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  • 月別アーカイブ: 2010年5月

けんいちブログ

事業仕分け

2010.05.21

 人気急落の民主党ですが、事業仕分けだけはまだ期待が高いようです。

 それだけに民主党としては今行なっている事業仕分け第2弾で支持率をアップさせようという思惑も持っているのでしょう。

 5月5日のブログにも書いた通り、私は事業仕分けについて一定の評価はしています。しかし問題点も指摘しなければなりません。
 事業仕分けは以下のような流れで進んできました。

平成21年11月・・第1弾(来年度予算についての仕分け)
平成22年 4月・・第2弾前半(独立行政法人について)
      5月・・第2弾後半(公益法人について)

 4月に行なわれた独立行政法人についての仕分けでは、36事業を「廃止」、50以上の事業を「縮減」という判定が下されました。
 それだけ見ると頑張っているようですが、実は独立行政法人そのものは民主党政権が発足してから新たに6つも設立されているのです。

これを放置したまま一部の事業だけを削っても本丸に斬り込んだことにはなりません。こうしたことも国民に広く周知しておく必要もあると思います。

大隈重信は議員だったのか

2010.05.20

 前の号で私の母校の創立者・大隈重信について触れました。

大隈重信が内閣総理大臣をはじめ要職をつとめたことは知られていますが、ある時、私はふと「大隈侯は国会議員(当時は帝国議会議員)をつとめたのかなあ」と思って調べてみました。

というのも現行憲法では内閣総理大臣は国会議員から選ぶ(参議院からでも可能だが、その例はない)ことになっていますが、戦前は首相が議員である必要はなかったからです。

 調べてみると大隈重信が帝国議会議員をつとめたのは最晩年の6年だけでした。
それも侯爵に叙されたことに伴って貴族院議員に就任しただけのことであり、選挙で当選したというわけではありません。
大隈重信と一緒に銅像が国会内に立っている伊藤博文も貴族院議員をつとめただけ。板垣退助は議員歴はありません。

 選挙の洗礼を経なくても国政の中枢に関わった方々に思いをはせると、選挙のことを常に気にしなければならない現代政治の渦中にいる身としてはちょっとうらやましい気もします。

もっとも選挙の苦労はしなくても文字通り命懸けの修羅場をくぐってきた人たちですから、それ以上の艱難辛苦をなめたのは間違いないでしょうが。

大隈重信の像

2010.05.19

 早稲田大学卒業生の会を稲門会といいます。私も平成3年政経学部卒業生として佐倉稲門会の一員となっています。
早稲田大学の創設者といえば大隈重信です。早稲田大学キャンパスの中にある大隈重信の銅像は昭和7年に除幕され、大学の象徴ともいうべき存在として有名です。

 大学内の銅像ほど有名ではありませんが、実は国会議事堂の中にも大隈重信像があります。
議事堂の一番高い部分は高さ65m(法隆寺の五重塔が31mなのでそれに比べても結構高い)ですが、その真下の部分に中央広間があります。

ここはちょうど衆議院部分と参議院部分の中間で、この広間の四隅には立憲政治の基礎を築いた明治の政治家3人―大隈重信、伊藤博文、板垣退助―の銅像が置かれています。

四隅に3人というと残る一隅は、といえば台座だけが置いてあって像はありません。その理由として以下のようなことが言われていますが定説はないようです。

①将来ここに像が立つような政治家が登場することを期待する
②政治は未完であるということを示している
③ここに像を立てると皇居に背中を向けてしまう形になる
④4人目の人選が難しかった

真相がいずこにあったのかは分かりませんが、①の説が一番きれいなような気もします。
 まあ大隈重信たちは周りの人たちが「あの人は偉大だった」ということで銅像を建ててくれたのでしょうが、近くの独裁国家の首領様(金日成のこと)のように自分で自分の巨大な像を首都に立てるという神経はちょっと分かりませんねえ。
 注)卒業生としては学校の創設者に敬意を表して「大隈重信侯」(侯爵だった)と書くべきかもしれませんが、歴史上の人物として敬称を略しました。

(以下、次号「大隈重信は議員だったのか」に続く)

比例代表

2010.05.18

 街に出ると参議院比例代表候補予定者のポスターが目立つようになってきました。

比例区の候補者は大変だなあと思います。なにしろ選挙区は全国。交通費や宿泊費だけでも馬鹿にならないでしょう。
(現職議員はJRフリーパスなどを使って動くからそれほど負担にならないのかな?)

