡単。連立パートナーの国民新党のごり押しに押し切られただけのことです。
国民新党は郵便局長が支持基盤ですからこの問題に強いこだわりを持って横車を通しました。つまり国民新党の選挙戦略によって政策が歪められているわけです。
預入限度額の陰に隠れていますが、国民新党や郵便局長会はさらにひどい要求も出しています。
定年延長もその一つです。旧特定郵便局長の定年は65歳でしたが、民営化後は他の職員と同じ60歳まで段階的に引き下げられるはずでした。
それを逆行させようとしています。まさに既得権益擁護そのものです。
こうしたことに民主党は何も言えません。自民党の族議員を批判していたはずなのに“党そのものが郵政族”の国民新党に振り回されています。
一方、野党のはずの自民党も何も言わないというのが現状です。しっかりと物が言えるのはしがらみ・癒着のない「みんなの党」だけです。
「それにしても千葉県は広い」というのが実感です。全県を動き回っていると改めてそう思います。
そうはいっても全国47都道府県で千葉県の面積は28位。いわば中の下といったところです。北海道は別格としても県で最大面積の岩手県の3分の1にすぎません。
「そういう広い県の参議院候補者はどうやって活動しているのだろうか」とつい思ってしまいます。同時に岩手県だと(民主党候補なら)小沢さんの組織に乗っていると楽な選挙なのかな(?)ともふと考えます。
さて面積28位だろうとやっぱり広いものは広いと感じます。だからといって「私が当選すれば県内どこにでも行けるように道路をどんどん建設します」と言うのでは自民党道路族や小沢一郎型利益誘導と同じになってしまいます。
貴重な税金をそんな選挙目当てのバラマキに使うようではこの国の将来はなくなります(もちろん生活道路で必要なものは多くあると思いますが・・)。
それよりもまず「地域主権型道州制」を導入して、消費税を含む財源を地域に移譲しながら地域を活性化するのが「みんなの党」の政策です。
前号にも書いた通り水俣病は1956年に公式確認されました。水俣病の原因はチッソ(当時の名前は新日本窒素肥料)という会社がアセトアルデヒドを製造する時に、副産物として発生する有害なメチル水銀を水俣湾に流していたことです。
しかし最初のうちは原因がはっきりとしないので、色々な説がありました。
・風土病説
・旧軍が水俣湾に投棄した爆薬説
・アミン中毒説
といった諸説です。
とはいえ1959年頃にはいくつかの研究によって、チッソの排水が原因ではないかということが、かなり有力視されるようにはなってきました。
しかし「科学的に完全には証明されていない」ということで、原因の断定には至りませんでした。そしてチッソ社は排水を流し続け、被害はさらに拡大することになります。
国がチッソの排水が原因だと断定したのが1968年です。すでにチッソも排水を流すのをやめていました。
「誰がどう見ても原因はこれに間違いない」というところまで完全な科学的な証明を待っていたのでは対策が遅れてしまいます。
同じことは現在の環境問題でも言えます。地球温暖化はその代表です。
今でも「地球は温暖化していない」とか「温暖化の原因は二酸化炭素ではない」という人がいます。私の印象ではその多くはトンデモ学者ですが、様々な説があること自体は構わないでしょう。そういう議論を封殺する必要もありません。
現に温暖化への警鐘を鳴らし続けている国際的な科学者の集まりIPCCも温暖化の原因を二酸化炭素だと断定しているわけではありません。「可能性がかなり高い」と言っているだけです。
だから温暖化の原因について様々な見解があっても何ら不思議はありません。しかしだからといって、二酸化炭素排出削減の努力を怠ってよいことにはなりません。
水俣病の教訓は、「100%確実な証明を待っていては遅い」ということだからです。可能性がかなり高い以上、手遅れにならないような対策に早めに踏み出すべきです。これが「予防原則」です。早め早めに治療しないと病気が重篤になるのと同じことです。
