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けんいちブログ

成田新高速鉄道の予算が計上

2001.12.24

「成田新高速鉄道の予算が計上」
たゆまぬ努力の中、ついに予算を確得。2010年開業に向け大きく前進させる

◆成田新高速鉄道の予算がつく
平成14年度予算の編成も終わった。私にとって特筆すべきことはこの中に成田新高速鉄道の関連予算が新たに含まれたことである。この鉄道の整備については昨年の衆議院選挙でも公約として掲げた。ホームページやチラシでも数回にわたってその必要性を訴えてきた。予算が獲得できたことにより2010年開業という目標に向け、大きく前進したことになる。心から喜ぶとともに関係者の御尽力に感謝申し上げたい。

この鉄道が完成すると成田空港と都心は36分で結ばれることになる。これまで同じ区間を京成スカイライナーが51分かかったのに比べると15分の短縮である。新東京国際空港公団が今年発表した日本人旅行者対象のアンケート調査によると、成田空港への満足度は施設の清潔さなどでは高いのに対し、空港へのアクセスについては世界の主要25空港中ワースト1になっている。都心から遠いというのが成田空港の弱点だった。それがこの鉄道によって改善されることになる。空港から1時間以内の昼間人口も288万人から1114万人に増えるという。さらに忘れてはならないのが千葉ニュータウンの利便性が高まることである。現在は都心との交通があるだけで袋小路になってしまっているこの地域から成田にも容易に行けるようになる。

◆画期的な補助率の嵩上げ
実はこの鉄道の構想を運輸省(現・国土交通省)が打ち出したのは昭和59年のことである。だがその後長い間、事実上なんの進展もないまま放置されてきた。鉄道建設には莫大な資金が必要である。その資金調達の目途が立たなかったからである。そこで国による補助が求められていた。今回、画期的だったのは成田新高速鉄道に限って補助率が嵩上げされたことである。成田空港のようにアクセス改善が求められている部分には重点的に公的助成をすべきだという主張が受け入れられた。これまでの仕組みでは空港にアクセスする鉄道の場合、建設費の36%を国と地元が補助するようになっていた。それがこの成田新高速鉄道に限っては国と地元で合計3分の2の補助をすることになったのである。これによって建設に弾みがつくことになる。

私も補助率の引き上げを求めて昨年4月に国会質問をした。成田の利便性を高めるために国が責任を持つ必要があると考えたからである。ただその頃はまだ、補助率嵩上げはとても無理といった雰囲気だった。アクセス鉄道の必要性を十分に理解してくれる人の中でさえ諦めの感が漂っていた。財政難の中、補助率を引き下げることはあっても引き上げなどは夢のまた夢という反応だった。 それを振り返ってみると我ながらよくここまできたという思いもある。また開業時期についても当時は2015年と言っていたが、現在では2010年を前提に話が進むようになったことも感慨深い。

もちろんまだまだ越えるべき山は多い。例えばこの路線は印旛沼の上を通過することになるので環境アセスも大きな課題である。また資金面一つをとってみても地元負担という場合の千葉県と市町村の負担割合もこれからの折衝になる。今後もこうした諸問題を一つずつ解決していく努力が必要である。

◆アクセス改善で都市再生へ
政治の世界では「我田引水」ならぬ「我田引鉄」という言葉が使われる。 政治家が地元への利益誘導として鉄道を引っ張ってくるという意味である。整備新幹線などでよくみられる光景である。これは今に始まったことではない。

大正期の平民宰相・原敬が露骨な「我田引鉄」によって政友会の党勢拡張を図ったことは有名である。成田新高速鉄道も地元の利益になることは間違いない。だがそれは決して単なる地域エゴではない。空港の利便性をよくすることは成田に空港を建設することを決定した国の責務である。また空港と都心を速く結ぶということは地元のみならず多くの国民や旅行者の利益にもつながる。今になって初めて予算が採択されたというのはむしろ遅きに失したといえるくらいであろう。

先に述べた通り、この鉄道の構想は以前からあったものの長らく凍結状態にあった。建設に向けての機運が加速度的に高まってきたのは昨年からのことである。私自身も多少はその気運を醸成するのに寄与しえたと自負している。だが最後の決め手になったのは今年になって千葉県において堂本知事が誕生し、国において小泉内閣が誕生したことだと思う。堂本知事は就任後、真っ先にこの鉄道の必要性を訴え、国に対しても働きかけを続けた。 また小泉政権は「都市再生」を大きな政治課題として掲げた。こうして都市住民の生活利便性を向上させるためにも空港アクセスの改善が必要だという雰囲気が盛り上がってきた。こうした追い風が予算獲得につながったといえる。

◆調査なくして発言権なし
私自身もこの問題に取り組むことは大いに勉強になった。補助率の引き上げなど難しいとされていた課題が多かっただけに、徹底的に調べ上げる必要があった。また地域エゴではないことを分かってもらうためにも部外者を説得できるだけの材料も揃えなければならなかった。そうした中で痛感したのは、政治家が自分で物事を調べていくことの重要性である。同僚の議員たちの中にも、よく知らないことや単なるその場の思いつきを平気で得々と語る人もいる。だがそうした議論には説得力がない。現実を動かすだけの力もない。

『毛沢東語録』に“調査なくして発言権なし(没有調査、没有発言権)”という言葉がある。私は毛沢東を尊敬するどころかむしろ批判する側に立つが、少なくともこの言葉は真実を衝いていると思う。調査をすることで発言にも重みが増す。調査なくして政策立案能力を高めることもありえない。

成田新高速鉄道の実現に向けては一つの区切りがついた。しかし今後の政治活動にあたっても徹底した調査とそれに基づく説得力ある提言を続けていきたいと自戒を込めながら考えている。
cf.成田新高速鉄道については「水野賢一ホームページ」の“水野賢一の主張”欄の2000年6月8日、01年2月4日、01年8月17日でも取り上げている。ご参照いただきたい。

〔参考資料〕
◎成田新高速鉄道の総事業費
新線区間 917億円
北総・公団線区間改良 295億円
空港駅改良(インフラ外部) 74億円
空港駅改良(インフラ部) 281億円 合
計 1567億円

◎財源スキーム
空港内インフラの281億円は空港公団が整備
残りの1286億円のうち、
・負担金  261億円…地元と空港公団が負担
・出資金  205億円…地元、空港公団、その他で出資
・補助金  461億円…国、地元が230億円ずつ
・借入金  359億円…線路使用料収入から充当
(以上、国土交通省資料より作成)

cf.補助率は3分の2だがあくまでも補助対象事業費の3分の2のため1286億円の3分の2にはならない。

女性天皇と夫婦別姓

2001.12.12

「女性天皇と夫婦別姓」
日本の長い歴史からみれば不自然でない女性天皇と夫婦別姓。錯覚を打破し改革を

◆活発になる女性天皇論議
今年の後半は不景気、テロ、狂牛病と暗い話題が続いていた。その中で久々に明るさを提供したのが皇太子ご夫妻に初のお子さまが誕生したというニュースである。12月1日に生まれた内親王殿下は敬宮愛子さまと名付けられた。皇室のご慶事に対し心からお喜び申し上げたい。

敬宮さまのご誕生で女性天皇の是非についての議論が再び活発になってきた。現在の皇室典範は第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。つまり女性は天皇になる資格がない。だがどういうわけか皇室に新たに誕生するのは女の子ばかりという状況が続いている。男子が生まれた例は昭和40年の秋篠宮さまを最後に途絶えている。その後、天皇家・宮家でお生まれになったのは紀宮さま、秋篠宮ご夫妻の二人のお子さま、そしてこのたびの敬宮さまなど9人連続で女子である。男女が半々ずつ生まれるとすれば、9人連続して女子が生まれる確率はわずか512分の1になる。だが現実にこうした事態が起きているのである。

◆8人もいた女性天皇
このままでは皇統が絶えてしまうという危機感が女性天皇を認めようという声を呼び起こしている。もちろん男女同権という時代の流れもある。 私も女性天皇を認めるべきだと思っている。そのために時機を見て皇室典範の改正も行なうべしと考えている。そもそも女性天皇は前例のないことではない。これまでに8名も存在している。初めての女帝は聖徳太子の叔母として有名な推古天皇である。最後が江戸時代中期の後桜町天皇だから、もしそう遠くない将来、女性が即位されるようなことがあれば二百数十年ぶりの女性天皇復活ということになる。

歴史的に見るならば天皇を男子に限定したのが明治以降のことなのである。明治22年に制定された大日本帝国憲法と旧皇室典範で定められた。今から110年余り前のことである。我々個人の感覚でいえば明治以降の百年というのは極めて長い期間である。そのため天皇は男子に限るというのがあたかも日本の歴史的伝統のように思い込みがちである。だが我が国の長い歴史から見ればむしろ新たな取り決めにすぎない。女性天皇が即位しても決して伝統や文化に背くものではない。

◆伝統ではない夫婦別姓
伝統にあらざるものを伝統だと錯覚している例が他にもある。いま話題の夫婦別姓についてである。現在、民法750条によって夫婦は同じ苗字を名乗るようになっている。これを改正して別姓の夫婦も容認すべきだという動きがある。だがそれに対する猛反発もわきあがっている。反対論者たちは「夫婦別姓は伝統を壊し、家族制度を破壊する」と主張している。夫婦は同姓というのがあたかも日本の伝統のような言いぶりである。

しかし夫婦は同姓というのも明治以降に決まったことにすぎない。それ以前の時代は武家以外が姓を名乗ることは制限されていたが、武士階級では源頼朝夫人が北条政子だったり、足利義政夫人が日野富子だったりするように夫婦別姓こそ普通だったのである。明治になって平民が苗字を使えるようになってもしばらくそれは続いた。それどころか明治新政府は女性は結婚後も実家の姓を名乗るように命じていた。それが明治31年に成立した民法によって夫婦は同じ姓と定められたのである。

◆選択的別姓論
夫婦別姓論についてはさらに大きな誤解がある。私を含めてほとんどの別姓推進論者は「必ず別姓にしろ」と言っているわけではない。別姓にしたい人は別姓にし、同姓にしたい人は同姓にすることを主張しているだけである。好きな方を選べるようにするということにすぎない。だから正しくは“選択的夫婦別姓論”というべきなのである。至極常識的な考えだと思うが、自民党内には反対が強く今年中の法改正は断念せざるをえなかった。

だがいったいこの案のどこに問題があるのだろうか。別姓を強制するというのであれば反対が強くて当然である。しかし実際の夫婦別姓論というのは“選択的夫婦別姓”なのである。これはちょうど離婚の権利を認めるようなものである。離婚の権利があるからといってすべての人が離婚するわけではない。離婚の権利を行使しないのも当然自由である。そして現に権利を行使しない人の方が多数なのである。選択的夫婦別姓も同じことである。とりたてて別姓を奨励しているわけでもない。別姓にしたい人だけがそうすればよいのであって、したくない人はその権利を行使しなければよい。つまり自由に任せるのである。その結果、同姓にする夫婦の方が多くても何らかまわないのである。

これに対し別姓反対論者というのは夫婦同姓を強制しようとしている。だが現に姓を変えるのは嫌だという人がいるのである。理由はさまざまである。仕事上の不都合を指摘する人もいる。自己喪失感を訴える人もいる。一人っ子なので改姓すると家名がなくなってしまうという場合もあろう。はたまた改姓すると姓名判断で運勢が悪くなるという人さえいる。 いずれにしても同姓を強制されたくない人が少なからずいる以上、そういう声も吸い上げていくのが政治ではないだろうか。

◆錯覚を打破し改革を
もちろん実際に法改正をする場合には細かな点もきちんと詰めておかなければならない。夫婦別姓の場合、子供の姓はどうするかということはその一例である。こうした細部の議論が煮詰まっていないことをもって時期尚早という人もいる。しかし何よりも反対論の根本にあるのは現状の変革を嫌う感情論である。そしてそれを補強しているのが伝統や文化の維持という理屈である。しかしそれが錯覚にすぎないのは前述した通りである。

幕末に攘夷論が渦巻いた時、多くの人は鎖国は日本開闢以来の祖法であるかのように信じこんでいた。だが実際には鎖国は古来の法でも何でもなかった。徳川三代将軍・家光の時に確立したものであり、それ以前には外国と交易していた時代もある。このことを指摘して「航海遠略策」という開国論を説いたのが長州の長井雅楽だった。長井は悲命に斃れることになるが、結局、明治維新後の日本は広く世界と交易する中で発展していった。錯覚によって旧弊を墨守してはならない。改革すべき点は大いに改めればよい。女性天皇、夫婦別姓の問題もまた然りである。 そしてそれはこの国の長い歴史の中で育まれてきた伝統や知恵となんら矛盾するものではないのである。

印旛沼の水質浄化のために

2001.11.27

「印旛沼の水質浄化のために」
飲料水としては汚染度全国一の印旛沼。湖沼浄化に新機軸を開く金字塔的巨編。

◆汚濁の進む印旛沼
沼と湖の違いはどこにあるのだろうか。法律などでこの二つを明確に区分しているということはない。ただ一般的に浅いものを沼と呼び、深いものを湖と呼び慣わしているだけである。だいたい水深5メートルくらいが境目とされているようである。もちろん例外はどこにでもある。福島県の沼沢沼は最大水深が96メートルもある(沼沢湖とも呼ばれる)。群馬県の菅沼は76メートルの深さがあるが沼と呼ばれている。

私が住んでいる千葉県佐倉市は印旛沼のほとりにある。印旛沼の最大水深は2.5メートルだから典型的な沼といえよう。この沼は北印旛沼と西印旛沼に分かれ、二つは捷水路でつながっている。合計した面積は1165ヘクタールで、沼と名付くものとしては日本最大級の大きさを誇っている。同時に印旛沼は日本の湖沼で二番目に汚れている。湖沼の汚染は普通、CODという値で表わす。値が大きければ大きいほど汚れていることになる。日本で一番CODが高いのは同じ千葉県の手賀沼である。印旛沼がそれに続き、第三位に牛久沼(茨城県)と佐鳴湖(静岡県)が並んでいる。「沼」が上位を占めているのは当然かもしれない。浅いということは面積に比べて水の容量が少ないということである。つまり汚染物質が流れ込めば、すぐに汚れてしまう。浅いという特性が沼の汚染を加速化しているのである。

湖沼の汚染ワースト5(平成11年度・単位はCOD年平均値・mg/l)
1 手賀沼 千葉県 18
2 印旛沼 千葉県 12
3 牛久沼 茨城県 11
4 佐鳴湖 静岡県 11
5 油ヶ淵 愛知県 9.5

◆このままではワースト1に
汚染度首位の手賀沼は最近、急速に浄化が進んでいる。平成12年から利根川のきれいな水を大量に手賀沼に流し込むようにしたためである。当然、沼の水は希釈されてきれいになる。昭和49年に環境庁が順位を付け始めて以来、26年連続して手賀沼が水質汚濁日本一の座を占め続けてきた。だが北千葉導水と呼ばれるこの事業の開始により、手賀沼の水質は改善している。手賀沼の水質がよくなること自体は歓迎すべきことである。だがこのままでは印旛沼がワースト一位になる日もそう遠くないかもしれない。全国最悪の水質という不名誉を避けるためにも今こそ印旛沼の浄化が求められている。

ちなみに手賀沼の水は農業用水に使っているだけで、飲み水にはなっていない。これに対し印旛沼の水は飲料水、農業用水、工業用水のすべてに使われている。つまり飲料用の水としては現在すでに印旛沼は全国最悪の状況なのである。

国はそれぞれの湖沼に環境基準を設けている。環境基準とは人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい目標のことである。環境基準は水の用途によって湖沼ごとに違うが、飲料水として使われている印旛沼の場合はCODは1リットルあたり3ミリグラム以下とされている(手賀沼は5ミリグラム以下)。ところが実際の印旛沼のCODは年平均で10ミリグラムである。基準にはほど遠いのが現状である。(注1)

◆水質汚濁の悪影響
水質の悪化はさまざまな問題を引き起こす。アオコが発生すれば悪臭のもとになる。水生植物の減少にもつながる。印旛沼では昭和30年代には約45種類の水生植物が確認されていたが、現在では10種類ほどにまで減っている。

そしてなにより人の健康への影響が危惧される。もちろんいくら原水が汚れていてもそのまま家庭に送られるわけではない。浄水場を通ってから水道水になる。水道法で定められた水質基準を満たす水にしてはじめて家庭に供給される。印旛沼の水も千葉市にある柏井浄水場で浄化されている。この浄水場は印旛沼の水と利根川の水の両方を処理している。実は柏井浄水場ではこの二種類の水を別々に浄水している。利根川からの水は沈澱・ろ過といった普通の処理をするだけである。 ところが印旛沼からの水はそれに加えて粒状活性炭やオゾンを使った高度処理を施す。そうしないと安心して供給できる水にならないからである。それだけコストがかかるともいえる。

◆指定湖沼に
印旛沼の水質が悪化してきたのは昭和40年代に入ってからである。昭和42年には沼の汚れの象徴ともいえるアオコが初めて発生した。47年頃からは水質汚濁が急速に進んだ。湖沼の汚染に対して国も手をこまねいていたわけではない。昭和59年には湖沼水質保全特別措置法という法律が成立した。この法律は、水質改善が必要な湖沼を国が指定し、水質保全計画を定めるようにしたものである。現在までに全国で10の湖沼が指定されているが、印旛沼は琵琶湖、霞ヶ浦、児島湖、手賀沼と並び昭和60年にまっさきに指定を受けている。

こうした取組みにもかかわらず印旛沼の水質はなかなか改善しない。それどころか従来は西印旛沼の汚染が問題だったが、今や北印旛沼の水質も同じくらいに悪くなってきている。
印旛沼の水質の変化(COD年平均値・mg/l)
年度 平成   5 6 7 8 9 10 11 12
COD 8.2 11 12 11  11  10  12 10

cf. 測定点は西印旛沼の上水道取水口下

◆汚濁の原因
なぜ水質浄化が進まないのか。また私たちは何をなすべきなのか。 それを考えるためにもまず印旛沼の汚染の原因をみてみる必要がある。汚染源は大きく分けて三つある。生活系と産業系と自然系である。生活系とはその名の通り台所、洗濯、トイレ、風呂などから出る生活排水である。産業系とは工場排水や畜産によるものである。自然系とはやや聞き慣れない言葉だが、雨が降って道路や市街地を洗い流して沼に流れ込むものなどをいう。他にも田畑・山林から出る汚れもここに含まれる。

印旛沼の汚濁の大部分は生活系と自然系に由来する。CODの発源を見ると生活系が41.6%、産業系が6.3%、自然系が52.9%となってる。この構成こそが対策の立てにくさの理由なのである。特定-[の工場からの排水が汚染の原因であるならば解決は簡単である。その工場排水を止めればよいからである。ところが印旛沼の場合はわれわれの日常生活全体が汚染源といえる。それだけに対策の特効薬が見つかりにくい。

生活排水ならばまだ対策のたてようもある。一人一人が汚染の原因になるようなものを流さないようにするなどの工夫もできる。また下水道や合併浄化槽の普及によって汚れた水が沼に流れ込まないようにすることも可能である。だがやっかいなのが自然系である。雨が街の汚れを洗い流して沼に流れ込むことを止めるのは難しい。これへの対策は現在まだ研究段階である。道路の清掃頻度がどの程度汚濁に関係するかなどが調査されている。山林を管理することで保水力を高め、沼に一気に水が流れ込まないようにすることも必要とされる。いずれにせよ効果的な手法はまだ模索中である。

