前号で「年寄りは駄目」とか「若すぎるから駄目」とレッテル貼りをすべきでないということを書きましたが、日本の議会史上、最高齢まで国会議員をつとめた方は94歳まで衆議院議員をつとめた尾崎行雄です。明治から昭和にかけて60年以上衆議院議員として在職し「憲政の神様」と呼ばれた方です(さすがに94歳で26期目を目指したら落選しました)。
米国ではストロム・サーモンドという上院議員が100歳までつとめました。こちらは100歳の時に引退して5か月後の2003年に亡くなりました。
さて「たちあがれ日本」も「シルバー新党」とか「立ち枯れ」と揶揄されますが、別に私は年をとっているから駄目とは思いません(政策がバラバラな点は駄目です)。
結党会見の時に応援団を買って出た77歳の都知事が自分たちだけが国を憂いており若い者は駄目だという趣旨のことを言っていましたが、そういう独善性にはちょっと違和感がありますけど・・。
一方、若いから駄目という声もよくあります。身近なところでは昨年の千葉市長選の時によく聞かれました。千葉市長選には31歳の方が民主党推薦で立候補し当選しましたが、選挙戦中、自民党陣営からは「31歳の若造になにができる」という声が上がっていたのは事実です。
とはいえ公職選挙法上、市長には25歳以上(知事は30歳以上)であれば立候補できるのですから「若いからけしからん」と言ってもはじまりません。問題はその人間の政策・気力・責任感などが市長にふさわしいかどうかで、あとは有権者が判断することです。
私自身は現在、政策・気力・責任感など充実してきたつもりの43歳です。その情熱を注いでしっかりと働いてまいります。
若い候補者は選挙ポスターに名前と一緒に年齢を入れたがる傾向があります。「○○○○ 33歳」という感じです。一方、ベテラン議員が「△△△△ 72歳」と入れることはまずありません。代わりに「経験と実績」というようなスローガンを強調するわけです。
私が衆議院議員に初めて当選した時は32歳で、500人(いまは定数480人)の衆議院議員の中で最年少でした。その時点では選挙区内の県議会・市議会の方々の中にも私よりも若い人はいませんでした。
2期目になった時、さらに若い小渕優子さんなどが当選してきたので若い方から12番目になり、4期目になると小泉チルドレンと呼ばれるさらに若い人たちがずいぶんと誕生したので順位も若い方から59番目となりました。なにしろ杉村大蔵氏などは昭和54年生まれで私よりも13歳も年少でしたから。
政治談議の中でよく“年寄りは駄目”とか“若すぎて駄目”という言葉が出ますが、年齢という基準だけで判断すると間違いも生じがちになると思います。
永田町では多くの老害議員も見ましたが、一方で年はとっても研鑽を重ねて新たな知識の吸収に努めている人もいました。要は老壮青のいずれもが切磋琢磨すればよいのですが、この点については、次号で・・。
第一回の参議院選挙は1947(昭和22)年に行なわれました。第一回衆議院総選挙が1890(明治23)年ですから遅れること約半世紀になります。
そもそも参議院が設置されたのが戦後です。戦前の帝国議会は衆議院と貴族院でしたから。
それでも「参議院」の名前の由来となった「参議」という言葉はずいぶんと由緒あるものだそうです。奈良時代には太政官の役職として登場し、明治維新直後には西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった維新の三傑たちが就任した役職名でもあります。
参議院は「良識の府」と呼ばれる(自称しているだけか?)ことがありますが、本会議場で他人の投票ボタンを押した“代返”で議員辞職する人が出るなど、現状を見る限り本当に「良識の府」の名に値するかはかなり疑問があります。
しかしこうした由緒ある名前を引き継いでいることをしっかりと自覚しながら本当の意味で「良識の府」にしなければいけないと思います。
「みんなの党」の渡辺喜美代表が佐倉市の私の事務所を訪問されました。来る参議院選挙の千葉選挙区に同党公認で立候補してくれという依頼・要請でした。
一部報じられたことではありますが、こうした話は3月来いただいており私自身も「光栄なお話ですがお断りさせていただきます」と一旦は申し上げた経緯があります。
しかしその後も三顧の礼を尽くして出馬を求められ、今回は公党の代表自らがわざわざ佐倉市まで来ていただいたことは極めて重く受けとめたいと思います。
もともと渡辺喜美代議士とは衆議院同期(もっとも私は一期目は繰上げ当選なので在職は2年ほど短い)で自民党若手改革派として共に活動した仲ですので政策は酷似し気心も分かっているつもりです。当然同氏が代表をつとめる「みんなの党」にも政策的な親近感はあっても違和感はありません。