昔の全国区が「銭酷区」とか「残酷区」と言われたのも分かります。

しかも比例区から立候補した人数は3年前の参議院選挙の場合だと159名。こんなに多くの人の中から自分の名前を書いてもらうというのは並大抵のことではありません。

しかも個人名でなく政党名で投票しても良いのですからなおさらです。
「みんなの党」も現時点で比例候補として11人が内定しています。頑張ってもらいたいものです。
 まあ人のことを心配するよりも自分自身のことで全力を尽くさなければいけないのですが・・。

身分から職業へ

2010.05.17

 「みんなの党」は官僚叩きの政党と言われることがあります。公務員制度改革に一番熱心で、天下りに鋭く切り込んでいるためにそう見えるのでしょう。
 しかし誤解のないように言っておきますが、私たちは官僚個人を誹謗中傷しているわけではありません。何も官僚を無くすと言っているわけでもありません。政府を運営する上で官僚は必要です。
 ただ今の官僚機構は時代遅れになっていると主張しているだけです。制度改革が必要だと強く唱えているのです。
 ではどのように変えるのか。堺屋太一氏が面白い表現を使っています。「今の官僚は“職業”ではなく“身分”になってしまっている」とのことです。
 その人の能力や意欲によって昇格するのが普通の職業ですが、現在の官僚機構の中では何年入省か、・種合格か・種合格かということで自動的に役職が決まってきます。これでは職業ではなく身分制度だというわけです。
 こういう制度にメスを入れて、官僚を普通の職業にして、機構を活性化させるべきです。これに一番熱心なのが「みんなの党」です。官僚叩きのポピュリズムとは似て非なるものであるのは言うまでもありません。

演説

2010.05.16

 演説をする時に、まったくのぶっつけ本番でやる人と事前に細部まで推敲を重ねる人がいます。
私は当意即妙にすべてをこなせるほど器用ではないので、後者の方に入ります。まあ、細部まで全部決めはしないにしても、ある程度の粗筋は考えた上で話します。
 そうするとどこへ行っても演説は大体同じ内容ということになります。私に限らず多くの人はそうなるでしょう。
ですから選挙の時に首相や党首の遊説にくっついて全国を回る番記者は同じ演説内容を何度も聞かされることになります。
 番記者からすると次に何を言うかが読めるだけでなく、「ここではこのジョークで笑いを取ろうとする」なども全部予見できるようになるわけです。
 ただ記者やSPといった首相や党首といつも一緒の人にとってはマンネリの演説でも、聴衆は毎回変わるわけですからそれでもよいのでしょう。
 私の演説も一応は原稿があるので、ここに掲載しても良いのですが、やはり生で聞いてくれるに越したことはないので、ちょっと掲載は控えておきます。
一定規模の街頭演説会を行なう時はこのブログで時間・場所については発表したいと思っています。よろしくお願いします。

自民党は変わったのか?

2010.05.15

 自民党は変わったのでしょうか。参議院選挙を前にしてフレッシュな人材を起用して「変わった」という印象を作り出したいのは分かります。
若手登用の象徴とされるのが河野太郎氏の幹事長代理への就任です。歯に衣着せぬ発言で“党内過激派”とも見られている河野さんは確かに今までの執行部にはいなかったタイプです。
 しかし「抜擢人事」というほどのことなのでしょうか。年功序列的な発想で見れば河野太郎さんは衆議院当選5回。別に幹事長代理になってもさほどおかしな期数ではありません。
幹事長代理というのは要職ではありますが、あくまでも幹事長の下。
しかも以前は幹事長1人・幹事長代理1人でしたが、最近はやたら増員され幹事長は1人ですが幹事長代理は河野さんを含めて5人もいます。いわばワン・オブ・ゼムです。
昨年の総裁選で一定の票を獲得した河野さんならば幹事長や党三役に起用されても不思議はなく、「代理」では抜擢というには当たらないでしょう。
少なくとも小泉内閣時に当選3回の安倍晋三氏を幹事長に大抜擢したのに比べると思い切った人事という感はしません。
 まあ他党の人事を私が心配しても始まりませんが、自民党が変わるのはそう簡単なことではなさそうです。
もちろん河野さん自身はすごい政治家だと思っていますし、私も自民党時代に一緒にいろいろと活動もしました。
こういう逸材にふさわしい活躍の場は自民党の幹事長代理などではなく、政界再編後の新しい政治の中にあるように思います。