生活排水がわれわれの生活に密接に関係していることは言うまでもない。そして自然系もわれわれのライフスタイルに起因しているといえる。都市化によって汚濁に拍車がかかっているからである。山を切り開き、土をアスファルトで覆うようになったことが大きく影響している。そしてこの自然系が汚濁に占める割合は年々高くなっているのである。

◆地球環境問題の試金石
われわれ自身が環境の破壊者になってしまっているというのは、現代型の環境問題の特徴である。一時代前の公害の場合、加害者は企業で、被害者が住民という構図が鮮明だった。例えば水俣病ならばチッソ社の出す有機水銀が原因だった。イタイイタイ病は三井金属鉱業から出るカドミウムによって引き起こされた。逆にいえば、被害は極めて深刻だったが、対策としてはこうした特定の発生源を抑えればよいという点で分かりやすかった。だが今日の環境問題の多くはそうではない。地球温暖化などの場合、一人一人が被害者であると同時に加害者でもある。生活の中で二酸化炭素を排出しているという点でわれわれ自身も温暖化の原因を作っている。

こうした現代型の環境問題の解決には特効薬はない。様々な手法を組合わせながら総力戦で臨むしかない。その中でわれわれ自身の意識改革も求められている。ライフスタイルの変革も必要である。この点は地球温暖化も印旛沼浄化もまったく同じである。裏を返せば、印旛沼の浄化というのは単に一地域の問題にとどまらない。地球環境問題の縮図なのである。これを解決出来るかどうかが地球環境を改善できるかどうかの試金石といえよう。

◆まずは啓発を
特効薬はないにしても出来うる限りの努力はしなければならない。まず出発点として、住民の一人一人に印旛沼の水質について広く関心を持ってもらう必要がある。われわれ自身が汚している以上、われわれ自身がそのことを自覚し、生活のありかたを見直す必要がある。そのためにも啓発活動が求められる。

この点で見習うべきは琵琶湖の例だと思う。琵琶湖は近畿一帯の水瓶だが昭和40年代に入ると周辺の都市化にともなって汚染がひどくなってきた。そこで住民の間で汚濁につながる合成洗剤の追放運動が始まり、粉石鹸の使用が奨励された。そして滋賀県も昭和54年には画期的な「富栄養化防止条例」を制定した。同時に滋賀県は59年に「世界湖沼環境会議」を主催する。この会議は地球上の各地で湖沼汚濁に取組む人たちと交流を図ることを狙ったもので29か国からの参加があった。この会議はのちに「世界湖沼会議」と名前を変え、その後も世界各地で約2年おきに開催されることになる。今年の11月には第9回の会議が発足の地・琵琶湖に里帰りして滋賀県大津市で開かれたのは記憶に新しい。このように琵琶湖周辺では行政も市民も環境保全のための意識が非常に高い。

もっともこうした取組みにもかかわらず琵琶湖の水質が劇的に改善したかといえばそうでもない。富栄養化防止条例が制定された昭和54年のCODの値は3.4ミリグラムだった。その後、昭和59年には2.6ミリグラムにまで下がったが、ここ10年ほどは3ミリグラムを上回り、平成11年度は3.2ミリグラムである。このあたりに閉鎖性水域の環境改善の難しさがあらわれている。(注2)
印旛沼の場合、琵琶湖に比べればもちろん、同じ県内の手賀沼に比べても意識がまだまだ低いように思われる。だが上にあげた数字に見られるように実際には印旛沼の汚れは琵琶湖の比ではないくらい深刻なのである。いっそうの啓発が求められる所以である。

◆市民の取組み
それでも印旛沼周辺でも意識の高まりの萌芽はある。市民も動きだしてきた。浄化を目指すNPO法人も誕生した。また「野菜いかだ」で沼を浄化しようというグループもある。沼につながる放水路にいかだを浮かべ、その上でクウシンサイやコウサイタイを栽培しているのだ。これらの野菜の根は水中に伸び、チッソやリンを吸収する。チッソやリンは放置しておくと沼の中で新たにCODを生み出す作用を持っている。 だからこれを植物の力で除去してしまおうというのである。

こうした試みは素晴らしいことである。もちろんそれによって沼全体の水質が劇的に改善するわけではないかもしれない。しかしそれでも市民が自ら参加するという点で大いに意味がある。水質への関心を喚起するためにも重要なことである。行政としても必要な支援を行なうと共に、こうした知恵を水質改善に役立てていくべきだろう。

◆発生源対策も
啓発活動に加えて必要なのは発生源対策である。汚れは元から断つのが一番よい。沼に入ってしまった汚れを除去するのは難しい。汚れを環境中に出さないことが大原則である。これは湖沼の汚染に限らない。 例えば大気汚染でもそうである。大気中に放出されてしまった有害物質を後から取り除くのは難しい。有害物質は発生源で処理するのが基本なのである。

そのためにもまず下水道や合併浄化槽の普及率を高めなければならない。これが最も確実な発生源対策だからである。もっとも佐倉市を例にとると下水道の普及率は89%で決して低い数字ではない。全国平均が62%、千葉県の平均が57%なのに比べてもかなり高いといえる。 問題はもっと上流の地域である。こうした地域にも下水道を普及させる必要がある。下水道の採算性が合わなければ合併浄化槽でもよい。 要は雑排水がそのまま流れ込むことを防ぐのである。

印旛沼の流域は10市3町2村(佐倉市、四街道市、八街市、印西市、白井市、成田市、千葉市、船橋市、八千代市、鎌ヶ谷市、酒々井町、富里町、栄町、印旛村、本埜村)にまたがっている。これらの広い地域から水が流れ込んでくるわけである。それだけに沼に流れ込む川はたくさんあるが、奇妙なことにこれらの川は上流ほど汚れている。一般的に河川は上流ほど清澄で、下流にいくほど汚れてくるのが普通である。だが印旛沼流域では逆になっている。これは上流ほど生活排水が未処理のまま川に流されているためと考えられる。

◆環境重視の公共事業を
ところで下水道や合併浄化槽を普及させるといっても資金が必要である。こういうところにこそ公共投資を行なうべきなのである。最近、公共事業の見直しが叫ばれている。車の通らない場所に道路をつくることはやめるべきである。本四架橋のように採算性をまったく無視した事業は無駄と責められても当然である。無駄な投資を削り、こうした環境分野に重点投資してこそメリハリのある公共投資といえるのではないだろうか。

先に述べたように印旛沼は湖沼水質保全特別措置法に基づいて国の指定を受けている。だが現実にはこの指定を受けても何の特典もない。指定湖沼は国が水質保全の必要性を認めたということである。こうした湖沼に対しては国が水質浄化のために資金面でも優遇することがあってよいのではないか。例えば指定湖沼の流域で下水道整備や合併浄化槽設置を行なう場合には普通よりも高めの補助を出すくらいのことはすべきだろう。そうした財政措置がなければ何のための指定なのかということになりかねない。

また印旛沼に植生帯を作り水草を回復することも検討すべきだと思う。前に「野菜いかだ」の例を紹介したが、確かに水生植物には水質浄化作用がある。印旛沼では繁殖したオニビシを昭和62年から平成3年にかけて大規模に刈り取ったことがある。だがその結果、水中のリン濃度が増え、CODの上昇にもつながったという報告もあるくらいである。

さらに農地からの肥料流出にも目を配る必要がある。肥料に含まれるチッソが沼に流れ込んでいるためである。今までこの問題はあまり触れられてこなかった。だがこれは対策が立てにくいとされる自然系の中で、対策可能とされるわずかな分野でもある。農業だけを聖域とするわけにもいかない。きちんとした対策が求められる。

◆県が中心になって取組みを
しかし何よりも重要なのは印旛沼浄化に向けて政治が強い意思を示すことである。より具体的には千葉県がイニシアティブを発揮すべきだと思う。河川法上、印旛沼は県知事管理の水域だからである。 私は印旛沼の浄化対策がこれまで進まなかった大きな原因は国まかせの姿勢があったからだと思っている。建設省(現・国土交通省)が持っていた「印旛沼総合開発事業」という構想に依存しすぎていたのである。この構想にはいろいろなものが含まれていたが、その柱は沼底を200万リューベも浚渫することだった。狙いとしては①新規都市用水の確保、②治水安全度の向上、③水質浄化の三本柱があった。その意味で必ずしも水質改善に的を絞った計画ではなかったが、それでもヘドロを浚渫することなどで浄化に寄与すると期待されていた。 だがこれに期待する余り、県や市町村は沼の浄化に主体的に取り組むというよりも、国に事業の早期着手を陳情するという姿ばかりが目についていた。

ところがこの構想は実際の工事に入ることなく昨年12月に正式に中止が決定した。公共事業見直しの時勢の中で800億円もかかるこの事業の必要性に疑問が投げ掛けられたからである。中止の決定は水質浄化への一頓挫ともいえよう。地元からは落胆の声も上がった。しかし私は逆にいい機会だとも思っている。今まで国の計画まかせだったものを、県を中心として地元が主体的に取り組むきっかけにすればよいのである。もちろん国に対しても必要な支援は要求すればよい。また市民団体なども巻き込むことが求められる。時あたかも県知事には環境問題に熱心な堂本暁子氏が就任した。堂本知事の強力なリーダーシップを期待している。

◆「印旛沼会議」の設置を提唱する
そこで私は知事が中心となって「(仮称)印旛沼会議」を設置することを提唱したい。この場に多くの関係者を集めて総合的な取組みを検討するのである。単に検討するだけでなく、そこで打ち出したことは実行することを前提としなければならない。そのくらいの気迫がないと議論倒れに終わるのが常である。関係市町村長はもちろん環境省や国土交通省、農水省の担当者、さらには学者、市民の参加も呼び掛けたい。その中で皆で知恵を出しあえばよいと思う。ちょうど三番瀬で円卓会議を設けるようなものである。

先に述べたように印旛沼の浄化には特効薬はない。総合的な施策が求められている。それだけに各部署が縦割り的に取組んでいても効果は減殺されてしまう。多くの関係者が参加することの意味はそこにある。

こうした会議をやったからといって沼をきれいにするための秘策が急に出てくるというわけではない。合併浄化槽の普及をはかったり、ビオトープをつくるなど今までいわれているようなアイディアの繰り返しになるかもしれない。しかしそれでも良いと思う。印旛沼の浄化を県政の最重要課題へと格上げすることこそ狙いなのである。会を重ねるごとに浄化への気運が高まるはずである。そうだとすればこれほど有意義なことはない。またこうした会議を開くことこそ市民への最大の啓発にもなるはずである。

◆機能していない水質保全協議会
実を言うと、こうした場はすでにあるともいえる。昭和46年に印旛沼水質保全協議会というものが設立された。この協議会の会長は千葉県知事がつとめ、千葉市・佐倉市など関係する16市町村の首長が副会長や理事をつとめている。他にも県水道局、水資源開発公団、土地改良区、漁協なども参加し、関係者はほぼ網羅されている。また関係する国会議員、県議会議員なども顧問に就任している。こうした顔触れをみると沼の浄化を討議するのに一番ふさわしい場である。ここで提唱した「印旛沼会議」を先取りした陣容ともいえよう。
しかしこの水質保全協議会には大きな問題点がある。沼の浄化に役立つことをしていないのである。言葉を換えれば機能していないのだ。実施していることといえば小中学生から印旛沼についてのポスターや標語を募集したり、ろ紙袋やポケットティッシュを配付している程度である。これはこれで啓発活動として意味があるのかもしれない。しかし肝腎の浄化のための具体策作りは何もしていないのである。せっかくこれだけのメンバーを集めて協議会を設置したからには、きちんとした議論を行ない、実際の政策に反映すべきだった。

この協議会が機能してこなかったのも浄化については国まかせの姿勢があったからである。だが建設省の計画が中止になった今、もはや国まかせにしているわけにはいかない。印旛沼の浄化に真剣に取り組む機関を立ち上げるべきである。もちろん既存の水質保全協議会を活性化してここで議論すべきだという声もあろう。それができれば何も「印旛沼会議」を新設して屋上屋を架す必要もない。そのあたりは柔軟に考えてよいと思う。大切なのは知事を先頭にして印旛沼の問題を県政の最優先課題に押し上げるような雰囲気をつくることなのである。

県はこの10月に「印旛沼流域水循環健全化会議」なるものを立ち上げた。ここで水質改善や治水について検討し来年3月までに計画を策定するという。だがこれは学者を委員長としたいわば専門家の討議の場であり、ほとんどの人はその存在さえ知らない。専門家による討議ももちろん必要である。しかし今、何よりも求められているのは、検討結果を即実行に移せるだけの気運の盛り上げである。そのためにも知事を中心とする「印旛沼会議」のようなものが必要なのである。

◆水の世紀にこそ印旛沼浄化を
21世紀は水の世紀といわれる。食糧危機がくる前に水の危機が深刻になると専門家は予測する。20世紀が石油をめぐって国家が争った時代とするならば、21世紀は水をめぐる争いが頻発するかもしれない。水は限られた資源だからである。

地球上の水は約14億立方キロメートルある。しかしそのうち97.5%は海水である。淡水は残る2.5%にすぎない。さらにそのうちの大部分は南極や北極の氷、あるいはアルプスなどの氷河である。人間がすぐに利用できる河川水や湖沼水は地球上の水のわずか0.01%にすぎない。

これだけ貴重な水を湛えた水瓶が私たちのすぐ隣にある。この印旛沼の環境を保全するのはわれわれの責務である。環境保全とは単にCODの数値を下げればよいというものではない。人間が水と身近にふれあえるような沼にすることが真の目的なのである。

注1)細かいことをいうと環境基準のCOD3mg/l以下というのは年平均値ではなく“75%値”である。75%値というのは測定したデータのうち良い方から順番に並べ75%目にあたる部分の値をいう。例えば印旛沼では年に24回水質を測定しているが、このうちきれいな方から75%(つまりきれいな方から18番目)の値を指す。これに対し、24回分を単純に足して24で割ったものが年平均値である。当然75%値の方が高めに出る。なお印旛沼のCODが年平均10mgというのは平成12年度の結果である。

ちなみに75%値だと11mgになる。前頁の「湖沼の汚染ワースト5」の表は平成11年度の結果である。印旛沼の12年度の結果はすでに千葉県が発表しているが、全国の湖沼についての統計は12月に環境省から発表される。そのため本稿執筆時点で平成12年度の全国の結果は未発表のためである。

注2)統計は琵琶湖南湖のもの。琵琶湖は北湖、南湖に分けられるが、南湖の方が汚染が進行している。

特集 地球温暖化・企業アンケート (資料編)

2001.11.23

「特集 地球温暖化・企業アンケート (資料編)」
地球温暖化対策の不備を浮きぼりにした話題作。豊富な資料をここに公開

◆調査対象
アンケートは東京証券取引所一部上場企業の全社(1488社)に対して実施した。調査方法は調査票を平成13年10月16日に郵送し、回答をFAXしてもらう形をとった。 回答は389社からあったので回収率は26.1%となる。 回答期限は11月6日としたが、期限よりも若干遅れたものは集計に含まれています。

◆アンケート依頼文の全文
調査票を送るにあたって同封した依頼文は以下の通り
-------------
地球温暖化問題についてのアンケートご協力のお願い

拝啓
時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 さて地球温暖化は21世紀の人類が抱える最大の問題の一つだといわれています。そこで日本でもこの温暖化の防止を目的として1999年4月には「地球温暖化対策推進法」が施行されました。この法律によって、各事業者は温室効果ガスの排出抑制のための計画を作成することが努力義務とされています。しかし残念ながら法律施行後2年経った今なお、多くの事業者が未だにこの計画を策定していないのではないかとの声もあります。そこで今回この法律がどのくらいの実効性をあげているかを調査すべく、以下のようなアンケートを送付させていただきました。ご多忙中のところを恐縮に存じますが、ご協力いただければ幸甚に存じます。
敬具

衆議院議員・自民党環境部会副部会長 水野 賢一
*このアンケートは東証一部上場の全企業に送付しております。
*なお調査結果は回答・無回答を問わず企業名とともに「水野賢一ホームページ」に掲載させていただく予定です。

◆アンケートの全文
アンケートそのものの全文は以下の通りである。
「地球温暖化対策推進法についてのアンケートお願い」
・各設問ごとに選択肢を一つ選び、該当する番号に○をつけてください
・回答はこの用紙に直接ご記入ください
・記入後はお手数ですが、水野賢一事務所までFAXでお送りください

問1)地球温暖化対策推進法で、事業者が温室効果ガスの排出抑制計画を作成することが努力義務とされていることをご存じでしたか。
1 知っている
2 法律の存在は知っているが努力義務であることは知らなかった
3 知らなかった

問2)貴社は同法に基づく計画を作成されましたか。
1 すでに作成した
2 企業としては作成していないが業界団体などで共同して作成した
3 企業全体としては作成していないが事業所などで作成した
4 まだ作成していない
5 その他(                  )

問3)(問2で1を選ばれた方にのみ)貴社はその実行計画を公表していらっしゃるでしょうか。
1 公表している(さしつかえなければ公表方法をご記入ください(例)インターネット、環境報告書、記者会見など)
2 公表していない
3 その他

問4)貴社全体での二酸化炭素の総排出量はどのくらいになるでしょうか。 算出していればご記入ください。
1 算出している(  トン-CO2 )
2 算出しているが公表していない
3 算出していない
4 その他

cf. 温室効果ガス全体の総排出量(t-CO2 )も算出していればご記入ください。(                  )

問5)地球温暖化への対策についてご意見・ご感想などございましたらご自由にご記入ください。
-------------
この後に企業名、記入者の名前、所属部署などについて書いてもらった

◆アンケートの結果
問1)
①知っている317社(81.5%)
②法律の存在は知っているが努力義務であることは知らなかった61社(15.7%)
③知らなかった11社(2.8%)

問2)
①すでに作成した 163社(41.9%)
②企業としては作成していないが業界団体などで共同して作成した54社(13.9%)
③企業全体としては作成していないが事業所などで作成した 25社(6.4%)
④まだ作成していない107社(27.5%)
⑤その他 47社(12.1%)
cf. 無回答の企業や一社で複数の番号に丸をつけている会社もあるので合計は100%にならない。

問3)
①公表している 123社(75.5%)
②公表していない33社(20.2%)
③その他 8社(4.9%)
cf. 問2で1以外を選んだ会社の中で回答してきたものもあったが、統計上はこれは除外した。

問4)
①算出している205社(52.7%)
②算出しているが公表していない48社(12.3%)
③算出していない109社(28.0%)
④その他 25社(6.4%)

特集 地球温暖化・企業アンケート(本編)

2001.11.20

「特集 地球温暖化・企業アンケート(本編)」
~抜け道だらけの温暖化対策推進法~

企業はどの程度温暖化防止につとめているか。マスコミ等でも話題沸騰の初の実態調査

◆地球温暖化対策推進法の制定
地球温暖化が問題になってきたのは1980年代のことである。もちろんそれ以前にも地球が温暖化しつつあると警告する炯眼の学者はいた。しかし一方で地球は寒冷化に向かっているという説も強かった。「再び氷河時代がやってくる」という声さえ聞かれたのである。
だが今では大気中の二酸化炭素が増大し、地球が温暖化していることは定説になっている。温暖化防止こそが21世紀の人類にとって最大の課題の一つである。そこで1997年には京都会議が開かれ、各国が温室効果ガスの排出を削減することを申し合わせた。日本も2010年前後には1990年比で6%削減することを約束した。