ただ先に触れたように一旦お断りしたというのは、いかに政策・理念で共通項があろうとも私自身数次に渡り自民党公認で衆議院選挙を戦ってきたことを考えると党を離れることは筋が通りにくいと考えたからです。
しかし再度の要請の中、さらに熟考すると「果たして今の自民党に日本の危機を乗り切るだけの力や覚悟があるのか」と考えるようになり、また「みんなの党」の方々の小政党といえども新しい政治に賭けていこうという姿勢を見ると心意気に感じるようにもなりました。こうした思いは日々強まっているところです。
“みんなの党から出馬要請”という報道があって以降、支援者の声も様々です。「自民党から次期衆議院選挙を目指すべきだ」という声もあれば、「自民党の行く末だってどうなるか分からない。それに義理立てするよりもまずは国政に早く返り咲いて国や地域のために尽くせ」という声もあります。
最終的な出処進退は自らが決することではありますが、本日公党の代表者が来ていただいたことを重く受け止めながら、自らの良識や信念に照らし合わせて近日中に決したいと思います。
21世紀のビジネスは「環境」がキーワードの一つになってきました。自動車でも排ガスや二酸化炭素を排出しない電気自動車が成長株と見られています。
実は電気自動車の原理そのものは目新しいものではありません。むしろガソリン車よりも古いくらいです。ベンツ(ベンツ社の創業者の名前です)とダイムラーがガソリン車を発明したのが1886年。それよりも前の1873年に最初の電気自動車は登場していました。
しかし走行距離が短い点や充電に時間がかかりすぎるなどの問題点があり、ガソリン車の方が一般に普及していくことになりました。それが100年以上経った今、逆に「ガソリン自動車→電気自動車」という流れが起こりつつあります。
もしかすると「LPレコード→CD」「固定電話→携帯電話」「ビデオ→DVD」といった変化になるのかもしれません。業界地図も激変する可能性が指摘されています。
自動車会社を自動車会社たらしめている独自技術はエンジンとトランスミッション(変速機)です。電気自動車はそのどちらもいりません。エンジンの代わりにモーターを使って走るからです。
そうなると異業種から自動車製造に参入することが進みやすくなります。「エンジン技術ではトヨタやホンダに敵わなくてもモーターなら自分たちの方が上だ」と電機業界が思っても不思議ではありません。
時代の変化は急速です。それを的確につかみ、適切に対応する能力が求められているのはビジネスも政治も同じかもしれません。
千葉県の人口は600万人、全国最少の鳥取県は60万人。10倍の差があります。それでいて参議院の定数は千葉県は3で、鳥取県は1。
人口比(有権者比も大体同じ)から言えば鳥取県が定数1ならば、千葉県は10あってもおかしくないところですが・・(千葉県の定数を10にしろと言っているわけではありません。議員数はむしろ減らす方向に進むべきですから。念のため)。
これがいわゆる一票の格差です。衆議院にも一票の格差はありますが、参議院はさらに極端です。一票の格差を完全に無くすことは難しいにしても少なくとも2倍以内に抑えるのが普通でしょう。
ある人が他の人の2倍もの票を持っているというのは常識で考えておかしいからです。堅く言えば「法の下の平等」に反します。こうした当たり前の感覚も国政に反映させていきたいと思います。
「マニフェスト」という言葉が頻繁に使われるようになったのは2003年総選挙の頃からだと思います。もちろん以前から「公約」という言葉はありました。じゃあどこが違うのでしょうか。
マニフェスト選挙の提唱者(北川正恭・三重県知事ら)が当時言っていたのが、公約が抽象的なスローガン集なのに対してマニフェストは数値目標・期限・財源を明示するものだということでした。
「福祉を充実させます」「地域発展につとめます」というだけでは抽象的なので、「2年以内に保育所待機児童をゼロにする」と具体的に書くのがマニフェストだということになります。そうすれば後になって達成度合いを検証できるというわけです。
つまりマニフェストは作成も重要ですが、実現しているかどうかの検証もそれに劣らず重要といえます。
もっとも今の民主党政権を見ていると細かく検証しなくてもマニフェスト違反に満ち満ちていることは明白です。高速道路無料化、ガソリン税の暫定税率廃止、天下り禁止...次々と反故にされています。
そういえば昨年の総選挙前、民主党は「政権交代」のスローガン入りの鳩山由紀夫さんのポスターをいたるところに貼っていました。実は総選挙後は「政権交代」の文字を「公約実行」に差し替えただけの同様のポスターを作成しています。もちろん鳩山さんの顔写真は同じです。
ところがこの「公約実行」のポスターは作ったもののほとんど街で見かけません。「実行していないじゃないか」と突っ込まれるから恥ずかしくて貼れないんでしょうねえ。