10年前の今日

2010.05.14

 10年ひと昔と言います。10年前の平成12年5月14日に小渕恵三氏が亡くなりました。
 首相在職中の4月2日に脳梗塞で緊急入院した小渕氏は、首相の座を森喜朗氏に譲った後、1か月半の闘病の結果、帰らぬ人となりました。享年62歳でした。
 この年は6月に梶山静六、竹下登両氏も相次いで亡くなり、一時代の区切りを印象付けました(ちなみにいずれも旧田中派系の人たちです)。
 当時、私は自民党の衆議院議員の1期生でした。6月には解散・総選挙があったので、2期目に臨む選挙直前だったわけです。
 国会では若手議員(年齢ではなく当選回数です)ほど前列に座る慣習があります。初当選同時の私の議席は「一丁目一番地」と呼ばれる最前列の左端でした。
 最前列の端というのは、ひな壇の内閣総理大臣席のすぐ近くです(ひな壇は高い位置にあるので座席の高さは違いますが・・)。その時首相席に座っていたのが小渕首相でした。
 小渕政権の支持率は発足時は低いものでした。「冷めたピザ」「真空総理」などと揶揄されていましたが、支持率はじわじわと上昇していきます。
 当初高くて急落する鳩山由紀夫政権と真逆です。
 小渕首相と鳩山首相はもう一つ逆のことがあります。沖縄への思いです。
 平成12年は日本がサミット開催国でしたが、小渕首相は数ある開催予定地の中から沖縄を選びました。そのサミット直前に急逝したのは無念だったでしょう。
 鳩山首相が口で「沖縄の思い」と繰り返しながら、言葉だけを弄ぶのと対照的です。
 鳩山首相の言葉が軽い点、総理の資質が問われる点は、むしろ小渕首相の次の森喜朗首相に似ているような気さえしてきます(森さん、ゴメンナサイ・・)。

郵政と既得権益

2010.05.13

 郵便局の数は全国に2万4千、銀行の店舗数は1万3千、信用金庫が7千です。その意味では郵便局は一番身近な金融機関といっても良いでしょう。

その郵便貯金の預入限度額を「1000万円→2000万円」に引き上げる法案を鳩山政権が提出しています。
(厳密に言うと限度額は法案そのものに明記されているわけではなく政令で決める)

 他の金融機関はペイオフで保護される額が1000万円までなので、国が事実上保証する郵貯に2000万円預けられるならば、郵貯に資金が流れるのは人情でしょう。

「官業による民業圧迫」「信金信組はどうなる」「集めた金は国債に流れるだけなので国の借金体質がますます強まる」という批判が出るのは当然です。

 そして何より民主党自身の政策にも反しています。民主党自身が「預入限度額は500万円に引き下げる」とマニフェストに書いていたのです。

「引き下げ」と「引き上げ」では方向性がまったく逆です。だからこそ民主党の中でも心ある人たちが「おかしい」と声を上げたのです(すぐに押さえこまれましたが)。

 ここで問題なのは何で民主党がそうした政策を打ち出したのかということです。理由は簡単。連立パートナーの国民新党のごり押しに押し切られただけのことです。

国民新党は郵便局長が支持基盤ですからこの問題に強いこだわりを持って横車を通しました。つまり国民新党の選挙戦略によって政策が歪められているわけです。

 預入限度額の陰に隠れていますが、国民新党や郵便局長会はさらにひどい要求も出しています。
定年延長もその一つです。旧特定郵便局長の定年は65歳でしたが、民営化後は他の職員と同じ60歳まで段階的に引き下げられるはずでした。

それを逆行させようとしています。まさに既得権益擁護そのものです。

こうしたことに民主党は何も言えません。自民党の族議員を批判していたはずなのに“党そのものが郵政族”の国民新党に振り回されています。

一方、野党のはずの自民党も何も言わないというのが現状です。しっかりと物が言えるのはしがらみ・癒着のない「みんなの党」だけです。

千葉県は全国28位

2010.05.12

「それにしても千葉県は広い」というのが実感です。全県を動き回っていると改めてそう思います。
そうはいっても全国47都道府県で千葉県の面積は28位。いわば中の下といったところです。北海道は別格としても県で最大面積の岩手県の3分の1にすぎません。
「そういう広い県の参議院候補者はどうやって活動しているのだろうか」とつい思ってしまいます。同時に岩手県だと(民主党候補なら)小沢さんの組織に乗っていると楽な選挙なのかな(?)ともふと考えます。
 さて面積28位だろうとやっぱり広いものは広いと感じます。だからといって「私が当選すれば県内どこにでも行けるように道路をどんどん建設します」と言うのでは自民党道路族や小沢一郎型利益誘導と同じになってしまいます。
貴重な税金をそんな選挙目当てのバラマキに使うようではこの国の将来はなくなります(もちろん生活道路で必要なものは多くあると思いますが・・)。
それよりもまず「地域主権型道州制」を導入して、消費税を含む財源を地域に移譲しながら地域を活性化するのが「みんなの党」の政策です。

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