そして日本では98年に地球温暖化対策推進法が制定された。当時の環境庁はこれは温暖化防止に狙いを定めた世界初の法律と喧伝していた。 しかし今、この法律では不十分だといわれている。京都議定書を批准し、本当に6%削減を実行するためには新たな法整備が必要だという声が強い。私もそう思う一人である。環境省も来年の通常国会には新法案を提出する構えでいる。

だがその前にもう一度、地球温暖化対策推進法を検証してみたい。この法律のどこに欠点があり、どういう不備があるかを精査することで、新たな法律づくりにも役立つと思う。法律とは作りっぱなしではいけない。過去の法律がどの程度の実効性をあげてきたかを検証することで、いま何をすべきかも見えてくるのではないだろうか。そのためにもあらためてここで地球温暖化対策推進法について振り返ってみたい。

◆地球温暖化対策推進法とは
地球温暖化対策推進法の柱は、国・地方公共団体・事業者がそれぞれ温室効果ガスの排出抑制計画を作るということである。例えば大阪府は1998年度に37.0万トン(CO2 換算)の温室効果ガスを排出した。これを2004年度には5%削減しようという計画をもっている。ちなみに37万トンというのは大阪府全域から排出される温室効果ガスではなく、あくまでも府の施設から排出されるガスのことである。府庁舎で消費するエネルギーや府の公用車などが出すもののことである。つまり一つの法人としての府が排出する量を指している。他にも東京都港区は99年度に20181トンの温室効果ガスを出しているが、これを2004年度には3%減らすことを目指している。

地球温暖化対策推進法とはこうした計画を国やすべての地方公共団体、事業者に作ることを求める法律なのである。つまりこの法律は排出をどれだけ減らせと強制しているわけではない。あくまでも現状の排出量を把握し、自主的に排出抑制計画をつくれという法律だといえる。ただし国、地方公共団体の場合は計画の作成が義務なのに対し、事業者の場合は努力義務になっている。

◆削減計画の作成状況
では、国、地方公共団体、事業者は法律通りにこの計画をつくったのだろうか。実態はお寒い限りである。なにしろ国自身が作成していないのだ。同法が施行されたのが99年4月である。それからすでに2年半が経過しているにもかかわらず、未だに作業が完了していない。率先垂範すべき国がまだ作成していないことは大いに批判されるべきである。

その点、都道府県は比較的成績がよく今年の4月1日時点で47のうち40都道府県が作成している。ちなみに未作成は群馬県、千葉県、神奈川県、富山県、長野県、滋賀県、京都府である。市区町村になると作成率はずっと低くなる。3249のうち412である。わずか12%にすぎない。国、地方公共団体はいずれも作成が義務である。にもかかわらずこれが現状なのである。

◆企業アンケートの実施へ
計画の作成が努力義務とされている企業の場合はどうだろうか。企業の場合も対応はまちまちである。環境問題への意識の高い企業は環境報告書をつくってかなり詳細な情報を公開している。どのような温室効果ガスをどれだけ排出し、削減のために何をしているかを具体的に提示している企業もある。一方でほとんど情報公開をしていない会社もある。

ではどれだけの企業が温室効果ガスの排出抑制計画を作成したのだろうか。以前、環境省が三菱総研に委託して企業アンケートを実施したことがある。これによると“作成した”というものが51.8%で、“作成していない”が45.6%だった。ちなみに回答したのは1306社で回答率は18.7%だった。

ただこのアンケートはまったくの匿名調査だったためにどの企業がどのような取組みをしているのかが不明だった。ましてどこが何トンの二酸化炭素を出しているのかという肝心な点も分からなかった。

そこで私は「衆議院議員 水野賢一事務所」として企業アンケートを行なうことにした。狙いは各社が計画を作成しているかどうかを調査することと、それぞれが何トンの温室効果ガスを排出しているかを把握することだった。調査対象は東京証券取引所一部上場の全1488社とし10月16日に調査票を郵送した。回答は389社からあったので回答率は26.1%となる。業種別にみると回答率が高かったのは「電力・ガス業」(14社中12社)、「ゴム製品」(10社中5社)、「輸送用機器」(58社中28社)などで、逆に低かったのは「鉱業」「証券業」「保険業」「不動産業」「サービス業」などである。個々の企業の回答結果についてもホームページで公開することを通知しておいたので、この拙文の後ろに“資料編”として掲載した。

◆アンケートの結果
アンケートでは4つの質問をした。最初の質問では地球温暖化対策推進法の内容を知っているかどうかを問うた。質問文は次の通りである。“地球温暖化対策推進法で、事業者が温室効果ガスの排出抑制計画を作成することが努力義務とされていることをご存じでしたか”結果は、
・知っている 81.5%
・法律の存在は知っているが努力義務であることは知らなかった15.7%
・知らなかった 2.8%
これを見ると同法の内容についての理解は総じて高いといえる。ただし「銀行」「倉庫・運輸」「サービス」の業種においては“知っている”の割合が半数に届かなかった。
続く問2は“貴社は同法に基づく計画を作成されましたか”というものだった。これに対しては、
・すでに作成した 41.9%
・企業としては作成していないが業界団体などで共同して作成した 13.9%
・企業全体としては作成していないが事業所などで作成した 6.4%
・まだ作成していない 27.5%
・その他 12.1%
との結果だった。ちなみにこの法律では共同で計画を作成することも認めている。

企業における作成率は都道府県ほど高くはないが、市町村よりはかなり進んでいるともいえる。ただしこの結果が企業全体の縮図であるとは言えない。調査対象は東証一部上場という日本を代表する企業に限られている。逆に言えば、その大企業にしてまだ3割は未作成だともいえる。さらに環境への取り組みに自信を持っている企業の回答率が高いのに対し、そうでない企業は回答してこないということは容易に推定できる。おそらく一部上場に限っても全体での作成率がもっと低いことは間違いないだろう。

第三の質問は、問2で“作成した”と答えた企業に対して、その計画を公表しているかどうかを尋ねた。法律の第9条では「計画を作成し、これを公表するように努めなければならない」とある。

・公表している 75.5%
・公表していない 20.2%
・その他4.9%

公表方法としてはホームページや環境報告書をあげた会社が多かった。

そして最後に、会社としてどれだけの二酸化炭素を排出しているかを聞いた。これに対しては、年間9220万トンとした東京電力を筆頭に様々な回答があった。“資料編”にすべてを掲載したので参照していただきたい。 日本全国の総排出量が12億2500万トンなので東京電力の場合、その7%を一社で排出していることになる。もっとも「排出しているから悪い」という考えは早計である。業種によっては排出せざるをえない業種もある。電力や鉄鋼業などがそうである。本調査でもそうした企業が排出量の上位を占めている。ただそうした業種の会社ほど排出量をきちんと把握している傾向も明らかになった。全体の結果は次の通りである。

・排出量を算出している 52.7%
・算出しているが公表していない 12.3%
・算出していない 28.0%
・その他  6.4%

そして業種別にみると「電力・ガス」「パルプ・紙」「化学」「電気機器」「輸送用機器」などが排出量を明記する割合が高かったのに対して、「建設」「卸売」「小売」「サービス」などでは算出していない企業が多かった。特に「銀行」など金融関係企業からの排出量の回答は皆無だった。

◆温暖化対策推進法の問題点

こうした結果をみると残念ながら地球温暖化対策推進法は十分な実効性をあげたとはいえない。日本を代表する企業の間でさえまだまだ計画を作成していない場合が多いのである。さらに問題なのが自社の温室効果ガスの排出量を算出していない企業がかなりあるという点である。今後削減していくためにも、まず現在どのくらいのガスを出しているかを把握するのは大前提である。これなくしてただ削減計画をつくるといっても砂上の楼閣にすぎない。

ちなみに今回のアンケートでは問2で排出抑制計画を作成したとしながら、問4では現在の排出量は算出していないという企業も散見された。 こういう回答は矛盾である。今の排出量が何トンであるかが分かっていてはじめて今後の計画が立てられるはずだからである。ただ結果を集計する時には矛盾のあるなしに関わらず、回答通りに集計した。
ではこの地球温暖化対策推進法のどこに問題があったのだろうか。一つは事業者・企業に対しては計画の作成が努力義務にすぎない点である。やはり義務ということを明確化しないと作成しない事業者が多くなるのは当然だろう。さらに同法の事業者についての規定は実に曖昧である。法律の第7条を見ると「温室効果ガスの総排出量が相当程度多い事業者」を特に念頭に置きながら計画の作成を求めている。だが「相当程度多い」という定義も曖昧ならば、計画を企業単位で作るべきなのか事業所ごとに作るべきなのかもよく分からない。こうした点は明確にすべきである。

では「努力義務」を「義務」に格上げすれば解決するのかといえば、事はそれほど簡単ではない。現に作成が義務であるはずの市町村の作成率が低いのはすでにみた通りである。その理由としては期限が設けられていないことがあげられる。期限がない以上、未作成だからといって違法だとは言い難くなる。現行法の大きな抜け穴といえよう。

さらに現状では企業の発表している排出量が正しいかどうかを判断する術はない。何トン排出していると言われればそれを信じるしかない。そのためアンケートでも妙なことが起きている。回答の中には“排出しない”というものがあった。しかし常識で考えて排出がゼロということはありえない。同法の施行令では電力消費に伴う二酸化炭素排出もカウントするからである。企業である以上、電気くらいは使うだろう。 そうすればゼロになるはずはない。排出しないと回答した方はおそらく「わが社は石油も石炭も燃やしていない。だから二酸化炭素は排出していない」という思い込みがあったのだろう。いわば単純な誤解に基づくものと思われる。だが誤解であれ意図的であれ間違った排出量を発表しても現在の制度ではそれを検証することができない。

排出量の報告が正しいかどうかを検証できる制度を設けることが必須である。また誤解が生じたのも政府の啓発不足の証左ともいえる。なお一層の啓発が求められることも言うまでもない。

◆何をなすべきか
以上、アンケート結果に基づきながら現行法の問題点を指摘してきた。今後の温暖化防止立法の中でこうした反省点を生かさなければならない。

まず企業にも排出抑制計画の作成を義務づけるべきである。この時に作成期限を設定しないと実効性に欠けるのはすでに見た通りである。 それに加えて絶対に必要なのは各企業に現在の温室効果ガス排出量の公表を義務づけることである。こうした義務化はむしろ当然のことである。現に他の分野ではすでに実施されている。例えば99年にPRTR法が制定された。この法律は環境汚染の恐れのある化学物質を排出した企業はその排出量を把握して届出なければならないというものである。 これによって約2万社の企業が化学物質の排出量について届出をすることになった。二酸化炭素についても同じことができないはずがない。ただし企業といっても日本中の企業は165万社もある。一定以上の規模の企業に限定するのはやむをえないだろう。PRTR法においてもこうした“裾切り”は行なわれている。

企業に対して義務を課すというと、とかく経済界を中心に反発が起きるのが常である。しかし私がここで言っているのは特別に産業界に負荷を課そうというわけでもなければ、生産量を制限しろというのでもない。あくまでも排出量をきちんと報告する制度を作り上げるべきだと言っているのである。しっかりと情報公開をしろというだけのことである。これは本来ならば現行の地球温暖化対策推進法の下でも行なわれているべきことなのである。むしろ穏健すぎるほどの提案である。

こうした制度を確立することの意味は単に情報公開の推進という点だけにとどまらない。効果的に温室効果ガスを削減するためにも必要なのである。ガスを効率的に削減するためには市場原理を利用する排出量取引が有効である。いずれ国内でも排出量取引が行なわれる可能性があるだろう。現にイギリスでは来年4月から実施するという。だが排出量取引を行なうためには各社が現在どれだけ排出しているかを把握することが大前提となる。これなくして排出量を取引きすることはできないからである。そういう意味でも排出量の報告制度をいま作っておく必要がある。
当然のことながら先に述べたように報告が正しいかどうかの検証システムも確立すべきである。また虚偽報告への罰則も必要だろう。

◆確実な第一歩を
産業界の人はよく二酸化炭素の排出量は増えていないと胸を張る。「産業部門の排出量は増えていない。むしろ増えているのは民生・運輸部門だ。だからそちらにメスを入れるべきだ」という声はしばしば聞かれる。これはある意味で正しい。しかしそれでも日本の二酸化炭素の総排出量のうち40%が産業部門なのもまた事実である。 民生部門が25%、運輸部門が21%なのに比べてもやはり大きい。これだけ膨大な排出源を手付かずのままにしておくわけにはいかない。まして増えていないというならば個々の企業も排出量を堂々と公表すればよいのである。

もちろん地球温暖化対策はこれだけではない。産業界に対しては義務だけではなく削減のためのインセンティブも必要だろう。さらには民生・運輸部門からの排出の抑制も喫緊の課題である。そのためには環境税・炭素税の導入も必要だろう。こうした諸々のことを議論していかなければならない。私がここで主張してきたことはむしろ第一歩にすぎない。 だがその第一歩を確実に踏み出すことが明日の人類のために必要なのではないだろうか。

最後にこのアンケートにご協力いただいた多くの方々に心から感謝を申し上げたい。

中選挙区の一部復活案に反対する

2001.10.31

「中選挙区の一部復活案に反対する」

またぞろ浮上してきた中選挙区制の復活案。目先の政局のための理念なき選挙制度いじりを撃つ。
選挙制度の話ほど政治家の目の色が変わる問題も少ないだろう。制度の改変は政治生命にかかわるから当然ともいえる。 今また政治家が浮き足立つような案が浮上してきた。10月24日、与党三党の幹事長が衆議院の選挙制度を変える案で大筋一致したのである。現在の300小選挙区を270の小選挙区、12の二人区、2つの三人区に変えるというものである。要は都市部は複数区にして、地方は小選挙区のままにしようということである。これほど筋の通らない話はない。一貫性もなければ整合性もない。なぜ都市部は複数区で、地方が小選挙区なのか理由はどこにもない。野党が「理念も哲学もない」として強く反発するのも当然である。野党だけではない。自民党内でも反対の声が大多数である。

先に「理由はどこにもない」と書いたが、実はこの案が出てきた理由は明々白々なのである。公明党が強く要望しているからである。公明党には熱烈な支持者が多い。だが支持者以外の間には強い公明党アレルギーが広まっている。そのため公明党候補は支持者からの票は確実に得られるが、それ以外に支援の輪を広げることが難しい。これでは小選挙区では勝ち残れない。しかし複数区ならば組織票を固めさえすれば当選の確率はずっと高まる。そこで公明党は基盤の強い都市部での中選挙区制復活にこだわってきた。

確かに公明党の立場にたてばそうだろう。中選挙区で行なわれた昭和61年、平成2年、平成5年の総選挙では公明党はそれぞれ56議席、45議席、51議席を確保した。しかし昨年の総選挙では31議席である。それも小選挙区で勝ったのは7つに過ぎず、ほとんどは比例区での当選である。この間、党勢そのものがさほど減衰したわけでもない。「議席が減ったのは選挙制度のせいだ。だから中選挙区を復活しろ」と言いたい気持ちは分からないでもない。

だが選挙制度とは一党一派への配慮で考えるべきものではない。選挙制度は各党の消長に直接関わってくるのは事実である。 それだけにこの問題を論ずる時には党利党略に偏らないように節度が求められる。自分や自党に有利か不利かを計算するのは人間の常だろう。それはやむをえない。しかしそれでもやって良いことと悪いことがある。今回の改革案はその限度限界を超えていると言わざるをえない。

理念よりも各党への配慮が先に立った改革案としては「小選挙区比例代表連用制」というのが思い起こされる。この案は平成5年4月に民間政治臨調が提案した。中選挙区を廃止して小選挙区を導入しようという機運が高まっていた頃である。しかし各党の案には隔たりがあった。自民党は単純小選挙区制を主張し、当時第二党の社会党と第三党の公明党は小選挙区比例代表併用制を唱えていた。これに対し、民間政治臨調は第三の案として連用制を提示する。この案の最大のポイントは各党の当時の議席がほぼ維持されることだった。直前の衆議院選の結果をもとにした試算によると連用制を導入した場合の各党の獲得議席数は次の通りである。
 
連用制導入 当時の現有議席
自民党   287    274
社会党   131    141
公明党    41     46
共産党    29     16
民社党    12     13
 
つまりこの制度は導入しても大きな議席の変化がないように配慮されていた。どの党にとっても当たり障りがないために折衷案として浮上してきたともいえる。しかし配慮が先に立っていただけに分かりにくいことこの上ない制度だった。連用制の内容を記せば「小選挙区と比例区からなるが比例議席の配分をドント式で行なう時に各党の小選挙区獲得議席に1を加えた数を除数とする」ということになる。何のことやらよく分からないが、要するに小選挙区で多数を獲得した党には比例でハンデを与えるということである。ともあれ奇怪な案だったことは間違いない。こうした案が採用されなかったのは国家百年のために良かったと思っている。だがこの案でさえ今回の改革案よりはましである。全政党に配慮していたからである。今回の中選挙区制一部復活論は特定の政党への配慮がすべての出発点になっているのである。普通の感覚の持ち主であればこういう案を出すこと自体、恥ずかしいと思うべきである。

そもそもいま選挙制度の見直しが必要なのだろうか。どれだけの国民がこれを求めているのだろうか。日本政治の優先課題が選挙制度の問題のはずがない。テロ対策、景気回復などやらなければならないことは山ほどある。ところが選挙制度の話がひとたび出ると政治家の関心はそこに集中してしまい、他の問題はおろそかになってしまう。誰でも我が身が大切だからこれは仕方がない面もある。だからこそこういう問題を扱うべき時ではないのだ。

連立を組んでいる友党への信義はもちろん大切である。妥協も必要かもしれない。だがそれをもってすべてが許されるわけではない。選挙制度とは民主主義の出発点である。政治に妥協は付き物とはいえ出発点から妥協というわけにはいかない。道理がある妥協ならばまだしも、特定の政党のために「勝てる選挙区をつくる」などというのはとんでもないことである。選挙制度には最低限、理念や整合性が必要なのである。説明のつかない制度を作るべきではない。

予備選とは何か(上)

2001.10.30

「予備選とは何か(上)」
公認候補は党員投票で選ぼう。自民党青年局長・水野賢一による渾身の党改革提言・前編。

◆はじめに
自民党は昭和30年に結成された。それ以降、下野したのはわずか1年間だけである。ほぼ万年与党といっても過言ではない。しかし長く国政の中枢を占めているだけに世論の厳しい批判を受けることもしばしばあった。そして逆風にさらされるたびに自民党改革ということが叫ばれてきた。近い例としては低支持率にあえいでいた森喜朗内閣の時がそうである。森総裁のもとで開催された今年3月の党大会では「党の再生」「党の新生」「解党的出直し」「ゼロからの出発」といった言葉が多く聞かれた。そしてその直後の4月の総裁選では小泉純一郎氏が「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンと共に「自民党を変える、日本を変える」と訴えて圧倒的な勝利をおさめたのである。

では自民党を変えるとはどういうことだろうか。すぐ頭に浮かぶのは派閥順送り人事の解消や世代交代、さらには族議員の跳梁を抑えるということである。これらはもちろん大切なことである。しかし私はさらにこれらに加えて党改革の大きな柱として、国政選挙の候補者選考時に予備選を導入することをあげたいと思う。現在の候補者選考は必ずしも党員の声が直接反映される仕組みにはなっていない。これを各地域の党員の声によって候補者が決まる仕組みに変えていこうということである。このことは開かれた自民党を目指すためには避けては通れない道である。