「今どきの若い者は」と言い出すようになったら精神的に老けてきた証拠だという説があります。それにしてもこの「今どきの・・」という言葉はよく耳にします。ベテランスポーツ選手(といっても30代くらい)が「自分たちが新人の頃はもっとハングリー精神で練習したのに今どきの若い奴は」と言う時もあれば、テレビを見ていたら高校生が「今どきの中学生は」と言ってたので「ありゃ」と思ったこともあります。古代エジプトの象形文字を解読したら「近頃の若いもんは」ということが書いてあったといいますから、このセリフは古今東西あまねく使われているのでしょう。
昔を懐古するのは人間の常なので悪いとは思いません。しかし新しいものをただ毛嫌いしては進歩もありません。先輩には敬意を払い伝統は尊重しつつ、若い人の声にもきちんと耳を傾け旧弊を打破する柔軟さが大切です。
そういえば政界にもいます。「近頃の若手議員は勝手なことを言いすぎる。俺たちが若手だった頃は派閥の長が右といったら右、左といったら左で一糸乱れなかったんだ」という人が。こういう派閥政治家こそ老害なので早く退場してもらいたいものです。それでもこうした“一致団結箱弁当”的な政治家は減ってきたと思っていたらまだまだいました。しかも政権与党の最大実力者に。幹事長が白といったら黒いものも白といわなきゃ許さないという雰囲気を作っている人が・・。
ブログを開始することにしました。これまでホームページには論文やチラシの文章は多く掲載しましたが、ブログを書くのは初めてです。以前から人には「ホームページは更新が命なんだからブログでもやった方が良いよ」とは言われていたんですけど、どうも億劫で・・。言い訳ばかりになりますが、毎日書くと「今日食べたラーメンはおいしかった」とか「雨なので憂鬱」とか後で振り返ると読むに堪えないくだらない内容ばかりになりそうなのも気が引けていた理由です。
それでもツイッタ―をやる政治家も増えている今、せめてブログで近況や考えを報告してみようと思いたちました。最低でも二日に一回は更新したいと思います。今後ともよろしくお願いします。
「脱官僚」は本当に進んでいるのか?
〜「政治家主導の政策立案」を以前から唱えてきた水野賢一に聞いた〜
Q1 民主党政権のもとで「政治主導」「脱官僚」が叫ばれている現状をどうみますか?
水野 政策立案を官僚任せにするのではなく政治家が主導権を握るという方向は間違っていないと思います。選挙で選ばれた人間が政策を作り、責任も取るというのが民主主義の本来の姿だからです。それだけに現在、口先で脱官僚を唱えながら実際にはそれに反する動きが進んでいることには危惧を持っています。 例えば日本郵政の社長に「ミスター大蔵省」と呼ばれた元大物次官を起用したことはその典型です。また政治主導と言いながら小沢一郎幹事長が議員立法の制限を打ち出しているのも妙なことですね。
Q2 水野さんは衆議院議員時代に議員立法に力を尽くしましたね。
水野 国会議員というのは“立法府”の一員ですし、英語では“law maker”とも呼ばれています。つまり法律を作ることこそ本来の仕事です。「政府がやらないのであれば自ら立法する」という気概を持ってこそ立法府の一員だと思います。ですから議員立法の制限という小沢幹事長の方針は理解に苦しみます。政府提出の法案に対して賛成票を投じるだけならば、閣僚など要職以外の与党議員は単なる採決要員にすぎなくなってしまいます。
Q3 事業仕分けなど新しい試みに対してはどう考えますか。
水野 無駄を洗い出すという点では一定の評価はできると思います。長年続いてきた事業の中には「昔は意味があったが今では不要なもの」や「国ではなく地方自治体がやるべきもの」もあったからです。一方で問題点も浮き彫りになりました。「1時間程度の議論で正しい仕分けができるのか」「短期的なコストだけで判断してよいのか」という批判ももっともな点が多いので、やり方の改善は必要でしょう。
ただ最大の問題は官僚叩きに終始して、政治家が責任を引き受けようとしなかったことです。事業仕分けでは各省庁が出してきた概算要求に無駄がないかどうかに切り込んだわけですが、概算要求を行なった各省庁の最高責任者は大臣・副大臣・政務官といった政務三役、つまり民主党などの与党議員です。もし無駄な要求をしていたならば本当に責められるべきは彼らなのです。ところが仕分け人の矢面に立たされていたのは事務レベルの官僚ばかりでした。政治主導と言うならば批判や責任も自ら受けるという姿勢が求められます。
Q4 水野さんには本当の意味での政治主導を期待しています。
水野 ありがとうございます。国政の場で再び働けるように研鑽を重ねてまいります。
ご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。