「温暖化していない」とか「原因は二酸化炭素ではない」ということを科学的に議論するのは結構ですが、それが対策の手抜きの口実に使われないようにも警戒する必要があります。
一方で国政に返り咲けば、よく調べてみたいこともあります(当落にかかわらず調べたいとは思っていますが・・)。
そうした説を唱える学者たちと産業界の関係です。
世の中には「タバコは健康に悪くない」という説もあります。異端の説ではありますが、そういう学者がいるのも事実です。
米国などではそういう学者にタバコ業界が多額の資金提供していたことが問題になったと聞いた覚えがあります。
産業界が自らの手抜きにとって好都合な説を唱える学者を援助しているとは思いたくありません。しかし「まさか」ということもあります。
変な形での産学の癒着が国や地球の方向を誤らせないためにも調査の必要があると思います。
10日ほど前のことになりますが、5月1日に鳩山首相が水俣市で行なわれた水俣病犠牲者慰霊式に参加し、国の責任について謝罪しました。
1956年5月1日に、水俣病が「公式確認」されたので、毎年この日に犠牲者慰霊式が実施されています。今年は54周年ということになります。
実は1956年以前にも水俣市周辺では猫の狂死や人間の被害もありましたが、この年の5月1日になって病院から保健所に「原因不明の奇病が発生している」という報告があったので、同日を公式確認の日としているわけです。
昨年には水俣病被害者救済法が自民党・公明党・民主党などの賛成で成立をしました。
法案作りの実務で一番中心になったのが地元熊本県選出の園田博之代議士(当時は自民党、現在はたちあがれ日本)でした。他党との交渉なども一手に引き受けて、法律の生みの親と言って差しつかえないでしょう。
とはいえ最終的にこの救済法は衆議院環境委員長提出という形で国会に提出され成立しました。その時の委員長は私。ですから私が提出者というわけです。
提出者でありながら、こう言うのも変ですが、私は当初この法案に対して疑問を持っていました。被害者救済にはもちろん賛成です。
ただ法案は被害者救済に加えて、加害企業であるチッソを分社化という形で救済する側面も持っていたからです。
加害企業であるチッソは多額の補償によって債務超過に陥っています。法案はその負担を軽くしてやるという面もあるわけです。
それだけに「汚染者負担の原則からみて正しいのか」「加害企業はあくまでも徹底的に追及すべきだろう」という思いも強くありました。
最終的には、「被害者の救済につながるならばやむをえないか」と総合的に判断して賛成しましたが、悩ましい問題だったのは事実でした。
さて水俣病の教訓は今なお重要なものを多く含んでいると思います。その点については次回で。
参議院の特徴の一つは任期が長いということです。「任期6年・解散なし」というのが参議院です。一方、衆議院は「任期4年・解散あり」ですが、実際には3年前後で解散することが多いので参議院議員の任期の方が実質2倍ということになります。
それだけに参議院議員(候補者も)はよくこう言います。「6年という長い任期があるので目先の選挙や利害にとらわれずに長期的な視野を持って政策を実現します」。
それが本当に実行されていれば理想的です。しかし現実にはそれと程遠い参議院議員も多く見てきました。「6年間選挙がないからじっくり課題に取り組む」というのではなく「6年間選挙がないから怠惰になる」という人もいます。選挙の洗礼を経ないですむということは国民の声に鈍感になりがちという悪い面もあります。
さて議員の任期がどれくらいが適当なのかは難しいところです。アメリカは下院は2年・上院は6年でいずれも解散はありません。イギリス下院は5年で解散があります。韓国(一院制)は4年で解散なしです。さすがに2年は短すぎるという気もしますが、国情によって様々なのでしょう。
ともあれ参議院選挙で一票を行使する時には、怠惰に陥らない人、国民の声に敏感に反応できる人を選ばないと後悔のもとになります。なにしろ一度選出すれば6年間変えられないのですから。