実を言えば何もこの予備選という主張は私が言い出したことではない。党内の若手、特に地方の若手党員の間から澎湃として沸き上がってきた声である。私はいま自民党本部の青年局長という役職を拝命している。その役柄上、各地方の若手党員と話すことが多い。その中で必ずといってよいほど彼らから出てくるのが予備選導入を切望する声である。そして私自身もこの問題を調べ、取り組んでいく中で、予備選の導入が必要だと確信するようになった。党に新しい人材を供給し、活力を与えるためにも是非とも推進しなければならない。しかもこの予備選の問題はもはや机上の空論ではない。現実にこの10月に実施された衆議院宮城4区の補欠選挙の時には実施もされた。
この拙文では前半で予備選についての全般的な考察をしてみた。そこでは予備選とは何か、その必要性、経緯などについて取り上げる。そして後半では宮城県における予備選の実態をまとめた。私自身、宮城の補選には2回ばかり足を運び予備選の実情を見聞させてもらった。もちろん予備選にも長短いろいろある。現実の予備選の分析がこうしたことを考える上での一助になれば幸いである。

◆予備選とは
ところで予備選とは何だろうか。辞書風に定義をするならば「本選挙以前に行なわれ、本選挙に進む候補者を絞り込むための選挙」とでも言えるだろう。本稿で取り上げる予備選も、国政選挙、特に衆議院の小選挙区の自民党候補を決めるために実施される党内での選挙と理解していただきたい。

ところで自民党内で予備選という言葉が使われる場合、むしろ総裁選の予備選の印象の方が強いかもしれない。昭和52年に総裁公選規定が改正され、総裁選に初めて予備選が導入された。3人以上の立候補者があった場合には党員による予備選挙を行ない、その上位得票者2名が党所属国会議員による本選挙に進めるようにした。その結果、4人が立候補した翌53年の総裁選では党員による予備選が行なわれている。この時は一位・大平正芳、二位・福田赳夫の両氏が本選挙に歩を進める権利を得たが、結局福田氏が本選挙を辞退したために大平総裁の誕生となった。似たような予備選は昭和 57年の総裁選の時にも実施され、この時は中曾根康弘氏が新総裁に選ばれている。

われわれの記憶に新しいのは今年4月の総裁選の予備選である。これは予備選と名はついているが、昭和53年や57年の例とはかなり違う。今年の場合は総裁選の選挙人はあくまでも党所属国会議員346名と47都道府県連の代議員3名ずつ(141名)の合計487名だった。ただ各都道府県が自ら持つ3票を投じるにあたって、それぞれが独自に実施した党員投票の結果に従った。この党員投票を予備選と称したのである。

このように見てみると同じ予備選という名で呼ばれていても、いろいろな種類があることがわかる。にもかかわらずこれらの下に流れる基本的な考え方は共通している。衆議院候補者選定のための予備選にせよ、総裁予備選にせよ、もっと党員の声を反映させようということである。一部の人間が密室で決めて結果を下に押しつけるのでなく、下からの声を吸い上げようということである。トップダウンではなくボトムアップを求める声が予備選を支持しているともいえる。4月の総裁選ではこうした声が予備選を生み、さらには小泉総裁という新しい流れを生み出した。今、開かれた自民党を求めるこの声が衆議院候補の選び方にも予備選の導入を求めているのである。

◆不明朗な現在の候補者選考
私は自民党を再生するために国政選挙への予備選の導入が必要だと考えている。この必要性を述べるためにも、予備選の気運が高まってきた理由を見てみよう。予備選を求める声が広まってきた背景には衆議院への小選挙区制の導入がある。中選挙区時代には各選挙区の定数は概ね3?5名だった。それにあわせて自民党候補も複数立候補し、お互いに相争うのが常だった。もちろん当時も自民党の公認争いはあったにせよ、公認候補を一人に絞り込む必要はなかった。ところが小選挙区になれば党公認候補は当然一名である。この唯一人の公認候補者がその地区の選挙区支部長となり、自民党を代表することになる。もちろん公認料や政党助成金を受けられるなどの特典もついてくる。さらに言えば政党支部をもっていなければ企業・団体献金さえ受けられない。つまり支部長(=公認候補)になれるかどうかということが従来に比べて格段と大きな意味を持つようになったのである。それにもかかわらず公認を一人に絞り込むルールが明確になっていない。

現在のところ自民党の衆院選の候補者選びに明確なルールはない。現職優先という原則以外は不透明な部分が多い。そのため各地で行なわれる公認争いは外部の人間にはよく分からない形で決着がつく。実態としては候補者や派閥の力関係で決まってくる。悪く言えば密室での取り決めである。少なくとも党員が参加した明朗で開かれた選考とはいえない。

透明性のある選考過程が重要なことはこの1年半の総裁選びで明瞭になった。森内閣は「密室での誕生」ということが言われ続けた。五人組が決めたことが最後まで尾を引いたのである。 これに対しオープンな形で選ばれた小泉内閣は異例の高支持率を記録した。民主主義ではプロセスが大切である。総裁であれ公認候補であれ透明性のある選考が求められている。

◆予備選の必要性
現在のような候補者選びは一般の自民党員にとっても立候補する側にとっても不幸なことである。中選挙区制のもとでは複数の自民党候補が立候補するのが普通だった。それだけに自民党支持層の間でもA候補を応援する人もいればB候補やC候補を支持する人もいた。党員の間にもそれだけ選択の余地があったと言える。ところが小選挙区では自民党候補は一人だけである。党員にとっては好むと好まざるとにかかわらず、その候補を支援することが求められる。これは制度上、当然である。しかしそうである以上、せめて候補者を決める時くらい自分たち党員の声を反映してほしいというのはごく自然な要望ではないだろうか。

立候補を希望する自民党系新人にとっては悩みはさらに深刻である。中選挙区時代であれば同じ選挙区から自民党候補が複数立候補していた。自分の出たい選挙区にすでに候補者がいても出馬することは可能だった。保守系無所属として出馬して、当選すれば追加公認を受けるという方法もありえた。しかし小選挙区になるとそうはいかない。自分の出たい選挙区に現職がいれば出馬は不可能になる。たとえ現職がいなくてもほとんどの選挙区で候補者はすでに決まってしまっているのである。もちろん無所属での立候補という道がまったく閉ざされてはいるわけではないが、それは露骨な反党行為になってしまう。また先に述べたように現行法上では政治資金面、選挙運動面で大きな不利を覚悟しなければならない。 これでは若くて有為な人材がいても自民党からはなかなか出馬することができなくなってしまう。  実はこの問題について自民党青年局でアンケートをとったことがある。今年の2月に青年局に所属する若手地方議員に匿名を条件に「条件や環境が整えば、国政選挙に立候補してみたいとの意志をお持ちですか」という質問をした。結果は67%が「はい」と回答している。しかし「はい」と答えたうち94%が「いまは立候補できる環境にない」とも回答した。そう答えた人に対してさらにその理由も聞いた。すると85%の人が「現職議員や前・元職議員が立候補を希望する選挙区にいる」という項目を選んでいるのである。資金力不足を上げた人が44%だったのに比べても圧倒的に多い。

つまり立候補する意思があっても、その選挙区に現職がいる限り立候補できないという怨嗟にも似た声が上がっている。現職ならばともかく前職がいるから無理だという場合も多い。仮に落選しても、支部長にはとどまるということが多いためである。極端にいえば、現職が自分から身を退くか、もしくは死亡しない限り候補者が入れ替わらないというのが実態といえる。これは憂々しいことである。国政への挑戦が新人には極めて狭いものになってしまっている。自民党の新陳代謝が阻害されているのだ。

◆活力ある自民党のために
現に昨年の衆院選小選挙区では自民党の新人の立候補者数は激減した。小選挙区制が導入されて初めての平成8年の総選挙では自民党の新人候補は小選挙区に109名いた。これほど多かったのは制度の変わり目だったからである。しかし平成12年の総選挙ではこれが56名になった。今後はますます少なくなることが予想される。 このままだとどういうことが起きるか。自民党からの人材流出である。自民党から立候補したくてもできない人が他党から出馬することになりかねない。現にこうしたことは起こっている。本来、自民党とさほど変わらない考えの持ち主が民主党から立候補して当選している例は多数ある。これを無節操と批判することは簡単である。しかし制度上、そうせざるを得ないように追いやってしまっていることにも目を向けなければならない。

私はなにも新人の数が多ければよいというつもりはない。大切なのは彼らにも参加の機会を与えることである。新人も参加した上で予備選を行ない、結果として現職が候補者に選ばれるのであればそれもまたよしである。現状の問題は新人には参加の余地さえないことなのである。これでは党は活性化してこない。またただでさえ自民党には高齢化した政党というイメージがある。 このまま若手の参入を阻害し続ければ、こうした悪印象に拍車がかかることを私は懸念する。

さらに言うならば小選挙区という制度は現実には自民党であれば絶対に勝てるという選挙区も生み出した。やや言い過ぎなことを恐れずに書けば、候補者の能力とか努力とか国や地域への貢献とは関係なく、ただ自民党候補というだけで勝てる選挙区が多数あるのである。特に保守地盤が強い農村部がそうである。これは小選挙区という制度の宿命である。同じ小選挙区制度のアメリカやイギリスでもこうした例はある。かつてアメリカ南部では民主党でなければ当選はほぼ絶対に不可能だった。イギリスでも保守党がこの100年間ほとんど負けたことがないという選挙区もある。 同様に日本の小選挙区でも自民党であれば絶対に勝てる選挙区がある。そういう選挙区では自民党候補は当然のように圧勝する。 しかしそれは候補者が人気があるためでもなんでもなく、ただ選挙区に恵まれているというだけなのである。

選挙というのは本来競争である。候補者や政党が切磋琢磨していくことに意味がある。しかしこうした選挙区では本選挙では競争原理が働かない。これは国民にとっても不幸なことである。本選挙の結果が前もって読めるような選挙区でこそ党内での競争が必要なのである。つまり予備選である。それでこそいい意味での緊張が生まれ、政治家の質も確保される。また党としての活力も生まれてくるはずである。

本来こういうことは小選挙区導入と共に議論し、整備してしかるべきだった。現に小選挙区制をとっているアメリカでは予備選挙が確立している。残念ながら日本ではそれが整っていない。いまこそこの予備選の問題を本格的に議論すべきなのである。

◆党員獲得のためにも予備選を
さらに付随的なことではあるが予備選は党員獲得にも寄与するはずである。党本部は年中行事のように党員獲得運動を呼び掛けている。しかし党員獲得の現場である地方組織からは「ただ党員を集めろといってもそうは簡単に集まらない。党員になるメリットがないと無理だ」という声が漏れてくる。本来、党員とは自民党の理念理想に共鳴して入党すべきもので、メリットを求めて入党するというのは邪道である。だがそうはいっても何の特典もないならば四千円の党費を払いたくないという人が多いのもまた現実である。その点、党員になれば候補者選考にも関われるというのは党員を集める時の謳い文句になると期待している。

まして現在、自民党員は激減の兆しをみせている。小泉内閣の登場で自民党への支持が高まったのに奇妙な感じもするが、実際に職域支部を中心に党員数が落ち込んできている。これは参議院比例区に非拘束名簿方式が導入されたことが大きく影響している。従来は比例区候補が自分の比例順位を上げるために党員獲得に奔走したが、制度が変わったためにそれをしなくなったことが大きな理由である。党員数の減少は党財政にも深刻な影響を与えかねない。党員獲得運動に資するためにも予備選の導入を考慮すべきであろう。

◆青年局の活動
ここで予備選導入の必要性と意義をもう一度整理してみたい。
・候補者選定のルールを明確化することで密室政治を打破し、開かれた政党へ前進することになる。
・新人にも門戸を開くことにより党内の新陳代謝を促進する
・党員になるメリットを増すことで党員獲得を促進する

この予備選について党内で一番活発に議論をしてきたのは青年局である。昨年6月の衆議院選で自民党が特に都市部で大敗したことを受け危機感を強めた青年局では党改革の試みとして予備選の問題を議論するようになった。この議論には若手の地方議員有志も加わった。そしてその成果を今年1月に「衆議院議員選挙区における党公認候補者選定に関する試案」としてまとめ、党執行部に提出した。内容は予備選導入と立候補のプール制度導入である。プール制度とは聞き慣れない言葉だが、要は立候補したい新人を党本部で年一回程度公募してその人材をプールしておくということである。こうして有為な人材を確保しておいて、彼らにも予備選参加の資格を与えようという趣旨である。

しかし残念ながら今日に至るまでこの意見具申がまともに検討された様子はみえない。私自身も5月に青年局長に就任した身として山崎拓幹事長などに申し入れはしているが、党内全体の雰囲気としてはまだまだ予備選導入の機運が高まっているとはいえない。党内の機関としては政治制度改革本部が議論の場となるはずだが、本格的な議論さえ行なわれていない。しかし諦めることなく今後も必要な声を党内であげていきたいと考えている。

予備選とは何か(下)

2001.10.30

「予備選とは何か(下)」
宮城4区での予備選。その実態を迫真のレポート。これぞ“予備選のバイブル”完結編。

◆宮城の例ー予備選実施の背景
予備選を求める声が強まる中、初めてこれを本格的に実施したのが自民党宮城県連である。今年10月28日に行なわれた宮城4区の補欠選挙の自民党公認候補を予備選によって選出した。私はこれは画期的な試みだと考え、宮城に行きその過程の一部を見せてもらった。 その見聞を踏まえながら、今回の予備選の内容をおさらいしてみたい。

話は平成13年9月4日、宮城4区選出の伊藤宗一郎衆議院議員が逝去されたことに始まる。伊藤氏は当選13回の大ベテランで、昨年までは衆議院議長をつとめていた。小選挙区選出の議員に欠員が出た時は補欠選挙が行なわれる。公職選挙法によって3月16日から9月15日までに欠員が出た場合の補選は10月の第4日曜日に実施されるので、投票日は10月28日となった。

この伊藤氏の後継候補に最初に言及したのが高村派の高村正彦会長だった。伊藤氏は高村派に所属していたためである。高村氏は伊藤氏が死去した4日に「後継候補は伊藤氏の長男の伊藤信太郎氏の見込み」ということを発言した。信太郎氏はテレビキャスターなどを経たあと東北福祉大の教授をしており、48歳である。また5日に行なわれた伊藤宗一郎氏の葬儀の席で小泉純一郎首相も信太郎氏への支援を呼び掛けたとされる。

こうした動きが報道されると地元の宮城県の関係者に強い反発を引き起こした。「地元の我々の知らないところで勝手に候補者選考が進められている」「なぜ宮城4区の候補者を派閥が決めるのか」という声が噴出してきた。宮城県連は9月11日に高村氏に抗議文を送ることになる。

候補者選考が地元を軽視し、派閥の論理で行なわれていると見られたことが予備選の実施につながっていく。自分たちの候補は自分たちで決めようという流れが一気にできていった。宮城県連幹事長をつとめる土井亨県議はいう。「最初から地元の意向を聞いてくれれば、すんなりと信太郎さんで弔い合戦をしようということになったと思う。それが中央の派閥次元で候補者選考を進めたから皆が反発して、予備選を実施しようということになった」。

このような反発にさらに拍車をかけたのが地域事情だった。宮城4区は塩釜市、古川市、多賀城市など17市町村からなる。位置的には仙台よりもやや北側である。この選挙区は塩釜市、多賀城市などの沿岸部と古川市、加美郡などの内陸部を抱えている。沿岸部には日本有数の漁港があり、内陸部は穀倉地帯である。伊藤家は内陸部の加美郡中新田町というところの出身である。そこで沿岸部からは今度は自分たちの地域から候補を出すべきだという声が出てきたという面もある。

◆予備選実施が決定
9月12日、宮城4区の支部長幹事長会議が開かれた。この地域から選出されている県議や17市町村の自民党支部の支部長ら約50名が集まった。ここで予備選の実施が正式に決まった。まず自民党から立候補したいという人を公募し、もし複数の人が応募してきたならばこの地域の党員・党友7500名で予備選を行ない候補者を決定するというものである。もちろんすでに出馬の意向を示している伊藤信太郎氏にも公募に応じてもらい、この手続きに参加してもらうことになった。ただこの時点では本当に複数の人が手を上げ、予備選が実施されることになるかは疑問視されていた。土井幹事長は「この時点では7~8割方、立候補者は伊藤信太郎さんだけということになるだろうと思っていた」と振り返る。またこの日の段階では予備選の具体的な細目までは決まっていなかった。

こうして衆議院候補を決めるにあたってその地域の全党員が参加するという予備選が実施されることになった。こうした試みはおそらく全国初めてのことだろう。過去の候補者選びでも地方支部の役員会で決を採るということはあった。しかし全党員を参加させる本格的な予備選の前例はないだろう。そしてこの予備選が実施されることになった最大の原因が中央からのトップダウン的な手法に対する支部の反発だったことは記憶されて良い事実である。

自民党の候補者公募の期限は9月18日に定められた。伊藤氏は真っ先に13日に応募した。県連によれば他にも数名から問い合わせや応募の構えはあったというが、いずれも地元と関係ない人々で伊藤氏が選ばれることは間違いないかと思われた。だが締切日の18日になって新たな大物が立候補の届け出をしてきた。前参議院議員の亀谷博昭氏である。亀谷氏は県議を5期務めた後、平成7年から参議院議員を1期つとめた。今年7月の参議院選挙でも再選を目指したが、落選した。参議院の宮城選挙区は定数2で、自民党は公認候補として現職の亀谷氏、推薦候補として新人の愛知治郎氏を擁立した。結果は1位が民主党の岡崎トミ子氏、2位が愛知治郎氏で、亀谷氏は次点に泣くことになった。小泉ブームで自民党が大勝したこの選挙で、再選を目指した自民党公認が敗れたのは全国でも亀谷氏と静岡県の鈴木正孝氏の二人だけだった(他に公認漏れの自民党現職が新潟県と宮崎県で落選している)。

亀谷氏は県議時代は仙台市から選出されており、直接4区が地元というわけではない。しかし幼少期に多賀城市に住むなどこの地域との関係も深い。この亀谷氏の参戦により予備選としては盛り上がりをみせることになった。それまでは予備選という形式を整えただけで、伊藤氏が事実上無競争で選ばれる出来レースのように見る向きもあったが、ようやく選挙らしい形になってきた。もちろん「弔い合戦」になる伊藤氏の優位は揺るがないとの予想が強かったが、がぜん注目を集める選挙になったのである。

◆予備選の具体的方法
9月19日、再び4区内の支部長会議が開かれた。ここでは候補者の資格審査が行われた。公募である以上、誰が応募してくるか分からない。特に今回は、自薦してきた者であれば誰でも良いということだったので、どう考えても相応しくない人物やまったくの冷やかしなどでの応募もありえる。一定の審査や歯止めは必要だろう。ただし資格審査が恣意的に運用されてしまえば事実上、門戸を閉ざすことになりかねない。予備選を考える上で今後の課題である。今回は応募してきたのが伊藤宗一郎氏の長男と前参議院議員ということで資格にはまったく問題なしということで、これはすんなりとすんだ。

それと同時に予備選の具体的な方法を定めた要項も決められた。17の市町村支部にそれぞれ持ち点1を与え、それぞれの支部ごとに党員投票を行なうこととした。党員投票で勝った候補がその持ち点1を獲得し、合計で過半数(9点)を取った者が公認の資格を得る。持ち点方式を採用したのはアメリカの大統領選挙にやや似ているといえなくもない。投票は各市町村支部ごとに党員・党友集会を開催し、その場で投票することにした。

郵送投票という方式も検討されたが、あくまでも党員意識を持ち責任感を持った人に参加してもらうということで集会に足を運んで投票する形になった。この方法だと職域党員が足を運ばない可能性が高くなる。他の多くの地域と同じように宮城4区でも職域党員の数が圧倒的に多い。予備選の有権者は地域党員1050名、職域党員6405名、自由国民会議が115名、国民政治協会が8名の合計7578名である。 ざっと8割以上が職域党員である。郵送投票だとこの職域支部の組織票で結果が左右されるかもしれないという懸念もあったものと思われる。職域支部が投票用紙を集めて組織的な投票をすることさえありえなくもないという心配の声も聞いた。地域の支部長らには地道に活動している自分たちの声をきちんと反映してもらいたいと思いがあるのは当然だろう。かといって職域支部党員も立派な党員である以上、予備選から締め出すことはできるはずもない。そういう中でのぎりぎりの選択が地区ごとの党員集会に参加しての投票という方式だったのである。

党員集会では投票によって意思決定をするのが原則だが、支部内で話し合い決着で合意すればそれも認めることにした。仮に投票をしても数票単位になるような小さな支部では協議して決める方が現実的なこともあるという判断である。

また各地で党員集会を開くのに先立って、両候補の政見・人物像を知ってもらうために「政策フォーラム」という名の演説会を開くことも決めた。こうして政策フォーラム、党員集会の案内状を印刷・発送する作業が始まった。一方、両候補に対しては9月21日に「今般の補欠選挙の党公認候補選考は、公平性、透明性を確保したオープンで厳正に行われるべきものであり、選挙運動に当たっては常識の範囲内で行うこととする」との通達が出された。予備選は公職選挙法の対象外なのでどういう範囲の選挙運動を認めるかも今後の検討課題であろう。

◆政策フォーラム
予備選の大きな山場となる政策フォーラムは9月30日に二か所で開催された。この政策フォーラムには私自身も行って、この目で見たのでその内容についてやや詳しく述べてみたい。政策フォーラムは立候補予定者による演説会のようなものである。有権者たる党員が聴衆として両候補の識見を聞き比べ、投票の判断材料にしてもらう狙いがある。 先に述べたように宮城4区は沿岸部と内陸部に分かれている。そのため午前中に沿岸部で開き、午後には内陸部で開催された。

午前中の政策フォーラムは10時30分から松島町の松島センチュリーホテルで開かれた。日本三景の松島が目の前に見える場所である。参加した党員はおよそ70名くらいだろう。フォーラムはまず伊藤宗一郎氏への黙祷から始まった。そして土井亨県連幹事長が挨拶、続いて大沼謙一県議(宮城4区支部長代理)が挨拶、さらに伊藤康志県議(宮城4区支部幹事長)の経過報告と続いた。そして伊藤・亀谷両氏の政策・政治信条発表へと移った。どちらが先に発表するかはその場でクジで決めた。このあたりは公平を期すということでかなりきちんとやっていた。まずクジ引きの順番を決めるクジを引いた。ちなみにこれは立候補届出順ということで伊藤・亀谷の順に引いた。その結果、クジを引く順番は亀谷・伊藤になり、クジ引きの結果、発表順は伊藤・亀谷と決定した。 こうして伊藤氏が20分、亀谷氏が20分で自らの所信を披瀝した。それぞれ終了2分前になるとベルが時間を知らせた。伊藤氏は父への応援の感謝やその恩に報いたいと訴え、亀谷氏は参議院議員としての実績や即戦力であることを訴えた。参加した党員側からの質問の場はなかった。

この政策フォーラムはいわば立会演説会のようなものともいえる。ただ以前の立会演説会では野次が飛び交ったり、支持する候補の演説が終わると帰ってしまったりということが横行したとされるのに対し、そういうことはまったくなかった。予備選というのはあくまでも同じ党の中での競争である以上、紳士的に行なうことが求められるが、この政策フォーラムはその点は十分満たされたと思う。会場の参加者の何人かに話を聞いてみても「つい先日まで参議院議員だった亀谷さんはともかく伊藤さんの話は初めて聞いた」という人が多かったのでそれだけでも意味があったのではないだろうか。ちなみにそれぞれの陣営から参加者にパンフレット類や資料が配られるということもなかった。マスコミには公開されており、テレビカメラも数台入っていた。

同日午後1時30分からは今度は古川市の芙蓉閣で政策フォーラムが行なわれた。こちらは内陸部の古川市・加美郡・志田郡の党員の参加を予定していた。人数的には午前よりもやや多く100名は超えていた。内容は午前とほぼまったく同じである。

◆投票・開票
午後の政策フォーラム終了後、開催地の古川市ではすぐに党員集会が行われた。政策フォーラム参加者のうち古川市の党員が残り、ここで投票したわけである。ただ古川市の党員・党友1280人のうち投票したのは88人にとどまった。この日は他にも宮崎町、松山町、三本木町の党員集会も開催された。他の市町村の党員集会の開催状況は次の通りである。
10月1日(月) 鹿島台町
10月2日(火) 中新田町、小野田町、色麻町
10月3日(水) 塩釜市、多賀城市、松島町、七ヶ浜町
10月4日(木) 利府町、大和町、大郷町、富谷町、大衡村

これらの投票の結果は10月6日に一斉に開票された。最初は投票がすんだ地区ごとに開票して予定だったが、そうすると早々と大勢が決まってしまい、投票日が遅い地域の人たちの投票意欲をそぐ可能性が指摘されたことがある。また両候補の取りつ取られつの熾烈な争いになった場合にも終盤の選挙戦が変に加熱する恐れもあった。そのため投票がすむと投票箱は県連が保管し、箱の鍵は各支部長が持つという形で、開票は6日に一括実施となった。

開票結果は伊藤信太郎氏の圧勝だった。17市町村のうち15を伊藤氏が制した。亀谷氏が勝ったのは大郷町だけであり、塩釜市は両者が38票の同数だった。各市町村支部には持ち点1が割り当てられていたので、開票結果は、
伊藤信太郎 15.5票
亀谷博昭   1.5票
となった。投票を行ったのが13支部で、中新田・小野田・松島・宮崎の4町が話し合い決着だった。それぞれの市町村でどちらの候補が何票取ったかは発表されていない。ただ開票には両陣営の立会人もおり、マスコミにも公開されているのであえて隠しているわけでもないという。以下に17支部の結果と選考方法をまとめてみた。

市町村/勝者/選考方法
塩釜市/支持同数/投票(9.5%)
古川市/伊藤/投票(6.8%)
多賀城市/伊藤/投票(13.2%)
松島町/伊藤/話し合い
七ケ浜町/伊藤/投票(19.1%)
利府町/伊藤/投票(10.1%)
大和町/伊藤/投票(13.0%)
大郷町/亀谷/投票(7.5%)
富谷町/伊藤/投票(11.2%)
大衡村/伊藤/投票(38.5%)
中新田町/伊藤/話し合い
小野田町/伊藤/話し合い
宮崎町/伊藤/話し合い
色麻町/伊藤/投票(9.7%)
松山町/伊藤/投票(14.1%)
三本木町/伊藤/投票(12.0%)
鹿島台町/伊藤/投票(21.8%)
(括弧内の数字は投票率・読売新聞社調べ)

◆本選挙へ
これを受けて宮城県連は伊藤信太郎氏の公認申請を党本部に出し、自民党本部は伊藤氏の公認を10月9日に決定した。本選挙は16日に告示され、伊藤氏は公明党、保守党の推薦も取り付け選挙戦を戦っていく。他党についても簡単に触れておこう。民主党も候補者選考では迷走した。公募を掲げておきながら、それに応募した人物の間から候補者を選ばなかったのである。結局、税理士の山条隆史氏を公認した。同氏は昨年の衆議院選には神奈川16区から出馬して大敗している。過去に仙台の監査法人に勤めたことがある程度で、地元との関係は希薄である。共産党からは7月の参議院選にも挑戦した小野敏郎氏が立候補することになった。しかし一番注目を集めたのは無所属で立候補した本間俊太郎氏かもしれない。本間氏は昭和49年から宮城4区内に位置する中新田町長を4期つとめ、平成元年には社会党などの推薦を受けて宮城県知事に当選した。しかし知事二期目の平成5年にゼネコン汚職で逮捕され懲役2年6月の実刑判決を受けた。すでに服役を終えたとはいえ、立候補してきたことは大きな驚きをもって迎えられた。

本選挙はこの4人の間で10月28日に行なわれ、伊藤氏が当選した。 投票率は42.59%だった。
当 伊藤信太郎  63745自民
本間俊太郎 48871無所属
山条隆史 11683民主
小野敏郎 9281共産

◆課題ー宮城の実例に即してー
総じていえば宮城4区での予備選は成功だと思う。民主党の候補者選びが混迷しただけになおさら光るものがあったといえる。さらに予備選を勝ち抜いた伊藤候補が本選挙でも他党候補を破ったのだから最終結果も良かった。予備選を行なうこと自体が、ある種の選挙運動になっていたともいえる。予備選の届け出受付、政策フォーラム、党員集会などが行なわれるたびに地元紙面には記事が載り、開かれた自民党というイメージをつくることになった。

今後、予備選はさらに全国的に広がっていくだろう。私も今回の宮城の実験に関心を持ち現地に視察に伺ったが、他からも宮城県連に問い合わせが多数あったという。予備選に関心を持つ自民党の各県連からだったという。予備選導入という大きな流れはもはや避けられないのである。

もちろん予備選もよいことずくめではない。実際に導入するとしたならば課題も多い。そのすべてにここで完全な解答を与えられるものではない。しかし宮城県の例を詳細にみることによって解決へのヒントはみつかるかもしれない。ここでは予備選の抱える課題と宮城県での取り組みについて報告してみたい。

◆課題1ー敗者とのしこり
予備選を実施する上で最大の問題は、負けた陣営との間にしこりが残るということである。本来、政党にとって最大の敵は他党のはずである。自民党にとって本当の目的は本選挙で民主党や共産党などを打ち破ることである。しかし予備選という党内での戦いを先にやることで、敵との戦いを前にして党の亀裂を生む。そうなれば敵との戦いに集中できなくなるという疑念は誰もが抱くだろう。極端なことをいえば、負けた側が無所属であっても本選挙に立候補することもありえる。他党に漁夫の利を得られる可能性が高くなるということである。当然、この問題には十分な配慮が必要である。

ちなみに宮城県連では伊藤、亀谷両氏に9月19日付で「(予備選の)選考結果に従い、候補者決定後は自由民主党公認候補の当選に向け挙党体制で臨むことを誓約します」という誓約書に署名させている。これに対してはもちろん、紙切れなど信用できないという懸念もあろう。今回の選挙では敗者の無所属出馬という最悪の事態は起こらなかった。4区内の志田郡選出の大沼謙一県議は「しこりは一切ない」と断言する。関係者の中には「負けた方の協力などは望むのが無理。妨害してこなければ御の字」という人もいる。幸いにしてこの選挙では伊藤氏が本選でも勝利したために「しこり」の問題は表面化してこなかった。ともあれ今後、慎重に検討すべき課題である。

◆課題2ー投票方法
宮城4区では各支部に持ち点を与える方式を選択した。今回、支部ごとの投票にした狙いについて関係者はいう。「従来、地域支部と職域支部は接点があまりなかった。この予備選を通じてこの二つの支部を融合していきたかった」。また持ち点方式を採るにしても人口や党員数に関わりなくすべての支部が持ち点1ずつというのが良いかどうかも議論の分かれるところだろう。党員・党友が98名の大衡村も、1280名を数える古川市も同じ持ち点で果たして平等といえるかは検討の余地があろう。

さらに宮城4区では党員集会での投票という方式を選択した。しかしこのために投票率が低めだったこともまた事実である。逆に郵送投票を認めれば投票率は上がるだろうが、組織票や疑惑票の恐れもある。このあたりの問題は選挙の帰趨に大きく関わってくる。今回も「郵送投票だったら結果が変わっていたかもしれない」という県連幹部もいる。それだけにこの問題はきっちりと議論をしておく必要がある。宮城の例では伊藤・亀谷の両氏が立候補を届けた後に投票方法の細部が煮詰まった。補欠選挙で時間がなかったためやむを得ないとも思うが、今後各地で予備選を実施する場合には十分な配慮が必要だろう。

◆課題3ー有権者の資格
有権者の資格をどうするかもまた予備選の結果を左右しかねない重大な問題である。宮城4区では、平成13年8月末日に党員・党友になっている者を有権者とした。伊藤宗一郎氏が亡くなった後に駆け込み党員になった者は認めないということである。総裁選のように2年連続党員という資格は設けていない。もちろん地域党員・職域党員を問わず有権者である。

予備選直前に党員になった人も有権者として認めれば、党員獲得合戦になり党費たてかえなどを招く恐れがある。しかし党員増にはプラスに働くともいえ、そのバランスが求められるだろう。

◆課題4ー立候補者の資格
今回の予備選では立候補者の受付については二つことが定められていた。一つは「必ず本人が意思表示をすること」である。つまり自薦のみ認め、他薦は認めないということである。立候補というのは本人のやる気が基本なのだから当然と思える。もう一つは「わが党の理念・政策に共感・共鳴する人、党改革に情熱のある方であれば、基本的にどなたでも資格は問いません」とある。前述した通り一応、資格審査という手続きもあったが、立候補要件はかなり緩やかといえる。例えばこれを「立候補者は党員に限る」とか「宮城4区内在住者に限る」などとした場合には、応募できる人は格段に減ってしまう。開かれた予備選という理想とまったくの泡沫候補の排除との間で知恵が求められる問題である。

◆課題5ー予備選実施の時期
伊藤宗一郎氏の急逝から補欠選挙までわずか二か月足らずしかなかった今回は、予備選は本選挙直前に行わざるをえなかった。 だが今後、全国的に実施するならばその時期が問題になる。アメリカの議会のように解散がなければ話は簡単である。米上院の任期は6年(下院は2年)である。この場合は選挙の時期が最初から分かっているので本選挙のだいたい半年ほど前に予備選を実施している。しかし衆議院の場合は解散・総選挙がいつあるか分からない。解散してからでは遅すぎる。かといってあまり早く行うことにも疑問がある。この問題も要検討の課題である。

◆課題6ー選挙運動
予備選の選挙運動は公職選挙法の対象外である。そのため候補者指名争いが加熱すると、ともすれば選挙運動も過敏なものになりかねない。今回は県連・4区支部合同の“衆議院四区補選公認候補選考委員会(委員長・土井亨県連幹事長)”から「常識の範囲内で行う」との通達が両陣営に出された。関係者も「常識の範囲内」が守られたと振り返るが、この点も今後整理すべき課題といえよう。

◆課題7ー地域有力者の支配
党員が公認候補を選ぶといってもその党員の構成が偏っていることは往々にしてある。地域支部でも特定の個人に連なる人間だけが党員になっていることは珍しくない。こういうところで本当に有為な人材が選出されるかは疑問がある。現職は普通、党員たちとは密接な関係を築き上げているのでまず党員投票で負けはしないだろう。空白区であってもその地域の有力者の眼鏡に適った人物しか予備選で勝ち上がれないことは十分にありえる。そういう候補者では予備選には勝ったが、本選挙で負けるということもあるだろう。

つまり予備選を行なったからといって最良の候補者が選ばれるとは限らない。私はそれはそれで仕方がないと思う。それはその地域の党員の自己責任である。予備選が定着していく中でより良い人間を選び出すようになっていくのではないかと期待している。今のやり方のままでも最良の候補が選ばれるとは限らない以上、予備選に賭ける価値はあると思う。

◆今後に向けて
予備選にもまだまだ残された課題は多い。ここでどういうやり方が最善だとは言いがたい。これから大いに議論すべきなのである。当面は試行錯誤があるかもしれない。地域事情に応じて独自の予備選の形態があってもよいと思う。ただそれでも党本部で一定の基準づくりはする必要性があると思う。各地でバラバラに実施すると、予備選とは名ばかりで実態はとてもそれに値しないルールで実施する地区も出てくるかもしれない。そのためにも党本部のイニシアティブが必要なのである。

さらに現状では地方で予備選を実施しその結果を党本部に上げても、本部がひっくり返すことが可能である。宮城4区の場合は、たまたま予備選の結果通り、中央も伊藤氏を公認したので問題なかったが、今後地方と中央でねじれを起こすこともありえる。そういうことを起こさないためにも予備選に対して党本部が御墨付きを与えることが大切である。

ここまで主に衆議院の小選挙区を念頭において考察を加えてきた。だが議論が進めば別のアイディアもあるかもしれない。青年局のある党員は私に衆議院比例区に導入できないかと言ってきた。「比例区にも純粋比例の人がいる。コスタリカの場合は仕方ないにしても、中にはどうして比例の上位にいるのかよく分からない人もいる。それならばブロックごとに党員投票をして、比例の中に党員代表みたいな人間を入れられないか」というわけである。なるほど一理ある考えといえる。今後、議論が深まればさらにいろいろな意見が出てくるだろう。その中でより良い制度を目指せると期待している。

ただ予備選を導入するだけでなく、他の方法との複合によって効果が倍増することもありえる。例えば前に少し触れた候補者のプール制と予備選は互いに補完しあう制度だと思う。公募によって優れた人材を集めプールしておいても、彼らに立候補の機会を与えなくては意味がない。またいくら予備選を導入しても新しい顔ぶれが参入してこなくては制度が空洞化してしまう。こうしたこともさらに検討していくべきだろう。

多くの課題を残しながらも時代の大きな流れは予備選導入に向かっていると思う。アメリカでも最初から予備選が行なわれていたわけではない。政治改革の気風の中、1903年にウィスコンシン州が初めて導入した。あとは燎原の火のように広がり、現在では全米で完全に制度化されている。日本でもそうなっていくだろう。またそうなるべきだとも思う。

むろんのこと現職政治家からは強い抵抗が予想される。彼らの既得権に手をつけるからである。現在のところ新人が自民党公認になるには大きな「参入障壁」がある。予備選はこれを打破する。いわば「政界の規制緩和」である。抵抗があって当然である。それだけに現実には抵抗の少ない空白区から導入が始まることになるかもしれない。そのへんは柔軟さが求められるだろう。今後も紆余曲折はあるだろう。それでもなお予備選の推進が求められている。 自民党にとっても国民にとっても必要なことだからである。

テロリストへの反撃は当然

2001.10.21

「テロリストへの反撃は当然」
同時多発テロ発生。報復反対論の迷妄を撃ち、日本外交のあるべき姿を指し示す力作

◆テロへの反撃は自衛権の発動
世界を震撼させたニューヨークなどでの同時多発テロから一か月余りがすぎた。 アメリカはテロの首謀者と目されるビンラーディンをかくまうアフガニスタンのタリバン政権への攻撃を開始した。10月7日から空爆を開始し、いよいよ地上部隊も投入された。小泉首相は「アメリカの行動を強く支持する」と表明している。私もまったく同感である。自国の中枢部をいきなり攻撃され、五千人を超える人命を奪われて、黙っていろというのが無理なことである。アメリカも独立国家である以上、自衛権を保有している。今回のような事態にこの自衛権を行使するのは至極当然のことである。

私はかつてコソボ紛争の時に、米軍によるユーゴ空爆を批判した(このホームページの「水野賢一の主張」99年4月20日号参照) 。しかし今回はまったく状況が異なる。 当時のユーゴスラビアのミロシェビッチ政権は確かに国内で非道な人権侵害を繰り返していたが、なにもアメリカを攻撃したわけではなかった。それに対し軍事的な制裁を加えるのはいかに人権擁護の理由があろうと行き過ぎではないかと考えたのである。 ところが今回はアメリカの中枢部が攻撃され、多くの人々が殺されたのである。ましてテログループはテロ続行宣言を出している。それに対し反撃を加えるのはまさに自衛権の発動である。

アフガン空爆直後のワシントンポスト・ABCテレビの調査によると爆撃を支持する米国民は94%にも上っている。ユーゴ空爆時の支持が55%だったのに比べても格段に高い。これは卑劣なテロへの怒りとともに自国防衛という意識のなせるわざであろう。

国際法上も自衛権の発動は国連憲章第51条で認められている。今回のテロ発生直後に採択された国連安保理決議1368でもアメリカに自衛権があることが確認されている。本来、どの国であっても国連に確認されるまでもなく自衛権は保持しているのだから、今回あらためて確認されたということは、アメリカが自衛権を発動することを国連が認めたと理解すべきである。いわばアメリカの空爆開始は国際法上も当然のことなのである。

◆説得力のない報復攻撃反対論
だが世の中にはその当然のことを理解しない人がいる。戦争反対というもっともらしいスローガンのもとに反撃に反対する人たちである。日本国内では社民党や共産党、さらには民主党の一部にこうした声がある。彼らは「報復はさらなる報復合戦を招く」「これ以上の犠牲者を出すな」と言う。その部分だけ聞くといかにも筋が通っているかのように聞こえる。しかしこの人たちの一番の泣き所は“ではどうすればよいのか”という一番肝腎な疑問にまともに答えていない点である。肝腎なのは今回のテロに関与した一派をいかに捕まえ、どうやって裁きの場へと引きずり出すかということである。ところがこの一番重要な部分になんら説明がないのである。

よく「テロの温床となる貧困を解決する必要がある」という人がいる。それは決して間違った主張ではない。だがこのことばかり言ってもそれは争点そらしにすぎない。まず一番最初にやるべきことは今回、五千人もの命を奪った犯人一味を徹底的に摘発し、撲滅することなのである。報復攻撃反対という人たちはまず、今回の犯人をいかに撲滅するかの手法を提示すべきである。この部分で明確で実効性のある提言ができない以上、いくら報復反対と叫ぼうが説得力はない。まして被害を受けた当事者たるアメリカが納得するわけもない。

「報復をするな」ということは言い換えれば「泣き寝入りをしろ」ということである。殺された側に泣き寝入りをしろと説く以上、それ相応の責任と負担を覚悟した上で言うのが常識である。例えば「アメリカに代わって日本がテロリストを摘発するから軍事力には訴えないでくれ」とか「武力を使わなくても資金源を断つことでテロリストを封じ込めよう」などという代替案があるならばまだ分かる。 しかしいわゆる反戦平和主義者たちはただ単に「報復攻撃反対」と叫んでいるだけである。これでは何の説得力も持たないし、アメリカ側には一顧だにされないのがおちだろう。

◆「報復反対」の欺瞞
また奇妙なことに、こういう人たちはアメリカに対してだけ「報復反対」との声を上げている。攻撃を招いているのはビンラーディンを引き渡さないタリバンの姿勢である。 そうである以上、アメリカに物申す時よりもさらに倍する情熱を込めてタリバンに対し「ビンラーディン引き渡し」を求めるべきだろう。現に国連も今回のテロ事件が発生する以前からビンラーディン引き渡しをタリバンに対し要求している。こうした国際世論にタリバンが応じないことに今日の大きな問題がある。「報復反対」を唱える人たちがタリバンに対しては急に沈黙してしまうというのはどういうことだろうか。こういう欺瞞に満ちた姿勢が彼らの説得力をさらに弱めている。

さらに世の中には変わった人もいるもので「憲法9条をアメリカに輸出しろ」という声まで聞こえてくる。どういう思想信条を持とうと結構だが、現実にテロの犠牲者が出ている以上、憲法の輸出を考えるよりも犯人一味を撲滅することを考える方が先だろう。そしてどうしても憲法を輸出したいのならばまずタリバンにでも輸出して彼らに平和愛好勢力になってもらったらよいのではないか(まず無理だが)。

◆軍事力では解決にならないか
「軍事力では解決にならない」という人もいる。確かに「軍事力だけ」では問題が100%解決するとはいえない。テロ根絶のためには他の努力も必要である。例えば彼らの資金源を断ち切ることも大切である。また外交努力や情報収集、さらにはテロリストに悪用されそうな化学物質や放射性物質の厳格な管理も求められる。もちろん貧困解消や中東などでの地域紛争の解消などテロの温床をなくすことも必要だろう。いわば総力戦である。ただそれらは軍事力の使用となんら矛盾はしない。テロリストの軍事基地や訓練施設を攻撃することと情報収集や貧困の解消を同時並行的に進めればよいだけのことである。軍事力の行使だけを排除しなければならない理由はどこにもない。

「軍事力の行使は報復テロを招く」という声もある。その可能性は否定しきれない。しかし何もしなければテロは起きないのだろうか。現にまったく唐突に五千人以上の無辜の人々が殺されているのだ。これが繰り返されないという保証がどこにあるのだろうか。 「行動に危険も予想されるが、何もしないことによる危険の方がはるかに大きい」というブレア英首相の言葉にこそ説得力がある。

◆「テロリストにも言い分」論の危険
さてテロの背景の説明としてアメリカの中東政策をあげる人もいる。テロは悪いがその原因を生み出したのはアメリカだという論法である。これも喧嘩両成敗のようで俗耳に入りやすい理屈である。しかしあたかもアメリカ人はテロの犠牲になってもかまわないかのようなこの理屈は到底容認できない。このさいアメリカの政策が正しかったか間違っていたかは問題ではない。いかなるテロであろうと許されないのである。テロにも三分の理があるかのような言い草は新たなテロを誘発するだけで百害あって一利もない。残念ながらいわゆる進歩派の口からはこうしたタリバンのスポークスマンのような科白が出てくるのが現状なのである。仮にテロリストにも言い分があるとしよう。しかしそれを言えばオウム真理教だろうと極右テロだろうと言い分はあるだろう。言い分があるということは道理があるということにはならないのである。

実際のところ中東世界はさまざまな矛盾を抱えている。アメリカの政策もすべてが正しかったとはいえないかもしれない。が、それと同時にアラブ・イスラム圏自身も多くの問題を抱えている。現にアフガニスタンの混迷の一因はイラン、パキスタンなどイスラム教の隣国の介入にも帰せられる。その中でイスラム原理主義者たちは社会の諸矛盾をすべてアメリカの責任にしているというのが真相だろう。そしてこの単純な論理は一部の人たちには受け入れられやすい。善悪の構図が明快で、かつ他者に責任をすべて転嫁しているのだから自分たち自身の責任を問わなくてすむ。つまり楽なのである。アメリカにも原因があるという論の背後にはそういう面があることも見落としてはならない。

◆日本は何をなすべきか
ここまではアメリカがタリバンを攻撃するのは自衛権に基づくもので正当な行為だということを述べてきた。それ以上に主眼だったのは「報復反対」なるスローガンを掲げる人々の論拠の薄弱さを指摘することだった。さてここからは日本自身が対テロ戦争にどう関わるべきかを考えてみたい

アメリカの行動を支持すべきなのは言うまでもない。重要なのは支持を口にするだけでなく、実際に支援を行なうことである。その点、政府が今国会にテロ対策特別措置法を提出し、米軍などの後方支援や難民救済を実施する方向で動いていることは高く評価できる。
こうした支援が必要な理由を二つあげてみたい。一つは日本は国際社会の一員だということである。現在、国際社会はテロ撲滅のために連帯している。その中で日本だけが我関せずということは許されない。これに関しては小泉首相が10月2日の衆議院本会議でまさに当を得た発言をしているので、少し長くなるがそれを引用する。「戦前、何で戦争を起こしたのか。それは、国際社会から孤立したからなんです。戦争をしない、繁栄のうちに平和を確保するという日本の戦後の国是は、二度と国際社会から孤立しない、国際協調こそが日本の平和と繁栄の基礎であるという観点から、戦後、日本政府はやってきたんですよ。今、世界がテロと対決しようとするときに、日本だけは、あれはしませんこれはしません、そんなことで世界から日本が名誉ある地位を占めることができるんですか。(中略)やるべきことをやらないで国際社会から孤立したら日本の平和と繁栄はあり得ないということを銘記していただきたい」。まったく同感である。この認識こそが日本の進むべき道である。

支援が必要な第二の理由はやはり日米関係の維持のためである。日米は同盟国である。同盟国である以上、相手国の危難に際して手をさしのべるのは当然のことである。 まさかの時の友こそ真の友という。こういう時に支援に躊躇すれば同盟の基礎である信頼関係が維持できるはずがない。こういうことを言うとよく「米国追従」などという陳腐な批判がある。だが日米関係に配慮することは当然であり、なんら恥じ入ることはない。 おかしいのはこうした批判が中国や韓国には平気で追従する人々によってしばしばなされることである。

◆テロ根絶支援は日本のため
もちろん国際社会との協調姿勢を貫くことも日米関係を強固にすることも日本自身のためでもある。日本にもテロの可能性はある。イスラム過激派による場合もあるかもしれないし、まったく別の勢力によるテロかもしれない。なにしろ日本はカルト教団が地下鉄で化学兵器を撒くという世界史上前例のない事件がおきた国である。日本だけが安全ということはありえない。まさにテロは人ごとではないのだ。もし日本に国際テロの脅威が及んだ時には、国際的な協力のもとでわが国を守らなければならない。外交は相互主義が原則である。日本が被害を受けたら守ってもらうが人の危難は知らないというのは通用しないのである。

◆支援してこそ対米説得力も
私はなにも日本がアメリカと常にまったく同じことをすべきだと言っているわけではない。米側とてそれを望んではいないだろう。99年のユーゴ空爆のような時は支援する必要はないと思う。また今回のテロ根絶のための作戦でもアメリカが武力行使をするのに対し、日本は直接の武力行使はしない。違いはあってもよいと思う。日本が何をすべきかはその都度、主体的に判断すればよいのである。ただ今回の場合は、支援するという大筋は絶対に外してはならない。その理由は以上述べてきた通りだが、さらに付け加えれば、支援することが今後、アメリカに対して言うべきことを言う時にも役に立つということも忘れてはならない。

例えば今後、アメリカに対し軍事力行使の抑制を求めるべき時もあるかもしれない。もしくはアフガンの復興について日本が主導的な役割を果たすかもしれない。そういう時のためにも今、アメリカに協力することは必要なのである。日本がアメリカに物申すにしても信頼関係が築かれていてこそ効果がある。個人の場合でも何もしないでただ文句だけ言っている人間のいうことには誰も耳を傾けない。国家の場合も同じことである。

また私は、これからの日本は環境問題をはじめ地球規模の様々な問題を解決するために役割を果たすべきだと信じている。その時にはアメリカにも同調してもらわなければ困る。これまでは地球温暖化問題などでアメリカの消極的姿勢が目につく。この姿勢を転換させるべく日本としても働きかける必要がある。その時に説得力を増すためにも、いま日米の信頼関係を高めなければならない。有り体に言えば、今回のテロ対応では貸しをつくるくらいのことを考えてもよい。これはあまり指摘されていないが重要な視点だと思っている

◆毅然たる態度を
テロとの戦いは今後長く続くだろう。相手は見えない敵である。決して楽な戦いではない。ビンラーディンらを倒したとしてもまったく別の種類のテロリストが生まれる可能性もある。愉快犯による模倣も十分考えられる。我々が暮らす社会は、少人数でも多大な被害を引き起こせる時代になってしまったのである。好むと好まざるとにかかわらず科学技術の発達がそういう時代を生み出した。それを思うと暗澹たる気持ちになる。それでもなおかつ私たちはテロとは断固戦わなければならない。平和で安心できる社会を作るべく努力を続けなければならない。そうした毅然たる態度こそが平和な社会を守る最後の砦だからである。

特集 北総・公団線

2001.08.17

「特集 北総・公団線」
~運賃、成田への延伸、ダイヤ改正~

選挙公約から1年。これさえ読めば北総・公団線のすべてがわかる決定版巨編。
千葉ニュータウンと都心を結ぶ北総・公団線は大きく次の三つの問題を抱えています。

①高すぎる運賃
②成田方面への延伸
③都心への速達性の向上

私は昨年6月の総選挙の時に、これらの問題を解決することを訴え、選挙公報にも次のように記しました。
「北総・公団線の運賃問題は、国会で取り上げ、その結果、運輸省が『長期間値上げはしない』と回答しました。今後も値下げに向けて努力します。また、同線の成田までの延伸やJR成田線複線化の早期実現に取り組みます」

cf.選挙直前の5~6月には北総・公団線に関して4回にわたってビラを出し、問題解決を訴えました。これらのビラの全文はこのホームページの「水野賢一の主張」コーナーに掲載しています。どうぞ御覧ください。

cf.衆議院選直前に「北総・公団鉄道運賃値下げを実現する会」という住民団体のアンケートにも運賃問題についての考えを述べました。
しかし北総線に関する問題の解決に力を尽くすことを約束したのは私だけではありません。堂本千葉県知事をはじめ沿線の市町村長、そして県会議員らも同様の公約をしています。当選した人はもちろん、落選した候補も似たような趣旨を訴えていたことを見ても、これらの課題の解決は党派を超えたテーマといっても過言ではありません。それだけ住民にとって切実な問題だからでしょう。

公約とは選挙の時にただ訴えるためだけのものではなく、果たすためのものです。私も微力ながら、公約の実現のために力を尽くしてきたつもりです。総選挙後、1年あまりがすぎた今、その結果や最新状況をこのホームページの場を使い、皆様にご報告したいと思います。もちろんすべての問題が解決したわけではありません。前進したものもあれば、いまだ道遠しの部分もあります。それらをすべて明らかにしたいと思います。未解決の問題はどこに問題があるかも提示して、解決に向けて皆様と一緒に知恵を絞りながら、今後とも力を尽くしていければと考えています。

それぞれの問題について、順番に記載していきたいと思います。
◎都心への速達性の向上(ダイヤ改正)
◎成田方面への延伸
◎高すぎる運賃
————————————————————————————–
◎速達性の向上について ~ダイヤ改正~
北総・公団線が抱える問題のうち最近大きな進展があったのは、都心への速達性の向上です。今年9月15日のダイヤ改正で北総・公団線に初めて「特急」が運転されることになりました。ここで同線のダイヤの変遷について簡単におさらいしてみましょう。

◆開業から急行運転へ
千葉ニュータウンに初めて鉄道が開通したのは昭和54年のことです。このときは小室~北初富までしか開業していませんでした。昭和59年には千葉ニュータウン中央駅が開業します。
さらに平成3年には京成高砂まで伸び、都心に直接に乗り入れられるようになりました。しかしこのときはまだ急行もなく、“千葉ニュータウン中央~日本橋”は57分もかかっていました。

その後の動きを箇条書きにしてみます。
・平成5年4月 朝のラッシュ時間帯に上り急行列車を2本新設。 これにより千葉ニュータウン中央~日本橋”は50分に
・平成6年4月 朝のラッシュ時間帯に上り急行列車を1本増設
・平成7年4月 上り急行を1本増設、下り急行3本増設。 ちなみにこの時、印西牧の原駅が開業
・平成10年11月 上り急行を1本増設。これで上り急行は5本に。

このように急行も少しずつ増発されるようになりました。しかし、さらなる改善が求められていました。特に千葉ニュータウン住民にとって不公平感が強かったのは、京成本線から都心へ向かう急行は青砥~押上の間の駅も通過するのに、北総線から来た急行はここを各駅停車することでした。

cf. 厳密には京成本線からの急行は、「京成高砂~青砥~立石~押上」と停車し、京成本線からの特急は「京成高砂~青砥~押上」と停車します。

◆特急運転の開始
こうした問題を解決すべく今年の9月15日のダイヤ改正で北総・公団線にも初めて「特急」が運転されることになりました。この特急は従来の急行が通過していた5駅(大町、松飛台、東松戸、秋山、北国分)に加え、新たに矢切、新柴又、立石、四ツ木、八広、曳舟の6駅を通過します。

北総開発鉄道(株)の資料によると、これによって都心までの所要時間は、4分25秒の短縮になるとのことです。
区間/現行/改正
千葉NT中央→日本橋/50分00秒/45分35秒
印旛日本医大→日本橋/57分10秒/52分45秒

これまで一日5本あった上りの急行がすべて特急化されます。つまり特急の本数は5本となり、急行はなくなるわけです。一方、下りは特急運転はしませんが、急行が現在の3本から6本に増発されます。

cf. 今回のダイヤ改正が可能になったのは京成押上線内の八広駅に追い越し施設が完成したためです。

◆特急運転への抵抗勢力
しかしダイヤ改正も簡単なことではありませんでした。通過される駅周辺の人々は強く反対するからです。とりわけ問題になったのが新柴又駅です。鉄道開業前の昭和62年に北総開発鉄道(株)、京成電鉄(株)、東京都葛飾区の三者で「全列車を新柴又駅に停車させる」という協定を結んでいたのです。協定を結ばなければ鉄道建設を認めないという地元の強い姿勢を前に、結ばざるをえなかったともいえます。そのため乗降客が少ない新柴又駅にもこれまですべての列車は停車していました。逆にいえば、都心に向かう千葉ニュータウン住民はそれだけ余計な所要時間を強いられていたともいえます。

今回、初めてこの協定に縛られないダイヤを組んだわけですが、これは今後に向けても大きな意味を持ちます。いずれ北総・公団線は東に延長され、成田空港にもつながります。そして都心と空港を高速で結ぶスカイライナータイプの特急も走行する予定です。もし未来永劫この協定に縛られることになれば、こうした列車さえ新柴又だけは停車しなければならないということになってしまいます。これは誰がどう考えてもおかしなことです。こんな妙なことにならないためにも、協定にとらわれないダイヤが組まれたことは歓迎すべきでしょう。

ちなみに平成3年の鉄道開業時には新柴又に停車する電車は上りが一日60本でした。その後、ダイヤ改正の度に便数が増え、それがすべて同駅には停車しているので76本にまで増えました。今回の改正で特急は通過することになりましたが、その分、各駅停車が増えるので同駅に停車する電車の数は76本のままです。まして下りは5本も増えることになりました。新柴又周辺の住民にとっても悪い話ばかりではないのです。

抵抗を乗り越えてダイヤ改正がなされた背景には、鉄道の利便性を向上してくれという千葉ニュータウン住民の強い要望があったことは間違いありません。鉄道会社としても「千葉ニュータウン住民の期待に応えなければ人口は増加しない。そうなれば鉄道利用者も増えないので会社にとってもマイナスだ」という判断が働いたものと思われます。同じ理屈は運賃問題にも当てはまるはずです。この問題も値下げに向けて粘り強く働きかけていきたいと考えています。

※北総・公団線の駅別乗降人員(一日平均)~平成12年度~
駅名/単位・人
印旛日本医大/1457
印西牧の原/8022
千葉NT中央/25596
小室/5198
白井/9787
西白井/12008
新鎌ヶ谷/18634
大町/1601
松飛台/3450
東松戸/10120
秋山/3981
北国分/6075
矢切/6385
新柴又/3610
京成高砂/54750

cf. 印旛日本医大駅は12年7月に開業

◆印旛日本医大駅の利便性向上
なお今回のダイヤ改正により昨年7月に開業した印旛日本医大駅の利便性も向上します。
まず、これまでは朝の上り急行5本のうち印旛日本医大発は2本にすぎませんでしたが、改正によってすべて印旛日本医大始発になります。

また遅い時間の電車は印西牧の原止まりになっていることに対する不満の声もありました。これは車両基地の位置関係上そうなっていたのですが、今回これも改正され、印旛日本医大着の下り最終列車の到着時刻が繰り下げられました。
現行24時14分
改正24時46分(32分繰り下げ)
————————————————————————————–
◎「成田への延伸」について
北総・公団線の抱えている諸問題のうちで、全国的に注目されているのは成田延伸の問題でしょう。
成田空港は年間に2500万人もの旅客が利用します。国際空港としては、もちろん日本最大、世界でも8番目の利用者数を誇っています。しかし成田空港の最大の弱点は都心から遠いことです。現在、成田と都心を結ぶ鉄道としてはJRの成田エクスプレス、京成のスカイライナーなどがあります。しかしいずれも都心から1時間近くかかってしまいます。世界の主要空港をみると大都市との距離は30分台までが常識です。そこで成田空港のアクセス改善が長年求められてきました。
※空港から都心までの鉄道所要時間
オヘア空港(シカゴ) 40分
ヒースロー空港 (ロンドン) 30分
ガトウィック空港 (ロンドン) 30分
ドゴール空港 (パリ) 29分
フミチノ空港 (ローマ) 20分
スキポール空港 (アムステルダム) 12分
関西国際空港  (大阪) 29分
成田空港     (東京) 53分

北総・公団線の終着駅である印旛日本医大駅からさらに東に20kmほど線路を延ばすと成田空港に行き着きます。ここに鉄道を敷設すれば成田空港と都心を結ぶ最短のルートになります。この構想が“成田新高速鉄道”です。  この鉄道の建設が注目されている最大の理由は都心と成田空港のアクセス改善が図れるからです。「遠くて不便」とされた成田空港を「近くて便利」にする期待を担っています。しかしもう一つ重要な側面があります。この鉄道によって千葉ニュータウンの利便性が向上する点です。現在の千葉ニュータウンは都心には鉄道一本で簡単に行けますが(運賃は高いが)、成田方面に行くのは大変です。成田にも簡単に行けるようになれば千葉ニュータウンはより魅力的な街になるはずです。この部分は全国的にはあまり気づかれていませんが、忘れてはならない視点です。

cf. この成田新高速鉄道については、このホームページ上の「水野賢一の主張」の欄の2000年6月8日、2001年2月4日の項でも触れていますので御覧ください。

さて、この成田新高速鉄道の構想について、Q&A方式で見てみましょう。

◆Q 成田新高速鉄道のこれまでの経緯は?
A 昭和41年7月、政府は新東京国際空港を千葉県成田市に建設することを閣議決定しました。しかしこの新空港が都心から66kmも離れた場所に位置するため「東京~新空港間に高速電車を運行する」ことも同時に閣議決定されたのです。
これに基づき成田~東京間の新幹線が計画され、昭和49年からは工事も始まりました。ちなみに現在、成田エクスプレスなどが乗り入れている空港内の地下駅はもともとは新幹線用に建設されたものです。しかし騒音被害を恐れる東京都江戸川区の住民などの反対でこの新幹線の工事は中断し、結局、頓挫してしまいます。
とはいえ成田へのアクセス改善が急務であることに変わりはありません。そこで運輸省の諮問機関は昭和57年に、新幹線に代わる鉄道としてA案、B案、C案の3つのルートを提示します。
A案:東京~新砂町~西船橋~新鎌ヶ谷~小室~印旛松虫~空港
B案:上野・東京~高砂~新鎌ヶ谷~小室~印旛松虫~空港
C案:東京~錦糸町~千葉~佐倉~成田~空港
注)印旛松虫とは現在の印旛日本医大のこと

そして昭和59年に運輸省はこの中でB案が最適だとの結論を出し、推進することを約束しました。これが「成田新高速鉄道」です。今でもこの構想が関係者の間で「B案ルート」と呼ばれるのはこうした経緯からです。

当初はこの鉄道は2000年(平成12年)には開業する予定でした。しかし実際には話が煮詰まらずに年月が過ぎてしまいます。むしろいったん消えたはずのC案ルートの方が、JR成田エクスプレス(昭和63年開業)という形で事実上、復活したくらいです。成田新高速鉄道の話が再び大きく進展しはじめるのは平成12年のことです。同年1月に運輸大臣の諮問機関である運輸政策審議会が今後15年間の首都圏の鉄道網の整備についての答申を出しました。ここでは新規に作る鉄道について、優先順位を三段階に分けました。
A1 …2015年までに開業することが適当な路線
A2 …2015年までに整備着手することが適当な路線
B …今後の整備について検討すべき路線

成田新高速鉄道はこのうち最上位のA1 、つまり2015年までの開業が目標とされたのです。 同年3月には千葉県が中心になって「成田新高速鉄道事業化推進検討委員会」が発足しました。ここでは県の担当者の他に、運輸省鉄道局、運輸省航空局、新東京国際空港公団、都市基盤整備公団、JR東日本、京成電鉄、北総開発鉄道などの担当者、さらには成田市長、白井町長、印旛村長が集まり、建設のための具体的な打ち合わせをしています。 さらに平成13年4月に千葉県知事に就任した堂本暁子氏もこの鉄道について極めて熱心な姿勢を見せています。また国会議員の間でも6月には「首都圏空港の高速鉄道アクセスを早期に実現する会」が結成され、小泉首相に申し入れをするなどの活動が行なわれました。

◆Q 時間はどれだけ短縮されるの?
A 成田新高速鉄道は、当面、成田空港と京成上野を結ぶ予定でいます。運輸省(現・国土交通省)は以前からこの成田新高速鉄道ができれば、空港と都心が30分台で結ばれると宣伝していました。現在のところ“日暮里~空港第二ビル”が36分になる予定です。

実際には、この計算法には奇異な感じもあります。そもそも「日暮里が都心か?」という疑問もあります。また電車は“京成上野~日暮里~空港第二ビル~成田空港”と走るのに、“京成上野~成田空港”でなく、日暮里を起点にしている点にも少しでも速くみせたいという作為が感じられます。

それでも現在のスカイライナーが“日暮里~空港第二ビル”を51分で走っているのに比べれば大幅な短縮になります。やはりアクセス改善のためには成田新高速鉄道が必要なのです。

◆Q いつごろ完成するの?
A 前述した通り、昨年1月の運輸政策審議会の答申では成田新高速鉄道は「2015年までに開業」という位置付けになっています。運輸省(現・国土交通省)もこれを尊重していますので、公式には現在でも2015年の開業が目標と言っています。

しかしその後、「もっと早く建設できないのか」という声が高まっていきます。昨年4月には私(水野賢一)の国会質問に対し中馬弘毅運輸政務次官は「2015年というまどろっこしいことではなく、早期に整備する必要があると思う」と答弁しました。そして現在では国土交通省も2010年には整備したいと言っています。同省は「2010年というのは約束ではなく、あくまでも順調に進めばその頃に完成するという目安だ」と予防線を張ってはいますが、いまや関係者の間では2010年が開業の目標になってきました。 今年7月からは成田市や印旛村でボーリング調査が開始されています。

ただ新線を建設する前には環境アセスを行なわなければなりません。また用地を提供してくれる地権者の同意も必要です。こうしたさまざまな不確定要素が残っているため、順調に進むかどうか不安が残るのもまた事実なのです。

◆Q 費用はどれくらいかかるの?
A 成田新高速鉄道の事業費は当初は1000億円はかからないとされていました。しかし事業が現実味を帯び、精査していくうちに工事費も膨れ上がってきました。これはこの種の工事の悪しき通弊といえるでしょう。今年の3月、千葉県が(財)運輸政策研究機構に委託した調査結果が発表されました。この調査は2つのルートを想定して事業費を試算していますが、一つが1292億円、もう一つが1280億円となっています。この数字には空港内のインフラ部が含まれていませんので、それを含むとそれぞれ1573億円、1561億円になります。

cf. 2つのルートといってもあくまでも印旛沼のどの部分を横切るかという小さな違いであり、前述のA案ルート、B案ルート、C案ルートのような根本的なルートの違いではない。あくまでもB案ルートの範疇内での違いである。

実際に高速鉄道を運行するためには単に新線を建設するだけでは不十分です。京成高砂~印旛日本医大のような既存の部分にも追い越し施設をつくるなどの改良が必要になります。先の1200億円超のうち303億円は既存部分の改修費用です。

これだけの大事業ですから当然、国や県の補助も必要になります。現行の補助制度では空港アクセス鉄道に対しては建設費の36%を国と県で補助することになっています(国が18%、県が18%)。この補助制度はこれまで仙台空港へのアクセス鉄道、中部国際空港へのアクセス鉄道の建設に適用されてきましたし、成田新高速鉄道にもこの36%の補助が適用される見込みでした。しかし36%というのは決して高い数字ではありません。現に地下鉄建設の場合は、国と県合計で70%の補助があるのです。

そこで私は繰り返し補助率の引き上げを要求してきました。成田空港は日本の表玄関です。仙台空港とはその重要性がまるで違うのです。その成田が仙台空港と同じ扱いというのは平等のように見えて、実際には悪平等と言わざるをえません。しかもこれだけ多くの人が「遠くて不便だ」と言っています。だからこそ国が責任を持って「近くて便利」な空港にすべきなのです。公共事業は、ばらまくのではなく必要性の高い部分に集中投資してこそ効果があります。 「せめて地下鉄並みの補助にすべきだ」という私の主張は次第に賛同者を得ることになりました。国土交通省もようやく補助率を引き上げる腹を固めたようです。今後、予算を握る財務省も納得させる必要がありますが、恐らくは来年度予算で補助率引上げを前提とした予算がつくのではないかと思います。 その点では、成田新高速鉄道の実現に向けて大きく一歩踏み出せたと思っています。

1000億円超の事業というのは確かに巨額の事業費です。しかし東京湾アクアラインの建設に約1兆5000億円かかり、現在建設中の常磐新線(秋葉原~つくば、平成17年度開業予定)が1兆0500億円もかかっているのに比べれば、かなり安いものという見方もできるかもしれません。

またこれまでの鉄道建設の例を見ると、工期がかかりすぎたために費用が予定よりも膨らむということが多くあります。できるだけ安く仕上げるためにも早期の完成が求められているのです。

◆Q 道路特定財源は使えないの?
A ガソリン税や自動車重量税など一部の税金は道路建設という特定の目的にのみ使われています。これが道路特定財源で、国と地方あわせて約6兆円にもなります。小泉首相が進める改革の中で、この道路特定財源の見直しも議論の俎上に上ってきました。 使途を道路に限らず、もっと広げられないかということです。これに対し既得権益を守ろうとする“道路族”などが強く抵抗しているのは報道されている通りです。

私は道路特定財源の使途を拡大すべきだと考えています。時あたかも今年1月から建設省と運輸省が合体し、国土交通省が誕生しました。それまでは道路は建設省が所管し、鉄道は運輸省が所管していましたが、今ではどちらも国土交通省の担当です。 「この予算は道路にしか使わせない」などという縦割りの時代は終わったのです。必要があれば鉄道建設など他の交通体系整備のためにも道路特定財源を回すべきです。

そして私は道路特定財源の使途拡大の手始めとして成田新高速鉄道こそが恰好の対象ではないかと思っています。しかもこの鉄道は道路とも密接な関係があります。 北総・公団線を利用される方はよくご承知の通り、線路は掘割りの中を走っています。そして掘割り内の線路の脇に空いた用地があります。これは将来、高速道路を建設する時のために用地を確保してあるのです。本来、この掘割りの中では鉄道と道路が一体として整備されるはずだったのです。ただ実際には道路建設が遅れているだけのことです。成田に鉄道を延ばす場合にも、いずれは同じルートを道路も走ることでしょう。 それだけこの鉄道は道路とも密接な関係があるのです。そうである以上、道路特定財源を投入する嚆矢としてふさわしいのではないかと思います。

実際のところ、道路特定財源を鉄道建設に回すことがそう簡単に進むかどうかは分かりません。抵抗も強いからです。しかしこの成田新高速鉄道をめぐってもう一つの「縦割り」は打破できました。航空関係予算を鉄道建設に振り向けられたのです。具体的には新東京国際空港公団が鉄道建設に負担金を出す方向になりました。これまでは「空港の資金は空港内だけに使う」という姿勢でした。ちょうど道路関係者が「この金は道路にしか使わせない」と言うのと同じようなものです。

しかし実際には、空港と都心のアクセスが改善すれば航空関係者も受益者になるのです。受益者である空港公団が一部負担をすることは当然といえば当然ですが、従来の殻を打ち破る決断をしたことは高く評価できます。

ちなみに千葉ニュータウンを通る予定の高速道路は「北千葉道路」と呼ばれています。平成3年から成田市を中心に関係市町村で建設促進のための既成同盟がつくられていますが、実際のところ建設の目途は立っていません。北千葉道路は東は東関東自動車道につながり、西は市川市で東京外環自動車道に接続する予定ですが、この外環自体が未完成なので接続のしようがないというのも遅延の理由のようです。

◆Q 千葉ニュータウンには停車するの?
A 成田新高速鉄道が完成した時には、この線路を京成電鉄のスカイライナーが走る予定でいます。現在のスカイライナーは京成本線の上を走行していますが、新しい鉄道が開通すればこちらが最短コースになるために、ルートを振り替えるわけです。

現在のスカイライナーは“京成上野?日暮里?空港第二ビル~成田空港”の4駅だけに停車していますが、成田新高速鉄道ができてもこれは変わらない予定です。つまりスカイライナーは千葉ニュータウンには停車しません。

ただ成田新高速鉄道の上はそれ以外の特急や各駅停車など多くの列車が走ります。これらのダイヤは当然のことながらまだ未確定です。しかし現在のところ一般特急の停車駅は、北総・公団線内では、“京成高砂~新鎌ヶ谷~千葉NT中央~印旛日本医大~
成田NT北 新駅?空港第二ビル?成田空港”と想定されています。 「成田NT北新駅(仮称)」というのは成田新高速鉄道と成田線(安食・我孫子方面に向かう線)と交差する部分に新設される予定の新駅のことです。現在のところ一般特急の停車駅は、北総・公団線内では、“京成高砂~新鎌ヶ谷~千葉NT中央~印旛日本医大~成田NT北新駅~空港第二ビル~成田空港”と想定されています。 「成田NT北新駅(仮称)」というのは成田新高速鉄道と成田線(安食・我孫子方面に向かう線)と交差する部分に新設される予定の新駅のことです。現在のところ印旛日本医大駅と空港第二ビルの間にできる駅はこの一駅だけの予定ですが、地元の要請や負担があれば成田市土屋などに新駅が追加される可能性もあります。

◆Q どこの会社がつくるの?
A 実はこの一番基本的なことがまだ決まっていないのです。決まっているのは上下分離方式でいくということだけです。上下分離とは列車を走行させる会社と、線路を整備する会社を別にするということです。ちょうどJR貨物とJR東日本の関係がそれにあたります。JR貨物は自分のレールを持っていないので、JR東日本などの線路を借りて走っているのです。もちろん線路使用料は払います。こういう方式を“上”を走る会社と“下”つまり線路を保有する会社が別なので上下分離といいます。

成田新高速鉄道でもこれが採用されます。“上”は京成電鉄がスカイライナーなどを走らせます。問題は“下”の線路を整備する主体が決まっていないことなのです。候補としては都市基盤整備公団、成田空港高速鉄道(株)、新しい第三セクターがありえます。 私は個人的には都市基盤整備公団がよいと思っていましたが、同公団があくまでも嫌がるのでこの可能性はほぼなくなりました。現在のところ成田空港高速鉄道(株)か新たな第三セクターが整備主体になると見られています。ただし第三セクターを新設するとなるとその出資金はどこから集めるかなどのややこしい問題も派生することになります。

cf. 小室~印旛日本医大の部分は現在でも上下分離方式になっています。この12.5kmの区間は線路は都市基盤整備公団が保有しています。上を走っているのは北総開発鉄道(株)の列車です。北総開発鉄道は線路使用料を公団に払いながら走っているのです。京成高砂~小室の19.8kmは北総開発鉄道(株)の所有となっています。「北総・公団線」という奇妙な名称が使われる背景には、こうした関係があるのです。

cf. 成田空港高速鉄道(株)とは成田市土屋~空港までの線路を保有している第三セクター。同社の線路の上を現在、成田エクスプレスや京成スカイライナーが走行しています。

◆Q 環境面は大丈夫?
A 成田新高速鉄道は印旛日本医大駅から東に線路を延ばして、成田市土屋を経由して空港に至ることになっています。このルートだと途中でどうしても印旛沼の上を通過します。 そこで「印旛沼の貴重な生態系を破壊してしまうのではないか」という懸念の声もあります。 印旛沼周辺にはオオタカ、オオセッカ、コジュリンなどの鳥類が生息することが分かっており、これらの貴重な動植物を守ることも大切です。また鉄橋が架かることにより沼の景観が損なわれると心配する人もいます。

一方、鉄道建設は大規模な埋立てとは違うので、環境への影響はそれほどないという意見もあります。その点では101ha(当初計画では740ha)も埋立てようとしていた三番瀬とは違うでしょう。ただ環境に配慮する必要があるのは当然のことです。今後、実際に建設が始まる前には環境アセスメントが行なわれます。しっかりとしたアセスのもとで環境と調和した鉄道建設が求められています。なお当初は、鉄道ルートとして印旛沼を南側に迂回して京成宗吾参道駅方面につなぐという案もありました。しかし迂回するとどうしても所用時間がかかってしまうことや京成電鉄が難色を示したことなどのために、この案は立ち消えになりました。

◆Q 東京駅には乗り入れないの?
A 現在、議論の焦点になっているの成田新高速鉄道とは印旛日本医大駅からさらに東に鉄道を延長して成田空港に乗り入れる話です。この線が完成したときには列車は“京成上野~日暮里~京成高砂~千葉ニュータウン中央~成田空港”というルートを通る予定です(停車駅については前述の部分を参照)。つまり「都心と結ぶ」といってもそれは上野や日暮里の話なのです。

当然、これでは不十分だ、という声もあります。現在の成田エクスプレスのように東京駅に乗り入れるようにすべきだという人も多いはずです。そうした声を受けて、成田空港を出た電車が京成高砂・押上を経由して都営浅草線に乗り入れることも検討されています。これは極めて重要なことです。浅草線に入ることによって東京駅乗り入れはもちろん羽田空港とのアクセスが改善されるからです。

ただこの場合、いくつかの問題があります。まず都営浅草線内に追い越し施設をつくらないと特急運転ができません。さらに東京駅に乗り入れるためには日本橋と宝町の間で東京駅までの引き込み線の工事をする必要があります。

運輸政策審議会の昨年1月の答申では、この東京駅までの引き込み線はA2 、つまり「2015年までに整備着手することが適当な路線」とされました。成田新高速鉄道がA1の「2015年までの開業」を目標としているのに比べ一段階下の位置づけになったのです。

その後、この東京駅乗り入れの問題はしばらくたなざらし状態でしたが、今年の5月、国土交通省がかなり前向きの方針を打ち出しました。「成田・羽田の両空港と都心との直結化を図る都営浅草線の東京駅接着及び浅草橋付近の追い抜き線の新設を早急に具体化するため、整備方策について概ね2年程度を目途に結論を得るべく、関係者による多角的な観点からの検討を進める」というものです。これによって計画に加速がついていくと思われます。

ただ実際にこの引き込み線の工事をするとなると安く見積もっても1500億円、高く見積もると3000億円くらいの費用がかかります。さらに追い抜き施設にも200億円ほどはかかるとされています。この巨額の費用を誰が負担するかで難航する可能性があります。 ただ印旛日本医大~空港間の建設費の一部を千葉県が補助することを考えれば、こちらの方には東京都が責任を負うのは当然だと思います。

以上、成田新高速鉄道の現状と課題について述べてきました。今後も難問山積ですが、早期開通に向けて力を尽くしていきたいと考えています。
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◎高すぎる運賃について
北総・公団線の最大の問題は、やはり高すぎる運賃です。他の鉄道に比べ2~3倍も高いというのは異常事態といわざるをえません。 「財布落としても定期落とすな」などと言われる現状からの脱却が住民の悲願なのも当然のことです。
今までは運賃が高いのは、鉄道会社が大赤字に苦しんでいるからだといわれていました。確かに従来はそうでした。しかし昨年度、ついに営業以来初めての黒字が計上されたのです。今後も黒字基調は続くと予想されています。ようやく値下げの可能性が出てきたといえるでしょう。

ここでは、次の順序でこうした最新状況の報告をしたいと思います。
・北総・公団線の運賃の高さ
・運輸省が値上げはしないと約束
・なぜ運賃が高いのか(1)
・なぜ運賃が高いのか(2)
・ついに黒字に転換!
・国や自治体の支援
・値下げへの展望

◆北総・公団線の運賃の高さ
まず北総・公団線の運賃を他の鉄道と比べてみましょう。(単位・円)
Km /北総線/ 京成/ 西武/京王/営団/東葉
1/200/ 130/140/120/160/200
2/200/130/140/120/160/200
3/200/130/140/120/160/200
4/300/150/140/120/160/280
5/300/150/170/130/160/280
6/370/180/170/130/160/350
7/370/180/170/150/190/350
8/440/180/170/150/190/420
9/440/180/200/150/190/420
10/500/180/200/170/190/490
11/500/250/200/170/190/490
12/570/250/200/170/230/550
13/570/250/230/190/230/550
14/570/250/230/190/230/550
15/630/250/230/190/230/610
16/630/310/230/230/230/610
17/630/310/260/230/230/610
18/680/310260/230/230
19/680/310/260/230/230
20/680/310/260/270/270
21/730/360 /290/ 270/ 270
22/730/360/ 290/ 270/ 270
23/730/360/ 290/ 270/ 270
24/760/360/290/270/270
25/760 /360/330/310/270
26/760/420/330/310/270
27/790/420/330/310/270
28/790/420/330/310/300
29/790/420/360/310/300
30/820/420/360/310/300

cf. 営団は営団地下鉄、東葉は東葉高速鉄道のこと
東葉高速は全長16.2キロ。
なおキロはすべて切り上げ。例えば4.1キロならば5キロで計算される。
その他の鉄道に比べても、北総線がいかに高い運賃かが分かります。

*その他の鉄道との運賃の比較(10キロ時点)
北総開発鉄道 500円
都営地下鉄  260円
小田急電鉄  210円
東武鉄道   190円
JR東日本  160円

cf. JR東日本は電車特定区間という都市部の割安区間の運賃
cf. 北総鉄道よりも高額運賃の路線としては例えば関東電鉄(取手~下館など)があげられます。この鉄道は30キロで970円となり、北総線よりも高くなっています。ただし初乗りは120円で、18キロまでは北総線よりも安いのです。
以上、見てきたのはあくまでも普通運賃の比較です。定期になれば、他の路線との差がさらに広がり、通学者を抱える家庭にとって大きな負担になっているのは言うまでもありません。

◆運輸省が値上げはしないと約束
さらに問題なのは、ただでさえ高い運賃がこれまで2~3年ごとに値上げされてきたということです。運賃改定の経緯をまとめてみました。

初乗り運賃 /定期割引率
昭和54年3月 110円/通勤30%/通学50%
56年3月 120円/ 同上 /同上
58年3月 130円/ 同上/同上
60年3月 150円/同上/同上
62年11月 150円/同上/同上
平成2年1月 160円/同上/同上
3年3月 170円/同上/同上
7年4月 180円/同上/ 通学56%
9年4月 180円/同上/同上
10年9月 200円/同上/ 通学60%

cf. 昭和62年の改定では1~3キロの運賃は据え置かれたが、それ以上の距離は10円ずつ値上げされた。  平成9年は消費税率改定(3%から5%)に伴うもの

そこで私は平成12年4月の衆議院決算行政監視委員会での質問でこの運賃問題を取り上げました。その結果、運輸省(現・国土交通省)の安富正文・鉄道局長が「長期間値上げはしない」との旨を答弁しました。それまでの運輸省が「運賃は高いが、やむをえない」という姿勢だったのに比べれば前進だったと思います。

では、長期間とはどのくらいなのかというと、この時の国会答弁では安富局長は「ここで、10年、15年と具体的な年限をお約束することはなかなか難しゅうございますが」と言葉を濁しました。公式の場で言質を取られるのが嫌だったのでしょう。ただ私が同省の関係者から非公式に聞いている話では「十数年は値上げしない方向でいく」ということです。 運輸省が「値上げはしない」という姿勢に転じたことは大きな前進だったとは思いますが、まだ不十分です。本当に求められているのは“値下げ”なのです。

ちなみに運賃は鉄道会社が決めますが、「鉄道事業法」によって「上限運賃」は国の認可を得る必要があります。認可された以上に高い運賃を設定することはできないのです。鉄道会社は普通、上限運賃一杯に運賃を設定しています(北総鉄道もそう)。だから値上げをするためには新たに申請をして上限運賃の認可を得なければなりません。それだけに所管の運輸省が「値上げはしない」と答弁をしたことは大きな意味を持ちます。 「上限運賃が認可」ということは、逆に言えば、上限の範囲内であれば会社は鉄道運賃を自由に設定できるということです(国への届け出は必要ですが)。つまり値下げをするのは、手続き上は結構、簡単なのです。

◆なぜ運賃が高いのか(1)ー増えない沿線人口
値下げを求めるためにもまず運賃がこれだけ高くなってしまった理由を探る必要があります。その理由は、一口でいえば、鉄道を運行している北総開発鉄道株式会社が赤字だからです。実は同社は平成12年度に開業以来初めての黒字を記録したので、純然たる赤字会社ではなくなってきているのですが、今なお累積赤字は443億円にも上っています。資本金が249億円ですから完全な債務超過であることには変わりありません。昨年の黒字については後ほど詳述するとして、ここでは開業以来赤字続きだった原因について分析してみましょう。

赤字の原因は収入面と支出面に分けられます。 まず収入面を見てみると、同社は予定通りの収入をあげていません。というのも千葉ニュータウンの人口が予定通りには増えていないからです。 千葉ニュータウンは白井市、印西市、印旛村、本埜村、船橋市の5市村にまたがっています。入居が始まったのは昭和54年のことです。 当時は人口34万人の都市を計画していました。ところが入居は進まずに計画自体も下方修正され、現在の予定人口は19万4千人です。 しかし実際に入居しているのは7万8千人にすぎません。下方修正された計画の半分にも達していないのです。

*千葉ニュータウン入居者数の推移(単位・人)
平成3年度 52831
4年度 56226
5年度 59910
6年度 65629
7年度 69454
8年度 72138
9年度 74639
10年度 76154
11年度 77556
12年度 78618
・いずれも各年度末の数字
30万人以上が住むことを想定して敷かれた鉄道沿線に8万人弱しか住んでいなければ、当然、乗降客数の目算も狂います。これでは鉄道会社が思い通りに収入があがらないのも当然です。

そして今では「人口が少ない」→「鉄道の利用者も少ない」→「鉄道会社は赤字になる」→「運賃を上げる」→「ますます人口が増えない」という悪循環に陥ってしまっているのです。 悪循環を断ち切るためにも運賃値下げの決断が求められています。 しかし同時に宅地開発者である都市基盤整備公団と千葉県にも入居を促進するための努力が求められているのです。

「成田新高速鉄道」の大きな意味もここにあります。印旛日本医大から成田にまで鉄道を延ばすこの構想は、都心と成田空港を30分台で結ぶことを謳い文句に推進されています。これも大切なことですが、同時に千葉ニュータウンの魅力を高めるという意味もあります。現在の北総・公団線は印旛日本医大が終点のためにいわば袋小路になってしまっています。この鉄道が完成すれば、袋小路から脱却し千葉ニュータウンの人口も増えるだろうと期待されています。

◆なぜ運賃が高いのか(2)ー重い金利負担
それでは北総開発鉄道の支出面を見てみましょう。支出面を特徴づけるのは鉄道建設公団に支払っている金利負担の重さです。なぜ同社は鉄道建設公団に金利を支払っているのでしょうか。この仕組みを理解するためには建設時に遡らなければなりません。 北総開発鉄道は大きくⅠ期工事、Ⅱ期工事に分けられます。Ⅰ期は昭和54年に開業した北初富から小室までで、Ⅱ期は京成高砂までつなぎ都心に直接乗り入れられるようにした工事です。

区間/開業/キロ程/建設費
Ⅰ期 北初富~小室/昭和54年3月/ 7.9km/224億円
Ⅱ期 京成高砂~新鎌ヶ谷/平成3年3月/11.7km/1213億円

cf. 小室~印旛日本医大は住宅都市整備公団(現・都市基盤整備公団)が所有しているためここでは除く。

この建設工事のほとんどは鉄道建設公団という特殊法人が行ないました。完成した鉄道を北総開発鉄道(株)が同公団から買い取り、その代金を分割払いしているという形になっています。こうした方式による鉄道建設は北総開発鉄道を含む全国16社が行なっており、決して珍しいものではありません。問題はこの支払い時の金利負担が重いということなのです。

例えば平成10年度を見れば、鉄道事業による営業収入が110億円で、営業利益が35億円上がっているのに対し、鉄道建設公団に対してだけで55.5億円もの利息を支払っているのです(同公団以外の支払利息も含めると59.6億円)。同社は経営難のため元本の返済が猶予されているため支払っているのは利息分だけです。それでもこれだけ大きな数字になってしまっているのだから、いかに金利負担が重圧になっているかが分かるでしょう。

収入の半分が利息の支払に消えてしまえば会社が赤字になるのは無理もありません。その結果、この年の経常損益は24.3億円の赤字となっています。

しかし最近、この支払利息も急速に減少し、同社の経営を大きく改善しています。それについては次の項目で述べます。

cf. 鉄道建設公団から北総開発鉄道への譲渡価額
Ⅰ期線(北初富~小室)      157億円
Ⅱ期線(京成高砂~新鎌ヶ谷) 1141億円

◆ついに黒字に転換!
北総開発鉄道の高額運賃の原因は、同社が赤字に苦しんでいるからだと書いてきました。確かに同社は累積で443億円の赤字を抱えています。しかしここ数年経常収支は急速に改善し、ついに平成12年度には単年度黒字を計上したのです。過去に同社は不動産売却によって黒字になったことはありますが、鉄道営業によって黒字になったのは開業以来初めてのことです。

(単位・億円)
平成9年度/平成10年度/平成11年度/平成12年度
営業収益100.4/109.8/115.9/122.8
営業費74.4/74.9/ 74.8/77.7
営業損益26.0/35.0/41.1/45.1
営業外収益2.7/2.2/2.8/3.0
営業外費用63.2/61.5/56.3/43.4
経常損益 ▲34.5/▲24.3/▲12.4/4.7
未処理損失 ▲410.4/▲434.4/▲447.1/▲443.0

cf. 支払利息は「営業外費用」に含まれている ▲は損失
上の表を見れば分かるように、このところ経常損益は毎年10億円以上、改善しています。その背景にあるのは営業収益が伸び、営業外費用が大きく減少していることです。営業収益が伸びた要因としては、沿線の人口増があります。千葉ニュータウンの人口も計画に比べはるかに少ないとはいえ、一定の伸びを示しています。本埜村滝野、印旛村いには野など新しい地区の入居が始まったことが効を奏したと考えられます。また平成10年3月から東松戸でJR武蔵野線との乗換えが可能になったり、11年11月には東武野田線新鎌ヶ谷駅が開業し、同駅での乗換えが可能になったことも利用者増に寄与したとみられます。

そしてなんといっても営業外費用が減少しています。金利が安くなったため支払利息が減少したからです。 北総開発鉄道が鉄道建設公団に支払っている金利のここ3年の推移を見てみましょう。
平成11年度首の平均金利  4.45%
平成12年度首の平均金利  3.59%
平成12年度首の平均金利  2.52%

金利が下がることは歓迎すべきことです。しかし、実を言うとこれだけ金利が下がるというのは私にとっても意外な感があります。昨年の衆議院選の時に、私は北総線の運賃値下げを訴えましたが、そのためにはこの金利軽減を図る必要があると考えました。その具体策として、資金の低利への借り換えやP線補助の見直しといった施策を提示しました。当時、鉄道建設公団は金利は長期固定のため下がらないと説明していました。それだけに上記のような特別の施策が必要だと考えたのです。

cf. 内容については本ホームページ所収の「水野賢一の主張」00年5月25日号、6月1日号を参照してください。
cf. ちなみにその時点では11年度の金利を4.47%と書いていましたが、これは国会答弁で引き出した途中経過の数値であり、確定値は4.45%です。

つまり昨年の時点では私が考えていたのは、「金利負担を下げるための施策をとる」→「会社の赤字を解消する」→「運賃値下げの実現」という手順でした。

しかし実際には特別な施策をとらなくても金利は下がったのです。この点は自らの不明を恥じる次第です。それとともに鉄道建設公団にもより一層の情報公開の必要性を求めざるを得ません。低金利時代が続けば、同公団が関係する金利がこれだけ下がるという情報をきちんと公開すべきだったのです。今回のことは行政側の情報が明らかにされないと正しい判断がしにくいという証左です。情報公開の必要性が一層求められています。

話が少し逸れましたが、いずれにしても金利負担が軽減されたことは良いことです。しかもこの黒字は今後も続くと予測されています。国土交通省の予測によれば、今後は毎年、経常黒字が増え続け、平成20年には12億、25年には22億、30年には45億円となるとされています。そして平成38年度には累積欠損も解消するとみられています。

先の論法でいえば、「金利負担は下がった」→「会社の赤字は解消した」というところまではきたのです。あと残されたのは肝腎の「運賃値下げの実現」だけですが、その条件は整いつつあるといえるでしょう。

◆国や自治体の支援
北総鉄道の高額運賃の背景には、鉄道会社の経営難があるという構図は繰り返し説明してきました。その経営難の大きな原因が千葉ニュータウンの入居の遅れだということも述べてきました。そもそも千葉ニュータウンというのは都市基盤整備公団と千葉県が一緒になって推進してきた事業です。いわば国策のようなものです。この国策の進み具合が遅れているつけが鉄道会社、そして最終的には沿線住民にまわってきているのです。 それだけに国や県にはその責任をとる必要があります。必要な支援措置を講ずるべきなのです。そこで国や県はこれまで3回にわたって北総開発鉄道の支援をしてきました。

*第1次支援(昭和60~平成2年度)
京成電鉄…元本(対象元本7億円)支払猶予及び利息棚上げ
千葉県 …10.5億円の出資
住都公団…7.5億円の出資
鉄建公団…Ⅰ期線の元利均等償還額の支払猶予(総額61億円)
金融機関…元本支払猶予及び利息棚上げ(対象元本50億円)
*第2次支援(平成3~6年度)
京成電鉄…25億円の出資、所要資金の貸付(総額65億円)
千葉県  …20億円の出資、80億円の負担金
住都公団…千葉県と同じ
*第3次支援(平成7~11年度)
京成電鉄…出資57億円、融資81億円(10年間元本支払猶予)
千葉県  …出資15.5億円、融資53億円(10年間無利子)
住都公団…千葉県と同じ
鉄建公団…元本償還の支払猶予(総額187億円)

これらの支援は直接的に金利負担を軽減したりするわけではありませんが、苦しい経営の北総鉄道の息継ぎには必要なものでした。ところがこの支援策は平成11年度で切れてしまったのです。もちろん支援策が切れれば、北総鉄道の経営(特に資金繰り)を直撃し、ひいてはさらなる負担という形で住民に跳ね返ってくる可能性がありました。

そこで私は昨年5月に出したビラの中で次のように発言しました。 「実はこれまで三次にわたって住宅都市整備公団(現・都市基盤整備公団)、千葉県、京成電鉄が融資・出資という形で支援をしてきました。ところが昨年度でこの支援が終わってしまったんです。まったくおかしな話だと思いますね。まず早急に第四次支援策をまとめるように関係者を促しています」

cf.このホームページの「水野賢一の主張」00年5月25日の項を参照
そして今年3月ついに「第4次支援」がまとまったのです。 内容は、
・鉄建公団…償還期間を10年間延長、さらに13年度から3年間は元金償還猶予。
・千葉県 …第3次支援での融資額の無利子据置期間を10年延長
・都市公団…千葉県と同じ
・京成電鉄…第3次支援での融資額の金利を3.0%から0.5%に軽減

北総鉄道は支援が切れていた12年度でさえ初めての黒字を計上したくらいです。この第4次支援の決定によって、今後の経営はさらに安定し、黒字の基調も続いていくことが予想されます。その点で、この支援策がまとまったことは運賃値下げに向けての環境整備として大きい意味を持つものと思われます。

◆値下げへの展望
これまで詳述してきた通り、北総開発鉄道(株)は昨年度、開業以来初の単年度黒字を記録しました。さらに国や県による第4次支援もまとまりました。つまり値下げへの条件は整いつつあるのです。あとは同社の決断に懸かっています。私の印象では同社は「支援を受けている身だから」という遠慮の姿勢が目につきます。支援している側に「値下げするくらい余裕があるならば、支援はしない」と言われるのを恐れているかのようです。しかし支援というものが単に会社救済のためだけであっては意味がないのです。住民に還元されてこそその支援が生きてくるのです。しかも同社の生命線はやはり千葉ニュータウン地区の乗降客です。この地域が住みよい街になることは長期的にみれば同社にとってもよいことのはずです。いまこそ北総開発鉄道側の勇気ある決断が求められている時だと思います。

最後に、運賃値下げを実現した他社の例を掲げておきます。
・平成9年12月 京王電鉄 全線の運賃額、初乗りは130円から120円に
・平成10年4月 広島高速交通 2~3キロの区間の通学定期運賃額6730円から6060円に
・平成10年4月 ゆりかもめ 全線での定期運賃額 最短区間の例でみれば7020円が5400円に
・平成10年7月 遠州鉄道 2キロまでの区間の運賃額 120円から100円に
・平成11年4月 北神急行 全線(といってもこの鉄道は1駅の区間しかない)の運賃額の引下げ430円が350円に
・平成12年1月 多摩都市モノレール 全線の通学定期 最短区間の例でみれば6000円から3600円に

以上のように、値下げにもいろいろな方法がありえます。もちろん最善なのは全線での値下げです。しかし仮にそれがいますぐには無理でも例えば定期券の割引率を上げるということも当面の策としてはありえるはずです。ちょうど今年の4月から「学期定期」が導入されました。これも一歩ではありますが、住民の利便性向上につながりました。このようにできるところからでも値下げをしてほしいと思います。私もそのために今後とも国政の立場から力と知恵を尽くしていきたいと考えています。
ご支援、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
 

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